▼おそらく昔は二風谷まで鮭は遡上していたのだろう。
「用地交渉等の際、原告らが本件収用対象地付近の沙流川まで鮭の遡上を可能にして
欲しいと要望」、それを受けて事業者も「北海道や漁協、平取町に陳情、相談」、しかし漁業権の回復は不可能と判断。
ここから見えてくるものは国のみならず北海道行政も門別の漁業協同組合も二風谷が、アイヌ民族の聖地が、
湖底に沈むことを容認していたということ。
アイヌの人たちの現地での四面楚歌の闘いが想像できる。東京の自分も関心を示していなかった。申し訳ない。
なぜ大きな世論にならなかったのかが問題。
しかし裁判所は、起業者たる参加人(すなわち国)が、アイヌのためにやったと主張することにたいし「アイヌ文化について特に配慮して行動し
たといえる程の評価ができる事実ではない」とバッサリ。
ウライとは? 川にのぼってきたサケをつかまえる場所・捕獲場で、川をふさいでサケが通れないようにする「しきり」のこと、ヤナともいう。
実際2018年7月18日、現地に行って改めて考えるに、やはり二風谷まで鮭が遡上できるように対処すべきであった。
門別漁業協同組合の対応もひどい。アイヌ民族の土地に植民して、河口で鮭を先取りして、その結果、鮭は二風谷まで遡上していなかった、
と言っているに等しい。
日本社会の少数者、弱者に対する振る舞いの典型を見るようで恥ずかしい。
今からでも二風谷に鮭が遡上できるように対策を講じるべきである。それが21世紀の日本人の責務である。
▼「アイヌ語辞典」を読んでいた。シペ=サケ。アイヌはサケを主食としていたし、定住の場所はサケの来るところまでと決まっていた、とある。
つまり二風谷までサケは遡上していた、ということ。
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ウ
被告らは、チノミシリの存在については一般に知られていなかったのみならず、本件収用裁決に対する審査請求時
にはじめて原告萱野から主張され、本件事業認定時には原告らを含めて誰からも主張されたことはなかったのである
から、これを考慮することは不可能であった旨主張する。
なるほど、証拠(甲一一、乙ロ二二、二三、証人森田、 同田中、原告萱野)によれば、チノミシリについては、前
記「おれの二風谷」と題する書物(甲一一)に言及されて いるだけで、一般にその存在が知られていなかったこと及
び本件事業認定時までに原告らを含めて誰からもチノミシ リについては指摘されなかったことが認められる。
しかしながら、アイヌ文化が明治政府の政策等により衰退を余儀なくされてきたことは後記のとおりであり、このような経
緯やチノミシリの性格等もあって、二風谷地域のアイヌ民 族が神聖な場所であるチノミシリを一般にしらしめなかっ
たことや参加人に開示しなかったことが容易に推認できるから、このこと自体無理からぬ事情があったといえるうえ、
むしろ後記のように、
アイヌ民族の文化享有権の重要性に照らせば、参加人は本件事業認定時までに本件ダム建設の
アイヌ文化への影響を十分調査、研究すべきであったので あり、これを行っていれば、チノミシリの存在についても
確認できた可能性は否定できないということができるから、 被告らの主張を被告らに有利に掛酌することはできない。
▼被告・国側の「知らなかったから考慮することは不可能」との主張に、逆に「十分調査すべきであった」とバッサリ。
小気味がいい。
2 比較衡量
(一)比較衡量に当たっての考え方
土地収用法二〇条三号所定の要件は、事業計画の達成によって得られる公共の利益と事業計画により失われる公共ないし私
的利益とを比較衡量し、前者が後者に優越すると認められる場合をいうことは前記のとおりであるところ、この判断をするに
当たっては行政庁に裁量権が認められるが、行政庁が判断をするに当たり、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当、安易
に軽視し、その結果当然尽くすべき考慮を尽くさず、又は本来考慮に入れ若しくは過大に評価すべきでない事項を過大に評価
し、このため判断が左右されたと認められる場合には、裁量判 断の方法ないし過程に誤りがあるものとして違法になるものと
いうべきである。
本件において前者すなわち事業計画の達成によって得られる公共の利益は、洪水調節、流水の正常な機能の維持、各種用水
の供給及び発電等であって、これまでなされてきた多くの同種事業におけるものと変わるところがなく簡明であるのに対し、
後者すなわち事業計画により失われる公共ないし私的利益は、 少数民族であるアイヌ民族の文化であって、これまで論議され
たことのないものであり、しかもこの利益については、次のような点が存在するから、慎重な考慮が求められるものである。
▼「事業計画の達成によって得られる公共の利益は、多くの同種 事業におけるものと変わるところがなく」一方
「失われる公共ないし私的利益は、 少数民族であるアイヌ民族の文化であって、慎重な考慮が求められるものである。」
裁判所は極めて公平な観点に立っている。 |
漁業権回復の道
新規参入
令和3年(2021) 9月 7日
都道府県水産主務部長 殿
水産庁資源管理部管理調整課長
増殖推進部栽培養殖課長
新たな漁業権を免許する際の手順及びスケジュールについて
漁業法等の一部を改正する等の法律(平成30年法律第95号)が令和2年 12 月1日
に施行され、漁業法(昭和24年法律第267号。以下「法」という。)が改正された。
改正後の法では、漁場を適切かつ有効に活用している既存の漁業権者の漁場利用を
確保しながら、円滑な規模拡大や新規参入による生産性の向上や漁場の有効活用が図
られるよう規定が整備された。
今般、これらの趣旨及び規模拡大や新規参入に関するニーズを踏まえ、5年に一度
の海区漁場計画作成の時期によらずとも、新たな漁業権(定置漁業権、区画漁業権)
を免許する手続が円滑に行われるよう、その想定される手順及びスケジュールを別添
のとおりとりまとめたので通知する。
新たな漁業権の設定を希望する者は、漁業協同組合の組合員を含め、都道府県に対
して直接、漁業権に関する相談を行う場合があるが、これらの新たな漁業権に関する
相談に対し、海面利用制度等に関するガイドライン(令和2年6月 30 日付け2水管
第 499 号水産庁長官通知)に基づき、客観性・公平性・透明性に留意しつつ、関係す
る漁業者、漁業協同組合、関係機関等との議論を促進するなどし、漁業調整その他公
益に支障を及ぼさないようにしながら、誠実、かつ責任をもって対応されるよう配慮
願いたい。
▲アイヌの人たちの新たな漁業権取得にこの規定を活用できる。(2023.3.8)
|
(二) 少数民族が自己の文化について有する利益の法的性質について被告らは、仮に少数民族の自己の文化を享有する等の権利が
尊重すべきものであるとしても、土地収用法上の要件に該当す るか否かを検討するに当たって、これが他の考慮すべき事情に
比べて優先順位を与えられるものと解する根拠はない旨主張す るので、少数民族が自己の文化について有する利益の法的性質
について検討を加えておきたい。
▼被告(国)は「土地収用法上の要件に該当するか否かを検討するに当たって、これが他の考慮すべき事情に
比べて優先順位を与えられるものと解する根拠はない」と主張。いいかげんにしてくれ。元々だれの土地だった!
国側の主張の、少数民族、先住民族に対するあまりにも無知をさらけ出しているのに怒りすら覚える。この裁判は明治時代の裁判ではないのだよ。
このダムは、成長神話がまだ日本人を捉えていた安定成長期に計画され、バブル崩壊後完成している。1997年の判決時は冷戦も終わり
新しい時代作りに差し掛かっている。そのような空気を裁判所も察知しなければいけない時代だった。 |
(1)B規約との関係
国際連合総会は、昭和四一年(1966年)に
「B規約」を採択し、我が国は
昭和五四年(1979年)に国会の批准を受けて同年条約第七号として公布している。
この規約は、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、
正義及び平和の基礎をなすものであり、またこれらの権利が人間の固有の尊厳に由来することを確認するなどの前文の文
言の下に五三箇条から成り、本件のアイヌ民族の文化享有権と関係する条文は、第二条一項、二六条、ニ七条である。
第 二条一項は、
「この規約の各締約国は、その領域内にあり、か つその管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、
性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別
もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。」と、
二風谷ダム一宮判決
▲一宮判決の文化的適用の考えを援用すれば、第一条1項と2項を、先住権すなわち
漁業権、狩猟権、森林権の回復に使えそう。
第一条
1 すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、
その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、 社会的及び文化的発展を自由に追求する。
2 すべての人民は、互恵の原則に基づく国際的経済協力から生ずる義務及び国際法上の義務に違反しない限り、
自己のためにその天然の富及び資源を自由に処分することができる。 人民は、いかなる場合にも、その生存のための手段を奪われることはない。
▲「自決権に基づき経済的、 社会的及び文化的発展を自由に追求する。」「自己のためにその天然の富及び資源を自由に処分することができる。
生存のための手段を奪われることはない。」
アイヌ民族はまさしくこのような権利を奪われてきた。この条項を根拠に漁業権、狩猟権、森林権の回復を主張していけそう。(2021.11.9)
|
第二六条は、
「すべての者は、法 律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。
このため、法律は、あらゆる差別を禁止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的
意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生 又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等の
かつ効果的な保護をすべての者に保障する。」と、
第二七条は、
「種族的、宗教的文は言語的少数民族が存在する国において、 当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに
自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自 己の言語を使用する権利を否定されない。」と、
それぞれ規定している。
参加人たる国は、平成三年(1991年)、国際連合人権規約委員会に対し、B規約四〇条に基づく第三回報告を提出し、アイヌ民族
が独自の宗教及び言語を有し、また文化の独自性を保持していること等から、B規約二七条にいう少数民族であるとして
差し支えないとし、本件訴訟においても、アイヌ民族が同条にいう少数民族であることを認めている(以上争いのない事
実又は当裁判所に顕著な事実)。
▼国はアイヌ民族がB規約27条にいう少数民族であることを認めている、このことは重要。 |
右によれば、B規約は、少数民族に属する者に対しその民 族固有の文化を享有する権利を保障するとともに、締約国に
対し、少数民族の文化等に影響を及ぼすおそれのある国の政 策の決定及び遂行に当たっては、十分な配慮を施す責
務を各締約国に課したものと解するのが相当である。
▼B規約27条の少数民族の文化享有権を国のそれに対する配慮責務にまで広げた裁判所の解釈は正当である。
|
そして、アイヌ民族は、文化の独自性を保持した少数民族としてその文化を享有する権利をB規約二七条で保障されているのであ
って、我が国は憲法九八条二項の規定に照らしてこれを誠実に遵守する義務があるというべきである。
もっとも、B規約二七条に基づく権利といえども、無制限ではなく、憲法一二条、一三条の公共の福祉による制限を受
けることは被告ら主張のとおりであるが、前述したB規約二七条制定の趣旨に照らせば、その制限は必要最小限度に留め
られなければならないものである。
▼有斐閣「判例六法」憲法13条の項に二風谷ダム事件のこの札幌地裁が判例として掲載されている。
|
(2)憲法一三条との関係
憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生
命、自由及び幸福追求に村する国民の権利については、公共
の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊
重を必要とする。」と規定する。
この規定は、その文言及び歴 史的由来に照らし、国家と個人との関係において個人に究極
の価値を求め、国家が国政の態度において、構成員としての
国民各個人の人格的価値を承認するという個人主義、民主主
義の原理を表明したものであるが、これは、各個人の置かれ
た条件が、性別・能カ・年齢・財産等種々の点においてそれ
ぞれ異なることからも明らかなように、多様であり、このよ
うな多様性ないし相異を前提として、相異する個人を、形式
的な意味ではなく実質的に尊重し、社会の一場面において弱
い立場のある者に対して、その場面において強い立場にある
者がおごることなく謙虚にその弱者をいたわり、多様な社会
を構成し維持して全体として発展し、幸福等を追求しようと
したものにほかならない。
このことを支配的多数民族とこれ に属しない少数民族との関係においてみてみると、えてして
多数民族は、多数であるが故に少数民族の利益を無視ないし
忘れがちであり、殊にこの利益が多数民族の一般的な価値観
から推し量ることが難しい少数民族独自の文化にかかわると
きはその傾向はつよくなりがちである。
少数民族にとって民 族固有の文化は、多数民族に同化せず、その民族性を維持す
る本質的なものであるから、その民族に属する個人にとって、
民族固有の文化を享有する権利は、自己の人格的生存に必要
な権利ともいい得る重要なものであって、これを保障するこ
とは、個人を実質的に尊重することに当たるとともに、多数
者が社会的弱者についてその立場を理解し尊重しようとする
民主主義の理念にかなうものと考えられる。
▼裁判長のすばらしい憲法13条の解釈論。敬意を表します。
特に「少数民族にとって民 族固有の文化は、その民族に属する個人にとって、
自己の人格的生存に必要な権利ともいい得る重要なもの」との理解はすばらしい。 |
また、このように解することは、前記B規約成立の経緯及
び同規約を受けて更にその後一層少数民族の主体的平等性を
確保し同一国家内における多数民族との共存を可能にしよう
として、これを試みる国際連合はじめその他の国際社会の潮
流(甲四一ないし四人、証人相内)に合致するものといえる。
そうとすれば、原告らは、憲法一三条により、その属する
少数民族たるアイヌ民族固有の文化を享有する権利を保障さ
れていると解することができる。
もっとも、このような権利といえども公共の福祉による制
限を受けることは憲法一三条自ら定めているところであるが、
その人権の性質に照らして、その制限は必要最小限度に留め
られなければならないものである。
▼公共の福祉による制
限。何度も何度も公共の福祉による制限が強調される。どうも気にかかる。 |
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(三) アイヌ民族の先住性
B規約二七条は「少数民族」とのみ規定しているから、民族
固有の文化を享有する権利の保障を考えるについては、その民
族の先住性は要件ではないが、少数民族が、一地域に多数民族
の支配が及ぶ以前から居住して文化を有し、多数民族の支配が
及んだ後も、民族固有の文化を保持しているとき、
(▼先住民族という。国連では特別な権利が認められている。)このような
少数民族の固有の文化については、多数民族の支配する地域に
その支配を了承して居住するに至った少数民族の場合以上に配
慮を要することは当然であるといわなければならないし、この
ことは国際的に、
先住民族に対し、土地、資源及び政治等につ
いての自決権であるいわゆる先住権まで認めるか否かはともか
く、先住民族の文化、生活様式、伝統的儀式、慣習等を尊重す
べきであるとする考え方や動きが強まっていること(甲四五、
四六、証人相内)からも明らかである。
▼この判決の後、2007年国連で
先住民族権利宣言が採択された。「先住民族に対し、土地、資源及び政治等につ
いての自決権であるいわゆる先住権まで認めるか否かはともかく、」の部分が時代遅れになっている。(2021.11.9)
▼文化を認めて土地、資源を認めない理屈は成り立たない。(2021.11.17)
|
(1) アイヌ民族の先住権について検討することとするが、その前提として先住民族の定義について考えたい。
そもそも「先 住民族」の概念自体統一されたものはなく(証人相内)、これ を定義づけることの相当性について疑問がないわけではない
が(一口に先住民族であるとはいっても、その民族が属する国家により、その民族が現在置かれている状況、歴史的経緯
等が異なり、そうである以上共通に理解することができない ことは当然である。)本訴においては、被侵害利益であるア
イヌ文化の重要性、その文化を享有する権利の保障の程度等を検討することが必要であり、そのためにはアイヌ民族の先
住性に言及することが不可避であるといわざるを得ないと考えるから、必要な限度で定義づけることとする。
証拠(甲四二、四三の二・三、四四ないし四六、証人相内) 及び弁論の全趣旨を総合して考えるに、
先住民族は、歴史 的に国家の統治が及ぶ前にその統治に取り込まれた地域に、
国家の支持母体である多数民族と異なる文化とアイデンティ テイを持つ少数民族が居住していて、その後右の多数民族の
支配をうけながらも、なお従前と連続性のある独自の文化及 びアイデンティティを喪失していない社会的集団であるとい
うことができる。(▼下線は引用者)
(2) 次に、アイヌ民族が右にいう先住民族であるかどうかにつ
いて、考察することとするが、アイヌ民族が文字を持たない
民族であることは前述のとおりであり、そのため右のような
先住性を証する上で役立つアイヌ民族の手による歴史文書等
がなく、アイヌ民族がアイヌ民族としての社会集団を構成し
て北海道あるいは本州の北部にいつごろから定住し始めたの
かは、本件全証拠によっても明らかではない。ここでは主に
アイヌ民族以外の日本人(原告らの用法に従って、以下「和
人」という。)の手によって記された中世及び近世のアイヌ民
族に関する文献等を主たる証拠として右の意味での先住性を
判断することとする。
証拠(甲五、一九の一・二・三の一・四ないし六・八・一
二・一三、証人田端)及び弁論の全趣旨を総合すれば、
▼以下中世から近世の日本列島でのアイヌ民族の歴史が概括される。 |
鎌倉 時代の末期ころ(14世紀半ば)までには、
北海道に居住するアイヌ民族と和 人の交易商人との間で、北海道の特産品である魚類や獣類と
和人の物を物々交換する形で、北海道におけるアイヌ民族と
和人との交易による接触は始まつていたこと、
一五世紀の半ばころは、
私人の中小の豪族が函館等の道南を中心に北海道
に居住するようになっていたが、右豪族間あるいは右豪族と
アイヌ民族の間で争い事等が繰り返されていたこと(たとえ
ば、康正二年(西暦(以下省略)一四五六年)のコシヤマイ
ンの戦い)、
一六世紀の中ころには、
松前藩の前身である蠣崎 家と松前地方のアイヌ民族との間に「夷狄の商船往還の法度」
という交易秩序の維持のための御法度が定められたが、その
ころのアイヌ民族と和人との交易形態は、北海道の各地の居
住先からアイヌの人々が松前付近に出て来て、和人の商人が
本州からそこへ集まり物々交換をするというものであったこ
と、
慶長九年(一六〇四年)には、
松前藩は、江戸幕府によ
る幕藩体制の下に入り、同藩は、その家臣らに対し知行地と
して商場(交易をする場所)を与え、アイヌ民族と交易をさ
せ、それから生じる利益に関税を掛けることなどにより、藩
の財政基盤を確保していたこと、そのころは和人は北海道内
の自由通行を認められていなかつたが、アイヌ民族には許さ
れていたこと、
右の地図(拡大可)。赤い所の静内川の河口付近にシャクシャイン城跡があります。
二風谷から東南直線距離で約40q
静内シャクシャイン城跡(拡大)
|
寛文九年(一六六九年)、
和人とアイヌ民族が関係するシャクシャインの戦いが起こったこと(右の地図)、
遅くとも一 八世紀半ばころには、
和人の商人は、松前藩から近い地域に おいて、独占的に漁場を経営したり、対アイヌ交易を行った
りする請負場所を設定し、その請負場所において、漁猟生産の労働カとしてアイヌ民族を使い始めたこと、
▼香港、マカオ的植民地政策のようだ。(2020.4.2) |
一八世紀の終わりころには
その地域が北海道東部にまで及び、その請負場
所において、和人によるアイヌの人々の酷使が原因となって、
和人とアイヌ民族との争い事が発生していること(寛政元年
一七八九年の
クナシリ・メナシの戦い)、
幕末期には、
沙流川周辺においては山田文右衛門という和人が沙流場所
(現在の苫小牧市から静内町にかけての漁場)を請け負い、右山田はアイヌの人々の主要な働き手を厚岸等の請負場所まで
出稼ぎとして連れて行き、これを酷使していたこと、地域によっては家ぐるみで別の場所に移転させられたこと、
安政五年 (一八五八年)、
北海道(蝦夷地)の調査をしていた松浦武四 郎が二風谷地域を訪れ、同地域に居住するアイヌの人々の人
数、年齢、生活の状況などを記録していること、松前藩は和
人とアイヌの人々を完全に分離し、交易等を通じた接触に止
める政策をとったため、アイヌの人々は民族として和人とは
異なる文化、伝統を維持し得たこと、江戸幕府は、北海道の
地に対するロシア勢力の進出を危倶していたことなどから、
一八世紀後半から一九世紀半ばころまでの間、
アイヌ民族を
和人化させるためにアイヌ民族に日本語を使用させることや
米を食べさせるようにすることなどのいわゆる同化政策を何
度か打ち出したが、アイヌ民族の強い反発などから、結局、
右政策は貫徹されなかったことが認められる。
▼この裁判所の事実認定から言えることは、江戸末期まで北海道は少なくとも松前藩の領地以外はアイヌの大地だった。
今後のアイヌモシリ回復においてこの裁判の意味は大きい。(2020.4.2)
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右認定事実に弁論の全趣旨を総合すれば、
江戸時代に幕藩
体制下の松前藩による統治が開始される以前に、二風谷地域
をはじめ北海道には、アイヌ民族が先住していた地域が数多
く存在しており、その後も、松前藩による北海道の統治は全
域に及ぶものではなく、アイヌ民族は、幕藩体制の下で大き
な政治的、経済的影響を受けつつも独自の社会生活を継続し、
文化の享有を維持しながら北海道の各地に居住していたこと
が認められ、
その後、後記(四)認定のとおり、アイヌ民族に対
し採られた諸政策等により、アイヌ民族独自の文化、生活様
式等が相当程度衰退することになつたことが認められる。
しかしながら、証拠(甲四七、証人大塚)、原告らによれ
ば、
現在アイヌの人々は、我が国の一般社会の中で言語面で
も、文化面でも他の構成員とほとんど変わらない生活を営ん
でおり、独自の言語を話せる人も極めて限られているものの、
民族としての帰属意識や民族的な誇りの下に、個々人として、
あるいはアイヌの人々の民族的権利の回復と地位向上を図る
ための団体活動を通じて、アイヌ民具の収集、保存、博物館
の開設、アイヌ語の普及、アイヌ語辞典の編さん、アイヌ民
族の昔話の書物化、アイヌ文化に関する講演等を行い、アイ
ヌ語や伝統文化の保持、継承に努力し、その努力が実を結ん
でいることが認められる。
(3)以上認定した事実を総合すれば、
アイヌの人々は我が国の統治が及ぶ前から主として北海道において居住し、独自の文
化を形成し、またアイデンティテイを有しており、これが我 国の統治に取り込まれた後もその多数構成員の採った政策
等により、経済的、社会的に大きな打撃を受けつつも、なお独自の文化及びアイデンティティを喪失していない社会的な
集団であるということができるから、前記のとおり定義づけ た「先住民族」に該当するというべきである。
(▼下線は引用者)
▼説得力のある事実認定と「先住民族」の定義づけ。すばらしい。
▼「我国の統治に取り込まれた後も」の表現が気に入らない。明治政府によって植民地化された後、と正確に表現すべき。(2020.4.3)
国連は2007年 先住民族権利宣言を採択した。
第28条にはつぎのように書かれている。
1.先住民族は、自己が伝統的に所有し、又はその他の方法で占有若しくは使用してきた土地、領域及び資源で、
その自由で事前の及び事情を了知した上での同意なしに、没収され、占拠され、使用され、又は損害を受けたものについて、
原状回復を含む方法により、それが可能でない場合には正当で公平かつ衡平な補償によって、救済を受ける権利を有する。
2.関係する民族が自由に別段の合意をしない限り、補償は、同等の質、規模及び法的地位を有する土地、領域及び資源という形態、
金銭的補償又はその他の適当な救済の形態をとらなければならない。
▼宣言28条を読むと日本政府はアイヌ民族に対して
大きな、大きな仕事をしなければならないことがはっきり見えてくる。 |
(四)アイヌ民族に対する諸政策
先住民族であるアイヌ民族が我が国の統治に取り込まれた後、
仮に少数であるが故に我が国の多数構成員の支配により、経済
的、社会的に大きな打撃を受け、これがため民族の文化、生活
様式、伝統的儀式等が損なわれるに至るということがあったと
すれば、このような歴史的な背景も、本件の比較衡量に当たっ
て斟酌されなければならない。
証拠(甲二一の三ないし六・八、証人田端、原告萱野)によ
れば、
明治政府は、蝦夷地開拓を国家の興亡にかかわる重要政策と位置付けて、これに取り組み、北海道に開拓使を送ったこ
と、
▼蝦夷地開拓を蝦夷地「植民地化」と読み替えること。(2020.4.3)
明治五年九月、
もともとアイヌの人々が木を伐採したり、狩猟、漁業を営んでいた土地を含めて北海道の土地を区画して
所有権が設定され、アイヌの人々にも土地が区画されたが、農
業に慣れていなかったことから、アイヌの人々が農業で自立す
ることは困難であったこと、
▼アイヌ民族は狩猟、漁業、林業が生業。農業ではない。(2020.4.3)
改修前の石狩川
(拡大)
|
明治六年、
木をみだりに切ること や木の皮を剥ぐことが禁止され、また、豊平、発寒、琴似及び
篠路の川の鮭漁に関して、アイヌ民族の伝統的な漁法の一つで
ある
ウライ(拡大)
|
ウライ網の使用(川を杭で仕切って魚が上れないようにし、
その一部分のみを開けておいてそこに網を仕掛けて採魚する漁
法)が禁止されたこと、
豊平のHP
▼豊平のHPを読むと実に無邪気なもので、自分たちがアイヌの大地への植民地主義者・侵略者であった、
との自覚が全く感じられません。(2020.4.3)
アイヌ民族の従来の風習で ある耳輪や入れ墨等が罰則を伴って禁止され、また毒矢を使う
アイヌ民族の伝統的な狩猟方法が禁止されたこと、
明治一一年、
札幌郡の川における鮭鱒漁が一切禁止されたこと、
▼鮭鱒漁が一切禁止。これは酷い。なぜここまで追い詰めるのか。(2020.4.3)
明治一三年、
チセ |
死者の出た家を焼いて他へ移るというアイヌの人々の風習等が罰則を伴って禁止され、更に、日本語あるいは日本の文字の教
育が施されるようになつたこと、
その後、千歳郡の河川において鮭の密猟が禁止されたり、アイヌ民族の伝統漁法の一つであるテス網による漁が禁止されたりした後、
明治三〇年には、
自家用としても鮭鱒を捕獲することが禁止されたこと、
このように魚類等の捕獲の禁止が強化されていったことや私人がアイヌの人々の開拓した土地を奪うようなことがしばしばあったこと
などからアイヌの人々の生活が困窮したため、
▼自家用としても鮭鱒の捕獲禁止。なぜここまで。
明治維新後30年間、アイヌ民族絶滅策が実施されたとしか思えない。明治政府は国外では明治27年に日清戦争を起こしている。
(2020.4.3)
明治三二年
裁判記録 二風谷裁判認定事実
529p
530p(拡大)
|
北海道旧土人保護法が制定され、農業の奨励による生活安定のため の土地給付等が図られたが、アイヌの人々に給与される土地は
法律で上限とされた五町歩をはるかに下回り、しかもその中に二割近い開墾不能地があったことなどから、アイヌの人々の生
活水準は極めて低いままであり、生活の安定を図ることはでき
なかったこと、
以上の事実が認められる。
右認定事実に弁論の全趣旨を総合すれば、前記のような漁業等の禁止は、主に漁猟によって、生計を営んできたアイヌの人々
の生活を窮乏に陥れ、その生活の安定を図る目的で制定された北海道旧土人保護法も、アイヌ民族の生活自立を促すには程遠
く、また、アイヌ民族の伝統的な習慣の禁上や日本語教育などの政策は、和人と同程度の生活環境を保障しようとする趣旨が
あったものの、いわゆる同化政策であり 和人文化に優位をおく一方的な価値観に基づき和人の文化をアイヌ民族に押しつけ
たものであって、アイヌ民族独自の食生活、習俗、言語等に対する配慮に欠けるところがあったといわざるを得ない。これに
より、 アイヌ民族独自習俗、言語等の文化が相当程度衰退す ることになったものである。
▼すばらしい認定と評価。(2020.4.4)
▲改めて読み返すと「二風谷ダム」判決は大いに使えそう。(2022.6.2)
▲この認定事実はそのまま国に対する謝罪を求める根拠となる。(2022.8.13)
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一 争点1 について
(原告らの主張)
本件収用裁決は、憲法二九条三項に違反する。
憲法二九条三項は、私有財産は正当な保障の下にこれを公共の目
的のために用いることができると規定しているが、これは一般原則
を定めたものに止まり、憲法の他の規定は条約更には事柄の性質に
照らして、そもそも収用自体が許されない場合に収用を行うことは
憲法二九条三項に違反するというべきところ、本件収用は次のとお
り同条同項に違反する。
すなわち、憲法一三条所定の個人の中には少数先住民族たるアイ
ヌ民族に属する原告らが含まれることは明らかであるから、同条は
我が国政府が我が国内に共存するアイヌ民族に対しても民族の尊厳
を最大限尊重し、それを損なったり、その文化そのものやその伝承
にマイナスの影響を与えてはならない義務を負う。
▼弁護団 まず収用は憲法一三条違反と主張。(2020.4.4)
また、我が国は、国連総会が昭和四一年(1966年)に採択した「市民的及び
政治的権利に関する国際規約」(以下これを「B規約」という。)を
昭和五四年(1979年)に批准し公布しており、その二七条は「少数民族の文化
享有等の権利を否定されてはならない」と定めている。それととも
に我が国は、条約法条約(いわゆるウィーン条約)を昭和五六年に
批准し、同条約は条約第一六号として公布されており、同条約二六
条には「効力を有するすべての条約は当事国を拘束し、当事国はこ
れらの条約を誠実に履行しなければならない」と規定されていて、
締約国の条約遵守義務を定めている。これらの規定と憲法九八条二
項の条約遵守義務の規定とを併せ考慮すれば、我が国政府は、少数
先住民族たるアイヌ民族の権利を侵害してはならないのは勿論として、
その権利行使が不十分でないよう諸々の政策を行うことを義務づけ
られているというべきである。
更に少数先住民族であるアイヌ民族は独自の言語と生活様式をも
っており、沙流川流域はアイヌ文化を育てた地であり、本件の土地
収用対象地である二風谷地域はその中心地域として、チャシなどの
遺跡が残存し、チプサンケなどの伝統行事が復活し毎年行われ、三
つのチノミシリというアイヌ信仰の聖地が現存している。したがっ
て、性質上金銭で補償することが到底できない土地である。
以上によれば、本件収用裁決は、憲法一三条及びB規約二七条等
に違反する違法なものであるから、そもそも収用手続の限界を超え
憲法二九条三項に違反した処分といわざるを得ない。
▼弁護団の説得力ある主張。(2020.4.4)
(原告らの主張)
(二)本件ダムにより失われる利益
アイヌ民族は、歴史的にみて主に本州から北海道に渡ってきた
アイヌ民族以外の日本人(原告らの用法に従って、以下「和人」
という。)よりはるか以前に北海道に先住し独自の言語・風俗・風
習を有していた先住民族であることが明らかである。
ところが、明治に入り、明治政府は、そのアイヌの人々の土地、
言葉、宗教、習慣、食物、生活資料の取上げとアイヌ民族消滅政
策ともいうべき民族の同化政策により、アイヌ民族の民族として
の存在すら否定しようとしてきたが、アイヌの人々は抑圧され差
別され窮乏化しながらも、アイヌ文化を伝承してきた。
▼「アイヌ民族消滅政策」。私が明治30年の箇所で感じたことを原告の
主張として展開されている。まさに民族抹殺政策だ。(2020.4.4)
▼金達寿著『日本の中の朝鮮文化1』(講談社文庫p34〜p36)を読んでいたら
「大磯の高麗神社は1897年の明治30年に高来神社にされている。…日本の
歴史が一貫して朝鮮というものを消し去ろうとしたことの一つあらわれ」の文章に出会った。
明治帝国主義政府のアイヌ民族、朝鮮民族蔑視の腹の底が見えた気がした。(2020.4.5)
二風谷地 域は、アイヌの人々が最も多く居住しているところであり、アイ
ヌの人々の居住人口の割合が高い地域で、民族の伝統的文化がよ
く保存されている地域であり、アイヌ文化の心臓部でもある。
元々文化は、目に見える形のあるもののみを指すものではなく
人の生き方人の生き様総体であり誕生から死亡までその
節々において様々な営みを行なう、その総体である。
文化というも のは、各構成要素が点で存在するのではなく、自然環境とリンク
して一体となった持続性のあるものである。そして、その中には、
自然と共生するという精神文化も含まれるし、イオルという空間
領域も含まれ、また民族に特有の神話的伝承も含まれる。
▼アイヌ民族の文化を知るのに格好の教材。(2020.4.4)
二風谷地域におけるアイヌ文化の要素等を掲げると、次のとお
りである。
オキクルミ伝説(拡大)
宇田川洋『アイヌ伝承とチャシ』90p
▲拡大して読んでください。正しい伝説の場所がわかります。(2022.8.15)
額平川沿いの切り立った山並みが重なり合う
荒々しい景観の中、一際切り立った岩肌が目立つ標高約 180m の崖山。 アイヌの伝承では
アイヌに生活文化を教えたとされるオキクルミカムイの好んだ荷負での拠点(住処)とさ
れている。
名勝ピリカノカに指定。 「平取文化的景観」より
|
(1)沙流川自体「サルンクル」と呼ばれる集団が多数居住してお
り、オキクルミのカムイ(神)がシンタと呼ばれた「揺りかご」に乗って降りてきて、アイヌ文化を作った場所である。
シンタ(拡大)
|
▼サルンクル(sar-un-kur un〜所 kur人)=沙流川の人。
門別川の人=モペドンクル(モペツ ウンクル)
鵡川の人=ムカウンクル 静内川の人=シペチャリウンクル 新冠の人=ニカプンクル(ニカプ ウンクル)
アイヌが相手を呼ぶ場合たいてい出身地を先に言うものである。サルンクル萱野茂という風に。
オキクルミカムイ=オキクルミの神。アイヌに生活文化を教えた神の名。沙流川に降臨したということでオキクルミの砦伝説などがある。
(「萱野茂のアイヌ語辞典」)
▼二風谷の聖地と言われる由縁がよくわかる。
(2)二風谷地域のアイヌの人々にとって、二風谷地域は「イオル」
空間であり、自己の民族的アイデンティティを確信できる空間
である。「出自集団」として小世界(小宇宙)を作っている。
(3)
沙流川に遡上するシェぺ(鮭のこと)は、アイヌ民族の食文
化の中で最も重要なものであり、アイヌ民族は自然との共生を
考えた捕獲方式をとってきた。
▼にもかかわらず明治6年石狩川上流の豊平、発寒、琴似、篠路でのウライ網漁は禁止された。(2020.4.5)
(4)チプサンケという伝統的儀式は、これを通じてアイヌ民族の
若者がイナウ等の祭具の作り方を学び、儀式の意義と方法を学
び、その中で民族の自覚を得る重要な機会である。
なお、アイヌの人々は、チプサンケに限らず、季節や生活、
人生の節目にカイムノミという儀式を行い、この儀式に参加す
ることで民族的自覚も芽生える。
(5)二風谷地域には
チノミシリという心の拠り所として、汚したり、
傷めたり、地形を変えたりしてはならない場所が三箇所ある。
アイヌの人々は、日常の中でチノミシリを意識しながら生活し
ている。
▼「二風谷では熊の姿岩のチノミシリ、カンカン向かいのチノミシリ、オケネウシのチノミシリ、
3か所あってそこへ神のお告げが聞こえたら村人全員が気をつけるものだ。」(「菅野茂のアイヌ語辞典」) |
(6)二風谷地域は、民族に特有の神話であるユ−カラ伝承の地で
ある。
(7)アイヌの人々は一つ一つの地形を大事にしている。一つ一つ
の地形が小さい川であれ、小さい湧き水であれ、文化伝承の場
所とされている。 本件水没地の沙流川右岸には、アイヌ語の地名が二三箇所も
付けられており、その一つ一つにアイヌの人々はカムイ(神)
の存在を認め、水を汲む場所、山菜の採れる場所各々において
カムイと対話している。
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以上述べたいくつかの要素等が総体としてアイヌ文化を形成
しているのである。
このように、二風谷地域は、アイヌ民族の歴史、伝説等に照
らし、
高度の文化的価値を有する地域であり、その景観的、風
致的、宗教的、歴史的諸価値は、将来にわたり、長くその維持、
保存が図られるべきものである。
本件ダムが
建設されると、ア イヌ民族の尊厳が否定されるばかりでなく、それまでの二風谷
地域の環境が損なわれ、土地の地形は著しく変更され、チャシ
の遺跡、神聖なチノミシリは破壊され、チプサンケの場所も水
没させられ、また、上流への鮭の遡上は不可能となる。
参加人(国)は、前述したとおり、明治政府成立以来、先住民族であるアイ
ヌ民族の土地、言葉、宗教、習慣、食物、生活資料を取り上げ
てきたのであり、更に、本件事業認定において、右のような二
風谷地域におけるアイヌ文化の存在そのものを無視したのであ
り、アイヌ民族の尊厳は、本件ダム建設により蹂躙されている
のである。
仮に、事業認定の目的に沿うダムを建設する必要性があると
したとしても、これをアイヌ文化の心臓部である二風谷地域に
建設しなければならない合理的必要性はない。
▼「アイヌ文化の心臓部である二風谷地域」。この叫びを国はどう受け止めているのか。(2020.4.5)
実際に、参加人は、本件事業計画を立案するに際し、本件二風谷地域にダムを
建設する案の外、その上流あるいは下流に建設する計画案を検
討し、結局、コンクリ−トの体積が最も少なく、経済的である
という理由により、中流案である二風谷地域を選択しているので
あるが、前述のような文化的価値の保全を重視するなら、いか ほどの費用を要するにせよ、
他の土地を選択するべきであった。
(▼因みにダム工事費をダム管理所に問い合わせたら約520億円ということだった。)
比較衡量の結果 土地収用法二〇条三号所定の「事業計画が土地の適正かつ合理
的な利用に寄与するものであること」という要件は、その土地が
その事業の用に供されることによって得られるべき公共の利益と、
その土地がその事業の用に供されることによって失われる利益と
を比較衡量した結果、前者が後者に優越すると認められる場合に
存在するものであると解されるところ、本件においては前者の公
共の利益は前述したとおり乏しいといわざるを得ない一方、後者
の利益は、世界の先住民の自主的権利尊重の潮流の下で正当に解
釈されるべき憲法一三条、B規約二七条に基づく少数先住民族た
るアイヌ民族の何物にも代え難い民族的価値である自己の文化を
享有する権利に属するものであって、このことは、争点1の原告
ら主張において既に述べたとおりである。
▼そのとおり。(2020.4.5)
そうであるとすれば、本件の認定庁たる建設大臣は、本件事業
計画の策定から、事業認定の申請、そして事業認定に至るまでの
間に、不当に軽視してはならずむしろ本来最も重視されるべきア
イヌ民族の尊厳や文化的価値を鋭意調査すべきであったところ、
次に述べるとおり、本件において二風谷地域にダムを建設するこ
とが持つアイヌ民族に対する民族的影響や文化的影響が考慮され
た事実はないのである(文化財保護法に基づく埋蔵文化財として
のチャシの調査を行ったのみであるが、この手続は法律上当然行
うべき手続であり、格別アイヌ文化とは関係がない。)。
以上からすれば、本件事業計画は土地収用法二〇条三号所定の
前記要件を満たすものとは到底いえず、本件事業認定とこれを前
提とした本件収用裁決は違法なものであり、取り消されるべきで
ある。
1994年萱野茂国会質問
陳述内容
萱野茂 裁判を終えるに あたって1
裁判記録505p (拡大)1
▲この部分はアイヌ語での陳述。日本人にはさっぱりわからない。
逆に言えば明治のはじめ、アイヌ民族はさっぱりわからない日本語の世界へ投げ込まれた。(2022.8.13)
|
萱野茂 裁判を終えるにあたって2
裁判記録505p(拡大)2
「あなたたちは、日本という、別の国から来た、別の民族なので、アイヌ語を聞いてもわからないのです。」
「その昔にアイヌのおばあさん、アイヌのおじいさんが、日本人を見たら、鬼(nikne-kamuy)
よりもおそろしがった」
▲「鬼よりもおそろしがった」、当事者の抱いた感情。アイヌ民族に対する恐怖政治。和人、自覚すべし。(2022.8.13)
|
萱野茂 裁判を終えるにあたって3
裁判記録506p(拡大)3
「4万箇所のアイヌ語地名があると考えられます。」
「でっかい島を日本人に売った覚えもないし、貸した覚えもない、日本人よ 年貢ぐらいだしたらいいでしょう。(『アイヌの碑』)今もその考えは変わって
いないのであります。」
▲「日本人よ 年貢ぐらいだしたらいいでしょう。」
我々の目指す裁判はアイヌモシリ回復と年貢(地代)の請求。(2022.8.13)
|
萱野茂 裁判を終えるにあたって4
裁判記録506p(拡大)4
「アイヌ語の地名の上を歩きながら
「無主地」とは呆れてものも言えないというのがアイヌ民族、私の偽らざる気持ちです。」
▲どんな法律論よりも説得力がある。(2022.8.13)
|
萱野茂 裁判を終えるにあたって5
裁判記録507p(拡大)5
「チノミシリ、最後まで誰にも教えたくなかった。民族の心の部分
であったのだ。鮭のことにしても、侵略者によって主食をうばわれた民族は、世界中で、アイヌ民族だけですよ。」
▲謝罪と補償は当然。今準備中の裁判はやはりこの思いの継続。(2022.8.13)
萱野茂さん
「あるダムの履歴書 3」 「日本の国は知らん顔して、しらっぱくれて」
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貝澤耕一さん陳述書 父の願い1
父の願い2
1996年12月19日 裁判記録508p(拡大)
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「あるダムの履歴書 4」(拡大)
「あるダムの履歴書 6」1996年(拡大)
|
「先祖の残してくれた大地に小屋を建て、湖水の底の人柱となる
決心を固めている。そうでもしなければ、先祖のところへいっても、なんとも弁解のしようもない。アイヌモシリ破壊を認めた責任をとらなければ
ならない。」 父はこの言葉を残して1992年この世を去った。
▲左上「チノミシリの一つを削り取って工事用のクレーンを設置」
▲左。ダム建設で壊されたペウレプウッカでご先祖に詫びる儀式を執り行う耕一さん。
つらい光景。
▲耕一さん、だから、やっぱり「アイヌモシリ回復」訴訟ではないですか。
(2022.8.18)
|
本件事業認定が違法であり、その違法は本件収用裁決に承継されるから、
▼あれあれ、ここからがおかしい!(2020.4.5)
本来であれば本件収用裁決を取り消すことも考えら
れるが、既に本件ダム本体が完成し、湛水している現状においては、本
件収用裁決を取り消すことにより公の利益に著しい障害を生じる。
ダムの砂地に雪が積もった
画像貝澤耕一さん(2021.10.31)
|
▼これはないでしょう、裁判長!これでは違法をやって
先に事実を作った者が大手振って歩くことになるでしょう。法治国家で許されるのですか。(2020.4.5)
他方、チヤシについて一定限度での保存が図られたり、チプサンケについて代
替場所の検討がなされる等、不十分ながらもアイヌ文化への配慮がなさ
れていることなどを考慮すると、本件収用裁決を取り消すことは公共の
福祉に適合しないと認められる。
▼違いますね。(2020.4.5)
よって、本件収用裁決は違法であるが、行政事件訴訟法三一条一項を
適用して、原告らの本訴訟をいずれも棄却するとともに本件収用裁決が
違法であることを宣言することとする。
▲これを事情判決というらしい。はじめて知る。『アイヌ民族二人の反乱』から。(2023.11.11)
(拡大)
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事情判決1
本田勝一(拡大)
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事情判決2
弁護士・房川樹芳 (拡大)
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事情判決3
行政事件訴訟法31条1項(拡大) ▲この規定は酷すぎる。(2024.12.9)
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事情判決4
「先住民族」の認定意義も結論で損なわれた。(拡大)
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▼裁判長は法律家として最大限の論理と誠意で原告の主張を吟味して、
国の事業認定を違法、との正しい結論を導きながら、最後の最後で「ダム本体が完成し、湛水している現状」では収用裁決を
取り消すことは「公共の福祉」に適合しないと、とんでもない判断をしてしまっている。
物事の判断というのは、知性よりも、論理よりも、すぐれて人間としての勇気・胆力の問題である。肝心のところで筋を曲げては
人間として尊敬されない。残念である。
この事件の結論はダムを壊し、二風谷に元の景色と生活を回復させることである。
日本人としてアイヌの人たちへの償いと責任である。わたしはそう考える。例えば伊勢神宮がダムで水没してしまう!
多くの日本人はどう思うか。そのような想像をはたらかせてほしい。(2018年7月6日)
▼次の年表を見てほしい。判決が出た1997年はどのような時代であったか。 |
1989年 H1
スイス・ジュネーブでのILO総会は、過去の同化促進を否定し、先住民族の固有性、社会的、
経済的文化的発展のためILO・107号条約から、ILO・169号条約に改正。
日本政府は、内閣内政審議室を中心に10省庁からなる「アイヌ新法問題検討委員会」を設置
1990年 H2
国連総会は1993年を「世界の先住民のための国際年(略称 国際先住民年 )」とすることを採択。
1991年 H3
国連先住民作業部会エリカ・イレーヌ・ダイス議長一行、アイヌ民族の地位を視察。シンポジウムが東京と札幌で開催された。
1992年 H4
ニューヨーク国連本部総会会議場で行われた国際先住民年(▼コロンブスから500年)
の開幕式典に世界の先住民族から18人、2 団体が招待され、
理事長野村義一がアイヌ民族を代表して記念演説
1993年 H5
グァテマラ先住民リゴベルタ・メンチュウ・トゥム(1992年ノーベル平和賞受賞者、国際先住民年国連親善大使)
を北海道に招待、アイヌ代表と交流 国際先住民年を記念して様々な催物が日本国中で開催され、アイヌ民族の理解促進が図られる契機となった。
国連は、1994年12月10日から「世界の先住民の国際10年」の開始を決議
1994年 H6
国連は、「国際先住民の10年」の間、毎年8月9日を「国際先住民の日」として祝うことを決議
1995年 H7
連合政権(自由民主党、日本社会党、新党さきがけ)に、アイヌ新法検討プロジェクトチームを設置
「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」(内閣官房長官の私的諮問機関/座長伊藤正巳)設置
1996年 H8
「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」の報告書提出
|
▼このような動向から見ると「先住民族」を認めた意義はとても大きいが
「公共の福祉」に引きずられた判決と言わざるを得ない。(2018年7月6日)
▼私は今このつづきの裁判を準備しています。(2020.4.5)
▼一宮 和夫裁判長に聞いてみたい。「なぜダム破壊の判決を出さなかったのか」(2021.7.29)
二風谷ダムの建設について
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=251
昭和44年3月 (1969)沙流川水系工事実施基本計画決定
48年4月 沙流川総合開発事業実施計画調査に着手
12月 平取町、門別町計画調査に同意
57年8月 平取町が「生活再建相談所」設置
59年3月 (1984)「沙流川総合開発事業に伴う損失補償基準」妥結調印
9月 平取町、ダム着工に同意 ▲議会、二風谷の地元にどのような説明が行われたか?
(2022.9.12)
60年3月(1985) 「水源地域対策措置法」に基づくダム指定
12月 門別町、ダム着工同意 ▲議会、地元にどのような説明が行われたか?
(2022.9.12)
61年4月 土地収用法に基づく事業認定申請
9月 二風谷ダム堤体工事発注
12月 事業認定の告示
62年11月 (1987)北海道開発局、貝沢正氏と萱原茂氏の所有地の強制収用、明け渡しの採決を北海道収
用委員会に申請
平成元年2月 (1989)北海道収用委、両氏の所有地の強制収用を認めると採決
2月 両氏、土地買収の補償金の受取りを拒否
3月 両氏は、建設省に採決取り消しの審査請求と、強制収用の執行停止を申し立てる
▲訴訟の開始(2022.9.12)
3年3月 札幌国税局、両氏の補償金計2900万円を差し押さえる 所得税など計 570万円を強制徴収
12月 二風谷ダムアイヌ文化博物館開館
4年2月 (1992)貝沢正氏死去、子息耕一氏訴訟を受け継ぐ
5年4月 (1993)建設省、採決不服審査請求、強制収用執行停止の申し立てを棄却
5月 両氏(原告)、北海道収用委員会(被告)を相手取り、収用採決取り消しを求めて札幌地裁に提
訴
7月 二風谷ダム裁判初回口答弁論
10月 被告側の国の補助参加認める
6年2月 (1994)原告側は日本に少数先住民族のアイヌ民族が存在するか、二風谷でアイヌ民族が独自の
文化をもって暮らしているかについて、被告側に見解を求めた。
7月 萱野茂氏、参議院議員となる
10月 被告側は、アイヌ民族は少数民族であり二風谷ダムにアイヌの人々が独自の文化を持ちながら暮
らしていると回答
11月 被告側はアイヌ民族が先住民族かどうかを認否する必要はないと回答
8年4月 (1996)二風谷ダム試験湛水開始
6月 試験湛水終了
8月 ダムの水抜きが行われ、旧会場でチプサンケ(舟おろし祭)が行われる
12月 裁判結審
9年3月 (1997)判決・両氏の土地明渡し請求を棄却した。
・北海道収用委員の強制裁決は違法である。
アイヌ民族は先住民族に該当すること、先住民族の文化享有権を認めた。
・収用裁決は取り消さなかった。二風谷ダムの水抜きは公共の福祉に適合しないとした。
4月 国、北海道収用委は控訴せず
▲訴訟の終了(2022.9.12)
▲1969年沙流川水系工事実施基本計画決定から1997年裁判の確定まで28年。
1989年強制収用執行停止申立からだけでも8年。「アイヌモシリ回復訴訟」も10年はかかる。(2021.10.31)
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▲『アイヌが生きる河』279pより 数か月後東京で報告会が開かれた。貝澤耕一が壇上に上がった。
「この判決が出て、二風谷で祝ってくれる者はいないのです。」 ショック!(2022.8.22)
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7月 「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識及び啓発に関する法律」(アイヌ文化振興
法)の施行
「北海道旧土人保護法」の廃止
アイヌ文化振興・研究推進機構の発足
8月 ダム下流の代替地でチプサンケ開催
チプサンケとは別に二風谷湖水祭りが初めて開催
10月 二風谷ダム完成式典
10年4月 (1998)二風谷ダム管理所発足
7月 沙流川歴史館開館