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2017年度大学主催秋季人権問題講演会
    「関学の人権教育に期待するもの 〜部落問題の講義を40年間担当して」

            (部落解放・人権研究所名誉理事)友永健三氏
▼友永さんの講義の目次
《はじめに》
《部落問題の講義の開始と展開》
《第1講:部落問題入門》 
     寄り道:アメリカ黒人差別フロイド事件
《第2講:水平社宣言と水平社の歩み》
     寄り道:高橋貞樹『被差別部落一千年史』  プラウダの記事 
      中江兆民  「賤民廃止令」と日本の民衆  美作騒擾(みまさかそうじょう)
《第3講:戦後の部落解放運動の再建と国策樹立請願のとりくみ》
    特別コーナー「解放への国民大行動」 大賀正行『部落解放理論の根本問題』
《第4講:「特別措置法」に基づくとりくみの成果と課題》
     寄り道:ノーベル平和賞ムハマド・ユヌスさん  15兆円の同和対策事業
《第5講:人権の概念〜世界人権宣言と国際人権規約@》
     寄り道:障害者施設「津久井やまゆり園」
《第6講:人権の概念〜世界人権宣言と国際人権規約A》
     寄り道:哲学者マルクス・ガブリエル
《第7講:差別撤廃の国際基準〜人種差別撤廃条約を中心に》
     政府が「部落問題は条約の世系にあたる」と表明すれば
《第8講:同和教育の歴史と人権教育》
     日本において人権確立を困難にしている風習や制度
《第9講:今日の部落差別をどう捉えるか?》
     私たちに求められているのは、部落をなくすことなのでなく、部落差別をなくすことなのです
《おわりに》

《はじめに》
 皆さんこんにちは。ただ今、紹介いただきました友永といいます。 実は2016年度まで40年間、関学で部落問題についての 講義をしてきました。去年、急激に両腕と両足の筋力が落ちて一時期は車いすで生活をせざるを得ない状態になり、 関学で講義を行うことが難しくなってしまったので別の方に交代していただきました。 よく大学の先生方がお辞めになるときには最終講義をされますが、私が今からお話ししますのは、 40年間関学で部落問題について講義をしてきて、どのようなことを受講生の方に訴えたかったかということを 最終講義のような気持ちで、その機会を与えていただいたと思ってお話させていただきたいと思います。
 皆さんのお手元にパワーポイント画面を4枚1ページに印刷したものと資料@と書いたプリントの二つが配布されていると思います。 両方使って説明しますので、お手元に用意していただければと思います。
▼本HPで取り上げる主な項目の関係年表 
 905年(延喜5)「延喜式」編纂開始→ 927年(延長5)「延喜式」完成→ 967年(康保4)「延喜式」施行
1778年(安永7)御触書
1871年(明治4)解放令
1873年(明治6)美作騒擾
1906年(明治39)藤村『破戒』
1922年(大正11)「全国水平社」創立
1923年(大正12)プラウダ記事(水国争闘事件)
1924年(大正13)高橋貞樹『特殊部落一千年史』
1925年(大正14)世良田事件
1933年(昭和8)高松結婚差別裁判
1946年(昭和21)2月水平社再建(「部落解放委員会」として)
1951年(昭和26)オールロマンス事件
1955年(昭和30)部落解放委員会を「部落解放同盟」に名称変更
1958年(昭和33)東京大集会
1965年(昭和40)同和対策審議会答申 国連・人種差別撤廃条約
1988年(昭和63)反差別国際運動結成
▼今日あらためてこの年表を見ると勉強していないのが「延喜式」。藤村の『破戒』は読み直すことで 16年後の「全国水平社」創立の意味も一層理解でき、高橋貞樹『特殊部落一千年史』がきっちり歴史的に位置づけられると感じています。(2020.5.14)

《部落問題の講義の開始と展開》
 関学で部落問題が教えられるようになったのは1973年からです。 今でこそ関学では部落問題だけではなく、さまざまな人権課題についての講義がありますが、 昔からずっとあったわけではありません。
 きっかけは、1971年にあった学内の教員による差別発言です。それについては皆さんのお手元にある資料@に詳しく載せています。 非常勤の講師の方がアメリカの黒人問題と部落問題とを結び付けて講義されたのですが、その中で部落問題を取り上げる際に差別的な意味 合いを持つ「特殊部落」という言葉を使用されました。当時、学生の中に部落問題についての研究会があり、その研究会に所属していた学生 がこれはおかしいのではないかということで問題提起をしました。このようなことが起きたのは関学が部落問題にまったく取り組んでこなか ったのが原因ではないかということで大学側に提起し、その提起を大学が受け止め、関学として部落問題について取り組んでいくということ になりました。 そのような経緯で1973年に全学開講の総合コースとして部落問題についての講義が始まりました。
 現在は部落差別と人権のAとBのセメスター制で、前期と後期というかたちになっていると思います。私は1976年から2016年度までの ちょうど40年間、部落問題についての講義を担当しました。
 年によって受講生の数が変わりますが、毎年100人の受講生がいたとすると、 これまでに合わせて4,000人の方に私の話を聞いていただいたということになります。 また、関学では部落問題を担当するのは主として非常勤講師ということになっているのですが、関学の先生2、3人の方に補佐役として授業 をフォローしていただいていました。その先生方が1年に3人おられたと考えると40年で合計120人の先生方に私の講義を聞いていただいたことになります。
 どのくらいの効果があったのかは分かりませんが、振り返ってみますとかなりの人数の方に私の部落問題の講義を聞いていただきました。 年によって講義の時間数は変わりましたが、大体、年に9回講義を担当しました。今日はそれぞれの講義の中で一番訴えたかったことについてふれてみたいと思います。
《第1講:部落問題入門》
 最初の講義では部落問題入門、あるいは部落問題をどう考えるかということについて話をしました。ここに3点、特に強調したいことを掲げています。
一つ目は「寝た子を起こすな論(自然解消論)」、
二つ目は「個人的な問題ではなく、社会的な問題」、
三つ目は「光と影の両面からとらえることが必要」 ということです。一つずつ説明したいと思います。

 部落問題で最初に整理しておかなければならない問題は、自然になくなる、「寝た子を起こすな論」(自然解消論)では部落問題は 解決しないということです。 各自治体が行った市民の人権に関する意識調査の結果を見ると、3割ぐらいの方が部落問題は自然になくなるものだと思っているという結果 が出ています。今日、私の話を聞いてくださっている皆さんの中にも同じように思っている方がおられてもおかしくないと思います。
 私は50年間部落問題について研究し、活動してきましたが、その経験からいえることは、部落問題について語らなかったら、いつまでも 部落差別はなくならないということです。なぜかというと、部落問題について間違った考え方を持った方が日常生活の折にふれて時にふれて 間違った考え方を何も知らない人に教えてしまうからです。これが部落問題がなかなか解決しない大きな理由の一つです。
▼わたしが「マイノリティーの声」のホームページを作らなければいけない、 とおもった直接の動機はこの箇所を読んだからです。
▼「部落差別の語り部」について。
東京大空襲、沖縄地上戦、広島・長崎の被爆等の体験を後世に伝える「語り部」の高齢化がしばしば報じられています。 この体験が風化することの危機感からです。 部落差別について考えました。これはむしろ風化してくれればいいのに。しかしそうはいきません。 ちゃんと「語り部」がいたのです。以下お読みください。(2019.10.26)


間違ったことを聞かされることが一番多い時期は小学校に入学した前後です。もう一つは青年期です。
 なぜ小学校に入った頃に間違ったことを聞かされてしまうのでしょうか。小学校入学前のことを思い出していただいたらお分かりいただけ ると思いますが、幼少期の頃は隣近所の子ども同士でしか遊びませんね。ところが小学校入学すると、小学校区域というものができます。それに ともなって交際範囲が広がります。学校が終わるとランドセルを家に置いて遊びに出掛けるわけですが、友だちの家に遊びに行くと親に告げると 親はどこに遊びに行くのかと聞きます。そこで子どもが誰々の家だと言うと、それが今まで聞いたことのない、遊んだことのない子どもの場合は、 その子がどこに住んでいる子かを聞きます。どこそこだと子どもが答えて、その場所が被差別部落だった場合、多くの親はやめておきなさいと 言います。子どもがなぜやめないといけないのかと聞くと、親はあそこは柄が悪くて怖いところだから行かない方がいいと言うわけです。これが 何も知らない子どもへ部落問題が伝わる非常に多いケースです。
 もう一つは青年期です。恋愛、結婚問題を通して伝わります。子どもが働き出して帰りが遅くなると親は心配して寝ないで帰りを待っています。 そこに子どもが帰ってくると、親はこの頃帰り遅いようだが、誰か付き合っている人でもいるのかと聞きます。そこで子どもが付き合っている人 がいると答えると、親は恋愛はいいが結婚する相手は部落の人や在日コリアンの人は駄目だと釘を刺すわけです。青年は正義感が強いですから、 そんなお父さんの考え方は古いと言って反抗します。しかし、親は、おまえは世間を知らないだけだと言って差別意識を植え付けるような発言 をするのです。これが部落差別が広がってしまう感染経路です。
 ですから学校教育などで部落問題を教えないと、間違った考え方だけが一方的に出回ってしまうことになります。 近年、それにプラスしてインターネット上に部落差別に関する情報がたくさん載せられるという問題が出てきました。 皆さんは私よりスマホなどを使っておられると思いますのでお気付きだと思うのですが、試しに「部落」と打ち込んでみてください。 おびただしい情報が出てきます。その情報の7、8割は偏見に基づく差別的な情報です。参考になるような情報は多くはありません。
▼ならばインターネット上で正しい情報を発信しなければ、とおもいました。

私たちが思っている以上に若い人たちはインターネット上で間違った情報にさらされていることになります。こうしたことから 学校教育や社会教育、市民啓発、職場研修で部落問題を学ぶことが重要なことかが分かると思います。

 二つ目は個人の問題ではなく社会的な問題であるという考え方です。
▼友永さんはまず最初に部落問題は自然解消論では解決されないと述べられたあと、これは 「個人的な問題ではなく、社会的な問題」と説明されます。

私は50年間部落問題に携わってきました。その中で、部落出身を理由に結婚を反対された結婚差別事件が数多くありました。 差別された男性が自ら命を絶った例、逆に女性が命を絶った例もあります。そうした例が五つあります。
 その中の一つに私が事務局として担当した結婚差別事件があります。大阪の茨木市にある部落の青年が結婚差別を苦にして亡くなった事件です。 2人は高校時代から付き合っていました。男性は卒業後、大阪市の水道局に勤め、女性は茨木にある専売公社、現在は日本たばこ株式会社ですが、 そこの工場に勤めました。 5年ほど付き合い、お互いの家を行き来するほどの親しい仲になり、そろそろ結婚したらどうだということになりました。 女性は父親を早く亡くし、母親と一緒に生活していました。女性にはお兄さんがいたのですが、 そのお兄さんが父親代わりのことをしてやらなければならないということで、仕事を一日休んで結婚相手の男性のお父さんの出身地である 京都の亀岡に行って、聞き合わせをすることにしました。
 聞き合わせというのは、この人はどういう人かということを聞いて回ることですが、 それで男性の父親が部落の出身だということが分かったのです。そして家に帰って家族会議を開いて、おまえが結婚しようとしている人は部落出身 だったということを話しました。最終的に家族会議の結論としては、その男性との結婚は反対ということになりました。 相手の男性はそのようなことが女性の家で行われているとは知らず、普段通りに女性の家に遊びに行ったところ、母親が出てきて、 申し訳ないけれども今までの話はなかったことにしてほしいと言われ、門前払いされてしまいました。男性はなぜこのようなことになったのか ということで3か月間悩み、最後は遺書を残して自ら命を絶ってしまいました。
▼現在でも!とおもうと心が痛む。

私はその事件を担当し、いろいろ経過を調べてみたところ、聞き合わせ、身元調べをしたお兄さんがもっとも強硬に結婚に反対した ということが分かりました。そこで、残された男性の家族と私たち運動団体とでお兄さんに事情を確認したことを今でも覚えています。 私たちはお兄さんにとにかく真実を話してくださいとお願いをしました。
なぜ部落出身と分かった時点で反対したのですかと尋ねたところ、お兄さんは二つ理由を挙げました。
 一つ目は自分が小・中学校の時の同級生にいた被差別部落の子が変な目で見られていた。 だから自分の妹に子どもができた時に同じ目に遭うのではないか。それは不憫だというわけです。
 二つ目の理由は、自分の出世の邪魔になるかもしれないということでした。女性のお兄さんは電電公社、現在のNTTに勤めていました。 将来は課長にもなりたいし、部長にもなりたい。 いわゆる出世を夢見ていました。しかし、何かの拍子に自分の妹が部落の男性と結婚した と分かると自分も部落の人と見られるかもしれないから困るというのです。
 私たちは、なぜ被差別部落出身だと間違われたらいけないのかと問いました。すると職場で折にふれて部落問題が話題にのぼることあるが、 ほとんどの場合、悪い意味で話されているのだということでした。将来、出世をしたいと思っているのに、自分が被差別部落出身だと見られると 不利になるから反対したのだとはっきり言いました。
▼悲しいかな、残念ながら日本社会・世間の現実。

直接の加害者は結婚に一番反対したお兄さんだということは非常にはっきりしています。 私たちはこの事件を茨木結婚差別事件と名付けています。
 しかし、このお兄さんを責めるだけでは、この問題は解決しません。なぜお兄さんが部落の人をこのような眼で見るようになったのかというと、 小・中学校時代、お兄さんの周りにいた部落の子が変な眼で見られていたという現実があったからです。 また電電公社という公的な職場であるのにもかかわらず、部落問題が差別的な意味で話題になっていたということがありました。 このように部落問題が事件として現れる場合、個人が責任者として浮かびあがってきますが、必ずその人を生み出した家庭、 地域社会や職場があるのだということを分かっていただきたいと思います。
 この事件は、今から40年以上も前に生起したものですが、この事件が明らかにした結婚差別の実態は、今日も変わっていないと思います。 なお、この事件などをきっかけに大阪市水道局やNTTでは、職場内で部落問題の研修がとりくまれています。私の講義を聞いたあと、みなさまの家で家族の方と部落問題について話し合ってみてください。 すると自分の身近な人が部落問題についていかに偏った考えを持っているかということに驚くと思います。 部落問題というのは、どこかで誰かが差別しているという問題ではなく、極めて身近な問題だということです。 これが二つ目に訴えたかったことです。

 三つ目は光と影の両面からとらえることが必要だという考え方です。
これは私が関学の講義から学んだことです。 講義ではお伝えしたいことがたくさんあるために、ほとんど討論の時間を持つことができません。 そのため別の時間を設けて希望者だけで懇談会を行ったところ、20人ほどの受講生が参加してくれました。 私は話をせずに、学生に部落問題についての講義の感想を話してもらいました。すると、同じことを言った学生が2人いました。
 部落問題の講義を受けたことで部落差別がどれほどひどいかということが分かった。 この講義を受けるまでは、日本には部落問題はないと思っていたけれども、そうではないということがよく分かったということでした。 ここまではよかったのです。そのあとに、でも、もし今付き合っている人が部落出身の人だったとしたら、 その人と結婚できるかどうかと問われれば、2人ともできないと答えたのです。私がなぜかと問うと、もしその人と結婚したら、 自分まで部落の人だと見られていろいろな場面で世間から差別を受けるかもしれない。それを想像するとつらくて我慢できないというわけです。
 私はこの答えを聞いて非常に考えさせられました。部落問題を多くの人に分かってもらうためには、部落差別事件や部落の実態を語らなければなりません。しかし、それだけで終わってしまうと、今、皆さんに紹介したようなことになってしまいます。部落差別の厳しさは理解してもらえるけれども、それなら部落とは関わらないようにしようという結果になってしまうということです。 これをどのように克服するかと考えた時に、物事には光と影の両方があるということに思い至りました。
▼友永さんの話に惹かれていきます。

 これは日本古代史の研究者、上田正昭先生(故人)に教えていただいたことです。上田先生は、歴史というのは光と影の両方から見てはじめて全体像が明らかになるということをずっと言っておられました。部落問題もこれと同じです。部落の人たちの中には差別に耐えきれず自ら命を絶ってしまった方もいますが、厳しい差別を乗り越えて生き抜いてきた方たちもおられます。それだけではなく、部落の人々は皮革産業、食肉産業などの日本の重要な産業を担ってきました。また、多くの日本を代表する文化は、その文化が生み出された当時の被差別民が担っていました。歌舞伎や能がその例です。龍安寺の石庭をつくりだしたのも被差別民です。 あるいは人権という面についてもそうです。のちほど水平社宣言について紹介いたしますが、水平社宣言こそが日本の人権宣言だといわれています。 その水平社宣言は誰がつくったのか。まさに部落の人たちがつくったものです。差別をはねのけて生き抜いてきた、あるいは産業や文化を担ってきた、 人権という面を切り上げてきたのだということも併せてお伝えするようにしてきました。
▼人間、誇りが大事。昔、若いころアメリカ共産党の書記長W・フォスターが書いた『黒人の歴史』を読みました。 黒人が自分たちの誇りを取り戻すための本だったと記憶しています。

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「ブラック ライブズ マター」
2020.5.30朝日新聞朝刊
▼ショック。警官が手錠をかけうつ伏せにさせた黒人ジョージ・フロイドさんの首をひざで押さえつけ殺してしまった。
東京新聞2020年5月30日 13時59分 【ニューヨーク=赤川肇】
事件を巡る抗議活動は全米に広がり、ミネアポリスでは一部が暴徒化して警察署が放火。

トランプ大統領は二十九日、ツイッターに「不良どもがフロイドさんの名声を汚している。 略奪が始まれば、狙撃が始まる」と書き込んだが、ツイッター社は「暴力賛美」と判断し、 投稿が自動表示されないよう措置を取った。
 国連のバチェレ人権高等弁務官(前チリ大統領)は二十八日付の声明で、 米国の警官らが歴代にわたり丸腰の黒人を殺害してきたと非難し、再発防止に向けて「米当局は本気で行動すべきだ」と指摘した。
2020.6.3朝日新聞朝刊

▼私の考えもバチェレ人権高等弁務官と同じ。「米当局は本気で行動すべき」。(2020.5.31)
2020年5月30日 09:48 | 千葉日報無料公開
歌手テイラー・スウィフトさんは、トランプ氏の主張に反応。「白人至上主義や人種差別の火をたきつけておいて、 暴力で脅す前に道徳性を装うの?」とツイッターに投稿した。
▼右の記事はすばらしい。
ジータ「これは有色人種の間であまりにも多く起こっている話だ。人種差別に終止符を打ち、 厳しい罰で対応する時が来た」
タイガー・ウッズ「私の思いはフロイドさんとともにある。この衝撃的な悲劇は明確に一線を越えた。建設的で 率直な話し合いを通じて、より安全で調和の取れた社会を築けるように望む」
サッカーのドイツ・リーグでは選手が一部選手が「フロイドさんに正義 を」とシャツやユニホームに書いた。

このような紹介である。救われた。日本のアスリートも見習ってほしい。 (2020.6.3)
 ミネソタ州(Wikipedia)
ミネソタ州ミネアポリス市は、1968年に、チッペワ族(オジブワ族、またはアニシナアベ族)によって 「アメリカインディアン運動(AIM)」が創設されて本部が置かれた、インディアンの全米規模での権利運動の端緒となった土地である。 1960年代に高まり、文字通り全米を揺さぶった彼らの実力行使運動は、キング牧師ら黒人の公民権運動「ブラック・パワー運動」とも連携し、 「レッド・パワー運動」と呼ばれた。
「アメリカインディアン運動(AIM)」と 黒人団体との決定的な方針の違いは、黒人たちがアメリカ社会への公平な参加を求めた 「市民権運動」だったのに対し、インディアンたちの要求は合衆国と本来対等なインディアン部族の主権の確認を求めた、 「権利の回復運動」であることだった。
▼今日、新しい勉強をしました。「アメリカ独立宣言にも1787年の合衆国憲法にも黒人奴隷への言及はありませんでした。 人種差別禁止や平等な選挙権がかなったのは1964年の公民権法ができてからのことです。」(2020.7.16朝日新聞朝刊代々木ゼミナール講師佐藤幸夫さん) 合衆国憲法を読む事(2020.7.20)
wikisource合衆国憲法
修正第2条
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、 これを侵してはならない
修正第5条
何人も刑事事件において、自己に不利な供述を強制されない。また、正当な法の手続によらないで、 生命、自由又は財産を奪われることはない。
修正第1条から修正第10条まで(権利章典)は1791年12月15日に確定。

修正第13条
第1節
 奴隷及び本人の意に反する労役は、当事者が犯罪に対する刑罰として正当に有罪の宣告を受けた場合以外は、 合衆国内又はその管轄に属するいかなる地域内にも存在してはならない。
第2節
 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条の規定を施行する権限を有する。
修正第13条は1865年12月6日確定。

修正第14条
第1節
 合衆国において出生し、又はこれに帰化し、その管轄権に服するすべての者は、合衆国及びその居住する州の市民である。 いかなる州も、合衆国市民の特権又は免除を制限する法律を制定又は施行してはならない。 またいかなる州も、正当な法の手続によらないで、何人からも生命、自由又は財産を奪ってはならない。
修正第14条は1868年7月9日確定。

修正第15条
第1節
 合衆国市民の投票権は、人種、体色又は過去における労役の状態を理由として、 合衆国又は州によって拒否又は制限されることはない。
修正第15条は1870年2月3日確定。

▼気になる条項を拾い出しました。武器保有が修正第2条に、デイユープロセスが修正第5条、修正第14条、 反差別が修正第13条、修正第14条、修正第15条に規定されていました。(2020.7.21)
▼アイヌ民族のアイヌモシリ回復訴訟もインディアン部族の「権利回復」運動に近い。(2020.7.13)
▼昨日ミネソタを勉強していて、レッドパワー運動に出会いました。アイヌ民族の立場と近いことに気づきました。「アイヌ民族」の頁で レッドパワー運動を勉強してみます。(2020.7.14)
 アフリカ系アメリカ人公民権運動(Wikipedia)
アフリカ系アメリカ人公民権運動(African-American Civil Rights Movement)とは、主に1950年代から1960年代にかけて、 アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動である。
北アメリカにおける奴隷制度の導入は、1607年にイギリス人がバージニア植民地に初めて入植した直後 (日本では江戸幕府が開かれた頃)に始められ、1776年に独立した後もそのまま続いた。
奴隷制度のもと、17世紀から19世紀にかけて、およそ1,200万人のアフリカ人が、政府とその委託を受けた業者により誘拐された上に取引されて、 アメリカ大陸に強制的に連れて行かれ[2][3]、そのうち5.4%(645,000人)が現在のアメリカ合衆国に連れて行かれた[4]。 1860年のアメリカ合衆国の国勢調査では、奴隷人口は400万人に達していた。
1860年11月に行われた大統領選挙では奴隷制が争点のひとつになり、 奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーンが当選した。 これに対して奴隷制度存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、 アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で1861年に「南北戦争」が始まった。
南北戦争は奴隷制度の存続に批判的な北部が勝利する形で1865年に終結し、 その後連邦議会が奴隷制度廃止や公民権の付与、黒人男性への参政権の付与を中心とした3つの憲法修正条項 (アメリカ合衆国憲法修正第13条・14条・15条 1866年6月13日に提案され、1868年7月9日に批准された。)を追加したことで、 黒人奴隷の「解放」が表向きは実現したことになっていた。
▼日本の「えた・非人の称」の廃止は1871年。ほぼ同時期。(2020.7.15)
1875年に公共施設での黒人への人種差別を禁止した公民権法が制定された(久保田きぬ子「アメリカの公民権法=1世紀にわたる 理性の戦い」1875年の公民権法は旅館、交通機関、劇場その他の娯楽施設の利用における完全な平等を規定)。
しかし1883年の公民権裁判での最高裁の判断は、「アメリカ合衆国で生まれた(または帰化した)すべての者に公民権を与える」 とした「修正第14条は私人による差別には当てはまらない」とし、個人や民間企業によって公民権を脅かされた人々を保護しなかった。 この判決は、1875年公民権法のほとんどを、実質的に無効化した。さらに1890年にルイジアナ州は、 黒人と白人で鉄道車両を分離する人種差別法案を可決した。
これに対してルイジアナ州ニューオーリンズの反人種差別団体が「プレッシー対ファーガソン裁判」と 呼ばれることになる裁判を起こした。
1896年5月18日に合衆国最高裁判所は、「分離すれど平等」の主義のもと、「公共施設での黒人分離は人種差別に当たらない」とする、事実上人種差別を容認する判決を下した。
この判決を受けて、南部諸州のみならず国内の全州で、黒人のみならず全ての有色人種に対する制度的な差別が、 1964年の公民権法制定までのあいだ「合法」行為として大手をふってまかり通ることとなった。
▼おどろき! 1964年、私が大学生になった年。そのときまでアメリカ合衆国が「合法的な」差別社会だったとは。 (2020.7.15)
▼整理しておきます。
1607年奴隷制のはじまり。
1868年(明治元年)憲法修正条項・奴隷制廃止。
1875年公民権法。
1883年公民権裁判(反動的揺り戻し)。
1896年合衆国最高裁判所(揺り戻しの確認)。
1964年公民権法。
反動的揺り戻しの1883年(明治16年)から1964年(昭和39年)の80年間の「差別合法社会」がフロイド事件の原因になっているように感じる。
一方日本では1871年(明治4年)「えた・非人の称」の廃止。1922年(大正11年)の水平社創立。現在もつづく部落解放同盟の運動 (2022年は水平社から数えて100年を迎える)とくに1965年の同対審答申以降の活動によって部落の実態は大幅に改善された。 しかしそれでも社会から差別はなくなっていない。 (2020.7.15)

これらの人種分離法は一般に「ジム・クロウ法」と呼ばれ、アパルトヘイト政策下の南アフリカにおけるのと同様、 交通機関や水飲み場、トイレ、学校や図書館などの公共機関、さらにホテルやレストラン、バーやスケート場などにおいても、 白人が有色人種すべてを分離することを合法とするものだった。

「ブラック ライブズ マター」
2020.6.11朝日夕刊
▼大坂なおみ
「沈黙は答えではない」立派! その後大谷君、錦織君、八村君、ダルビッシュが声をあげている ほっとした。
2020.6.11朝日朝刊
▼レピュブリック広場に2400人が集まった。仏政府はこの日は集会を容認。
2020.6.15朝日朝刊




▼ベルリン9キロの「人間の鎖」。
連帯を訴えるデモは「分断できない」を掲げ2年前から開かれてきた。 黒人に限らず、人種差別は世界中で形を変えて起きている構造的な問題
さすがドイツ!(2020.7.12)

▼2020.7.16朝日新聞朝刊代々木ゼミナール講師佐藤幸夫さん
「米国では警官が黒人に過剰な暴力を加えることが度々、社会問題となり、1992年ロサンゼルス暴動が起きた。 「BLM」という言葉は、警官による黒人射殺事件に対する抗議で2014〜16年にも盛んに使われた。 ただ今回は、米国だけでなく、日本も含めた他国にもデモが広がり、 その規模は公民権運動以来とも言われる。」

「ブラック ライブズ マター」
朝日朝刊2020.6.6
朝日夕刊2020.6.24

朝日朝刊2020.6.16

朝日朝刊2020.6.27


「ブラック ライブズ マター」
   2020.6.10朝日夕刊
「アメリカは一体いつ、偉大だったんでしょうか」
すばらしい!(2020.7.10)
   2020.6.15朝日夕刊
▼何という事! 米国警官 制度的問題(2020.7.12)
2020.7.12朝日新聞朝刊



   ▼右 グウェエン・ベリーさん
「頭の中で閃光が走ったというか、訴えなければ後悔すると感じた。それだけのことを経験してきた。
2014年地元(ミズーリ州)で黒人青年(18歳)が白人警官に射殺される事件が起きた。
息子が同じ目に遭うかもしれない。
声を上げなくてはダメと思った。
表彰台で拳を突き上げ抗議の意を示した」(2020.7.14)

朝日新聞 デジタルhttps://www.asahi.com/articles/DA3S14546614.html
2020年7月12日 9時31分
黒人差別と闘い続ける 米ハンマー投げ、グウェン・ベリー ■SPORTS HUMAN

昨年8月のパンアメリカン競技大会で、競技開始前に名前をコールされて手を上げるベリー=AP

陸上女子ハンマー投げのグウェン・ベリー(2019年9月27日撮影)(c)ANDREJ ISAKOVIC/ AFP
最高の瞬間を犠牲にしてでも、伝えたいことがある。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ=BLM)」。
ハンマー投げで東京五輪を目指す米国代表候補のグウェン・ベリー(31)は、ずっと黒人への差別に抗議を続けてきた。 表彰台で拳を突き上げてその意を示し、警告を受けた

AFP https://www.afpbb.com/articles/-/3287479
2020年6月10日 12:03 発信地:ロサンゼルス/米国
米五輪委員会、抗議禁止のルール見直しへ 過去の対応を謝罪

表彰式で抗議を行った米国のグウェン・ベリー(中央、2019年8月10日撮影)。(c)Claudio Cruz / Lima 2019 / AFP
パンアメリカン競技大会、陸上女子ハンマー投げ。 【6月10日 AFP】
黒人男性ジョージ・フロイド(George Floyd)さんの死に対する抗議活動が続く中、 米国オリンピック・パラリンピック委員会(USOPC)が、五輪での選手の抗議を禁止するルールの変更を目指すことを示唆した。  前週に代表選手からの聞き取りを行ったUSOPCは、8日遅くに公開書簡を発表。サラ・ハーシュランド (Sarah Hirshland)最高経営責任者(CEO)が、これまで「選手の声に耳を傾けず、人種差別や不平等を容認してきた」ことを認めた。

「ブラック ライブズ マター」
2020.7.15解放新聞
▼李信恵(リシネ)「大阪での反人種主義デモで考えた」(フリーライター)
「1000人以上の外国人と日本人の参加者が大阪中之島公園に集まった。大坂なおみ さんが日本語でリツイートしたことでも話題になっていた。」
▼写真上「全世界が見ている」の大きなプラカード掲げる参加者。
▼写真下「デモのゴール西梅田公園の群衆」。
2020.6.24朝日新聞朝刊
「人種差別は、個々人をそのかけがえのない固有性を無視して歪んだ人種的イメージに閉じ込め、「他者」や「よそ者」として敵視することから 生まれる。そして差別の恐ろしさは、そのイメージを犠牲者の側が内面化してしまうところにある。」

▼上の文芸時評。作家の小野正嗣さん、よく分析しておられる。しかし 「犠牲者の側が内面化してしまう」でなく「内面化せざるを得ない」と表現してほしい。 多くの被差別部落出身者が藤村の『破戒』を読めば丑松を「内面化してしまう」のではなく、 「内面化せざるを得な」くなるである。(2020.7.11)
「(フロイドさんの)姿に、僕たちが深く動揺するのは、彼が人種差別の犠牲者であると同時に、虐げられ、辱められた者だからだ。彼の命 とともに僕たちの中にある〈人間〉も辱められたと感じるからだ。
▼下線を引いた部分が大事。共感ということ。このことによって 他者を自分の中に取り込める。「マイノリティーの声」の作業は共感、共感の連続です。(2020.7.11)
▼フロイド事件は国連・人種差別撤廃条約第5条(b)「暴力又は傷害(公務員によって加えられるものであるかいかなる個人、 集団又は団体によって加えられるものであるかを問わない。)に対する身体の安全及び国家による保護についての権利を保障 することを約束する 」に違反しています。特に「国家による保護」の点が改めて人種差別撤廃条約のから問題になると思います。(2020.6.27)
2020.7.7朝日新聞夕刊
ターナー1840年ロイヤル・アカデミー展に出展した時の題名「死者や重病患者を海中投棄する奴隷商人―台風の襲来」。当時、奴隷貿易に対する 批判の高まりがあった。
撤去されるコルストン像
2020.7.16朝日新聞夕刊「ブラック ライブズ マター」
2020.5.30朝日新聞朝刊「黒人への暴力 抗議激化」の衝撃的なニュースから1カ月半。 奴隷商人コルストンの銅像が倒されデモ参加の女性像が設置された。
変わった。 経済、社会、法制度あらゆる局面で差別が取り除かれる方向に変革が進むことを望む。私なりに闘う。(2020.7.20)

「ブラック ライブズ マター」
2020.7.21朝日新聞夕刊
2020.7.30朝日新聞夕刊
▼本の紹介 同志社大学教授西崎文子さん
『世界と僕のあいだに』:
白人警官による黒人への暴行事件が頻発していた2015年。暴力や麻薬、恐怖が蔓延する1980年代のボルチモアでの少年時代。
『ビラヴド』:
南北戦争前、北部へ逃亡した母親が、奴隷捕獲人の前で自らの子どもを殺めた実話に着想を得た物語。
『アメリカの黒人演説集』:
デヴィッド・ウオーカーの「訴え」(1829年)ジェファーソンの「すべての人は平等に造られ…」(独立宣言)。黒人 を「すべての人」に含むことすらできなかったジェファーソンへの痛烈な一撃だ。コーツやモリスンは「人種」は実態ではなく「人種主義」が作り出した ものだと明言する。
▼ボン・ジョヴィさすが!「歴史の生き証人として、 この『アメリカン・レコニング』を書かねば、という思いに駆られた」とコメント。 タイトルは「アメリカの受けるべき報い」という意味。収益は人種間の不公平に取り組むNPOに贈られる。
▼フロイド事件を起こすのもアメリカ。ボン・ジョヴィを生むのもアメリカ。(2020.7.31)

解放新聞2020.9.5
解放新聞2020.9.5
▼左の記事。私のふるさとでの追悼の集い。呼びかけ人のお一人、三輪山平等寺副住職・丸子孝仁さん。よく存知あげています。嬉しい記事でした。(2020.9.7)
▼右の記事。米国では人口比約1割の黒人が死刑囚の4割を占める。BLM自体は2013年開始。 強者の物語としての「歴史」の問い直し。嘘偽り、不正の上に「共生社会」は築けない。植民地支配と侵略戦争の責任を無視し、在日朝鮮人への抑圧を改めない日本社会。 (中村一成(イルソン)ジャーナリスト)
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朝日夕刊2020.8.27
▼その後の大坂なおみさん。本気。 以下は「全米オープン」ではなく「ウエスタン・アンド・サザン・オープン」中の出来事。
NHK NEWSWEB https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200827/k10012585901000.html
大坂選手は四大大会の1つで今月末に開幕予定の全米オープンの前哨戦としてニューヨークで開かれているツアー大会に出場していて、 26日の準々決勝に逆転勝ちし、27日に準決勝に臨む予定でした。
マネジメント会社によりますと、大坂選手はアメリカのウィスコンシン州で黒人の男性が警察官に背後から 撃たれたことへの抗議として大会のボイコットを決め、準決勝を棄権するということです。

大坂選手は自身のツイッターで「私はアスリートである前に1人の黒人女性です。黒人女性として、 テニスよりも、もっと大事な問題があります。棄権することで劇的に何かが変わることを期待してはいませんが、 白人が主流の競技で議論を始めるきっかけにできれば、正しい方向に進むための第一歩になると思っています。 警察官の手で黒人が虐殺され続けているのを見ると本当に胸が痛くなります。 何度も何度も同じ話題を扱うことに疲れ切っています。いつになったら終わるのでしょう」とコメントしています。
一方、大坂選手が棄権すると表明した大会は、27日に予定されていたすべての試合の休止が決まりました。 大会のホームページで主催者は「アメリカで再び表面化した人種差別や社会的な不公平に一丸となって反対する立場を取る」とコメントしています。

▼以下は全米オープンでの出来事です。
BBC News/JAPAN https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-54097581
1回戦2020.8.31
ブリオナ・テイラーさん

【2020年3月13日】
3月13日、ケンタッキー州ルイスヴィルの医療技術者ブリオナ・テイラーさん(26)の自宅アパートに、 警官隊が玄関ドアを叩き壊して突入。警官隊は混乱状況の中で発砲し、 武器を持っていなかったテイラーさんが死亡した。 「ブリオナ・テイラーを殺した警官を逮捕しろ」というフレーズは、 今夏の世界的な「Black Lives Matter」(黒人の命は大切)抗議行動における掛け声の1つとなった。

2回戦2020.9.2
イライジャ・マクレインさん
【2019年8月24日】
イライジャ・マクレインさん(23)は昨年8月24日、コロラド州デンヴァー郊外のオーロラで、警察に拘束された際に死亡した。 武器を持たずに歩いていたマクレインさんは、警官3人に止まるよう言われた。 武器の有無を調べる間、マクレインさんは警官に距離を置くよう要請。警官の1人が「彼は銃を狙っている」と言うと、 マクレインさんは地面に押さえ付けられ、首を腕で絞められた。 マクレインさんは意識を失ったが、その後、呼吸や脈拍がないことに救急隊員が気づいた。 マクレインさんは3日後、脳死と判定された。

3回戦2020.9.4
アマード・アーベリーさん
【2020年2月23日】
【5月9日 AFP】米南部のジョージア州当局は8日、非武装でジョギングしていた黒人男性が2月に殺害された事件 の容疑者として白人の父子2人を逮捕・訴追し、「十分過ぎるほどの相当の根拠」があると述べた。しかし、 容疑者らの逮捕に事件発生から74日かかった理由については説明しなかった。
アマード・アーベリーさんの父マーカス・アーベリー・シニアさんは、大坂選手へのメッセージで、
「私の家族を支えてくれてありがとう。あなたの行動と、あなたが私の息子のことで私たち家族を支援してくれていることに、 神の恵みがありますように。私の家族は本当に感謝しています。あなたに神の恵みがありますように」と述べた。

4回戦2020.9.6
トレイヴォン・マーティンさん
【2012年2月26日】 フロリダ州サンフォードで2012年にトレイヴォン・マーティンさん(17)が殺され、射殺した男性が無罪になったことが、 「Black Lives Matter」抗議行動の誕生につながった。
マーティンさんの母シブリナ・フルトンさんは、大坂選手にメッセージを寄せた。 「特製マスクでトレイヴォン・マーティンと、アフマド・アーベリー、ブレオナ・テイラーのことを訴えてくれたことを、 大坂なおみに感謝したい」。 「心の底から感謝している。成功し続けてほしい。全米オープンで勝ち続けてもらいたい」

準々決勝2020.9.8
ジョージ・フロイドさん
【2020年5月25日】
今年、「Black Lives Matter」の抗議行動を再燃させたのが、ジョージ・フロイドさん(46)の死だった。 フロイドさんは5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで、偽札でたばこを買った事件を捜査していた警官に呼び止められ、逮捕された。 当時の動画には、警官のデレク・チョーヴィン被告がフロイドさんを地面にうつぶせに押さえ付けている様子が記録されている。 チョーヴィン被告は膝でフロイドさんの首を9分間近くにわたって圧迫。フロイドさんは何度も「息ができない」と訴え、膝をどけるよう懇願した。 フロイドさんはその後、病院で死亡が確認された。


準決勝2020.9.10
フィランド・キャスティルさん
【2016年7月7日 AFP】(写真追加、更新)米ルイジアナ(Louisiana)州で黒人男性が警官に射殺された動画が怒りを巻き起こした翌日の7日、 今度はミネソタ(Minnesota)州で黒人男性が警官に撃たれて死ぬ間際の様子を捉えた動画がインターネットで広まった。  警察当局によると、男性は6日夜、同州ファルコンハイツ(Falcon Heights)で車を運転中に警官に止められ、 その後、銃で撃たれ死亡した。家族や人権活動家らによると、死亡した男性は学校の食堂で働く フィランド・キャスティル(Philando Castile)さん(32)。
 インターネットで広まった動画は、銃で撃たれた後のキャスティルさんの様子を、 恋人のダイヤモンド・レイノルズ(Diamond Reynolds)さんが携帯電話のカメラで撮影し 「ラビッシュ・レイノルズ(Lavish Reynolds)」のアカウント名で交流サイトのフェイスブック(Facebook)に投稿したもの。 運転席に座ったキャスティルさんの白いTシャツは血で真っ赤に染まっていた。レイノルズさんは助手席に座っており、 レイノルズさんの娘も車に同乗していたという。

決勝2020.9.12
タミル・ライスさん
【2014年11月22日】 From Wikipedia, the free encyclopedia
Shooting of Tamir Rice
On November 22, 2014, Tamir Rice, a 12-year old African-American boy, was killed in Cleveland, Ohio, by Timothy Loehmann, a 26-year-old white police officer. Rice was carrying a replica toy gun; Loehmann shot him almost immediately after arriving on the scene.
12日夕、米ニューヨークの無観客の試合会場。大坂選手は、黒地に白の文字で「TAMIR RICE」と書かれたマスクを着けて登場した。  タミル・ライスさんは2014年11月、オハイオ州の公園でおもちゃの銃で遊んでいたところ、通報された、当時12歳の黒人少年だ。現場に駆けつけた警察官は、到着してすぐに発砲。ライスさんは翌日に死亡が確認されたが、警官は不起訴になった。

ARAB NEWS JAPAN
https://www.arabnews.jp/article/features/article_22292/
▼1回戦のマスクに書かれていた名前はブリオナ・テイラーさん。 ことし3月、ケンタッキー州の自宅にいたところ突入してきた警察官に撃たれて亡くなった女性です。
▼2回戦のエリジャ・マクレーンさんは去年8月にコロラド州で警察官に拘束されたあと亡くなった男性。
▼3回戦のアマード・アーベリーさんは、ことし2月にジョージア州でジョギング中に白人の親子に射殺された男性です。
▼4回戦はトレイボン・マーティンさん。 2012年、当時、17歳の高校生でしたが、自警団の男性にフロリダ州で射殺されました。 彼の死後、警察の捜査の遅れや射殺した男性が無罪となったことなどから「BLACK LIVES MATTER」。「黒人の命も大切」という一連の抗議活動が広まりました。 マーティンさんの母親は大会期間中、大坂選手に感謝を伝えるメッセージを送り、これに対して大坂選手は「自分は意識を広めるための器。家族失った痛みが無くなるとは思わないが、遺族が必要とすることは何でも手伝いたい」と応じました。
▼準々決勝はジョージ・フロイドさん。 ことし5月にミネソタ州で白人の警察官に首を押さえられ死亡しました。 その一部始終が撮影された映像が報道やSNSなどで拡散すると人種差別への抗議活動は全米だけでなく世界中に広がりました。
▼準決勝のマスクに書かれたフィランド・キャスティルさんは、4年前にミネソタ州で警察官に射殺された男性でした。
▼決勝のマスクはタミル・ライスさん。
朝日新聞朝刊2020.9.15
朝日新聞朝刊2020.9.24
▼ とうとうナオミさんのことばが「折々のことば」に取り上げられました。「一部の人の無知によってみんなの前進が阻まれては なりません」「人種差別主義者ではないだけでは不十分で、反人種差別主義者にならねばと悟った」。このように鷲田清一さんはナオミさんを紹介された。 アスリートらしい明快で力強く前進的ことば。(2020.9.25)
朝日朝刊2020.10.10
▼教室で話そう、とうとうここまで来ました。早いです。(2020.10.22)


朝日朝刊2020.10.23

アメリカ総局長・沢村亙さんの質問「多くの国民がトランプ氏を熱烈に支持しているのはなぜでしょう。」
フランシス・フクヤマさんの答え「端的に言えば、共和党は社会で徐々に存在感が薄れゆく白人層の政党。多くの白人労働者や低学歴の有権者は、 トランプ氏を自分たちの価値観や尊厳を大事にしてくれる英雄だと見なすからこそ忠誠を誓うのです。
民主党は女性、人種などをめぐる様々なマイノリティー、高度専門職に従事する白人が支持層に混在する政党になりました。」
▼納得。このような背景があればアメリカの分断は一朝一夕には解消されない。日本の源平の争い、 明治維新の支配層から外された武士階級の反乱を想起させる。むしろ民主党が白人労働者をも取り込む政党に成長していくしか道はないように思う。(2020.11.4)
朝日朝刊2020.10.10

『サブリナとコリーナ』カリ・ファハルド=アンスタイン著。  (評 温又柔おんゆうじゅう
アンスタインさんはアメリカコロラド州デンバー育ち、チカーナことメキシコ系アメリカ人。
デンバーの人口の3割以上はヒスパニック、ラティンスク、アメリカ先住民。
「頭上で、国境線が移動するという経験をした人々を祖先に持つ、アメリカがアメリカになる前から、ここにいた 人々の末裔たち。
ほんの少しでもいいからもっとましになっている明日を望むすべての「わたしたち」を奮い立たせる。」
▼複雑なアメリカ社会。ブラックだけでなくチカーナも知らなければならない。新しい領域です。チカーナはアイヌの人たちを連想させる。 それにしても被差別者はどこでも共通の歴史を持っていることに改めて驚く。(2020.11.4)
朝日朝刊2020.11.14

▼15歳の女子高校生・南部優美さんは次期副大統領のハリスさんの演説を聞き、 「若者に希望を抱かせてくれた彼女を、心の底から誇らしく思います。」と感動的な投稿をされています。後期高齢者として勇気づけられます。 「マイノリティの声」もこういう人に届くことを願っています。(2020.11.19)

朝日朝刊2020.11.14
▼勉強になります!5千万人の米国カトリック成人信者。今回の選挙でバイデン7.8千万票、トランプ7.2千万票ですから カトリックの5千万票が選挙を左右することは頷けます。フランシスコ教皇がバイデン寄りだった、 との郷富佐子論説委員の解説は説得力がありました。(2020.11.19)
朝日朝刊2020.11.20

▼やく みつるさん、やりましたね。(2020.11.20)


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《第2講:水平社宣言と水平社の歩み》
 第2講は水平社宣言と水平社の歩みという講義です。今日、私の講義を聞いていただいている皆さんは 水平社宣言という言葉は聞いたことがある方は多いと思います。ただ、宣言の内容まで知っている人は少ないのではないでしょうか。 お配りした資料に水平社宣言を載せていますのでご覧ください。
▼友永さんの「宣言」の解説に入る前に水平社が生まれた背景を100年前の 当事者である高橋貞樹さんの『被差別部落一千年史』(ここもクリックしてください)から引用します。
俺は穢多だと勇敢に宣言すべき時が来た。
徒らに泣いている時ではない。涙は、われわれ虐げられた同胞に救いを与えるものではない。
帝国主義戦争(1914〜18)の後、全世界に革命的潮流が漲り、黎明を告げる暁鐘は、われわれに強い強い刺激を与えた。われわれの血潮は躍った。 一千年来の奴隷生活から脱する秋はきたったと。この澎湃として来る底深き潮流は、われわれ同胞の間に高鳴りした。自らの権利に目覚めた、われわれ 部落民自身の行動による解放運動の生まれくるのは理の当然である。部落民自身が、不当なる社会的地位の廃止を要求するのは当然である。 われわれは自らの社会的地位を認識し、歴史的使命を自覚して、力ある集団運動を起こすべき必然の形成に到達した。 ……水平運動は歴史的必然の所産にほかならぬ!(234〜235頁)
▼これが水平運動を立ち上げた先人のなまの声です。綱領の骨格の思想であり 部落民としての誇りはここからきているとおもいます。(2020.3.18)
▼もう一つ、米騒動を取り上げます。米騒動は水平運動の戦闘力につながっていると思います。
米騒動は全く民衆が生活そのものに脅かされてついに騒擾を起こすに至ったのである。
部落は実に卑屈になれていた。しかし全日本を四十四日間あの恐怖に陥れた騒動は、部落民を脅かす飢えの力が与えたものである。
米騒動が封建時代の米一揆等と異なる最も重大なる特徴は、賃金労働者と部落民とが参加せる事であった。
米騒動は犠牲者七千ハ百十三人の多数に上ったが、死刑に処せられた二名は部落の出身であった。
米騒動は部落民の加わったところでは特に狂暴を極めた。
広島市の暴動は、主として同市の部落民居住地なる福島町民と尾長町民によって敢行された。福岡市において市付近の 部落、特に豊臣松園の部落によってなされた。岡山、京都、神戸その他における暴動の主動者の多くは部落民であった。(215頁)
▼ウィキペディア 米騒動 「被差別部落とのかかわり」を参考にしてください。

全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。

長い間虐(いじ)められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾らの爲の運動が、 何等(なんら)の有難い効果を齎(もた)らさなかった事實は、夫等(それら)のすべてが吾々によって、 又他の人々によって毎(つね)に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。
そしてこれ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、 此際(このさい)吾等(われら)の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者(かつごうしゃ)であり、實行者であった。陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犠牲者であり、 男らしき産業的殉教者であったのだ。
ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、 ケモノの心臓を裂く代價(だいか)として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、 そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、 なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあった。
そうだ、そして吾々は、この血を享(う)けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。
犠牲者がその烙印(らくいん)を投げ返す時が來たのだ。
殉教者が、その荊冠(けいかん)を祝福される時が來たのだ。
吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなゐ。
そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いたわ)る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、 心から人生の熱と光を願求禮讃(がんぐらいさん)するものである。
水平社は、かくして生れた。 人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ。
                 1922年3月3日、京都市・岡崎公会堂にて宣言


    水平社博物館
水平社宣言は日本の人権宣言といえるものです。
次のようなくだりがあります。
「そしてこれ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際(このさい) 吾等(われら)の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である」。
ここでは、人間はいたわるべきものではなく尊敬すべきものだといっています。これが人権の考え方です。
 世間的には、「いたわる」という言葉は悪い意味としては使われていません。しかし、よく考えてみると、いたわるということは一段高いところに立っている人が一段低いところにいる人を助けるという上下関係が前提になっている行動です。 明治維新があり、1871(明治4)年に解放令が出され、徳川幕府時代にあった差別は否定されました。 それでも部落の人たちは厳しい生活を送っていたので、世間の人たちは部落の人たちがかわいそうだということで手を差し伸べました。
▼「いたわる」という考え方は明治時代の人道主義の発想です。 アイヌ民族に対しても同じ考え方で明治32年(1899年)「北海道旧土人保護法」が作られました。

しかし、その結果どうなったかというと、部落の人たちはより卑屈になってしまったのです。 そして、差別はなくなるどころかより厳しくなっていきました。
 1922(大正11)年3月に水平社を立ち上げた部落の青年たちが議論して気付いたことは、
「いたわる」という行為は何かが間違っているということでした。つまり、われわれ部落の人間にも無限の可能性があるのだから、 かわいそうだといって手を差し伸べてもらわなくても、部落差別という壁をなくしてもらえさえすれば 自分たちの能力を発揮することができるのだということに気が付いたのです。このことを人間はいたわるべきではなく尊敬するべきだという言葉で表しました。
 勦る(いたわる)という漢字は左に巣、右に力という漢字を書きます。この漢字は日常的に使う漢字ではありませんが、 漢語辞典にも載っていますし、スマホを検索してもらえば出てきます。古い訓読みで「いたわる」と読みます。 実は、この漢字には「駄目にする」という意味があります。その人の持っているものなどを駄目にするということです。 つまり、この漢字はいたわるという行為の本質の意味を表しているということになります。
▼ 勦る(いたわる)を白川静先生の『字通』で調べました。「力はすきの象形字。農事に疲れることをいう。 ころす意味にも用いる。」 とありました。
人間はいたわるべきではなく尊敬するべきだという考え方は、すべての人は磨けば光る無限の可能性を持っているという考え方につながります。 これが人権を考える原点となります。だから水平社宣言が日本の人権宣言だといわれているのだと私は思っています。
▼2019.5.29水平社博物館を訪ねました。感慨深いものがありました。 ちょうど「水平社宣言を読む」の特別展示が開催されていました。 水平社宣言の起草者の人たちの広い、深い見識には驚かされました。「プラウダ」も宣言を取り上げたようです。 水平社運動は国際的にも注目されていたのが分かりました。
▼2019.8.9「プラウダ」のコピーを入手できました。名古屋大学法学図書室が1923年7月19日木曜日の新聞のマイクロフィルムを保管しておられました。 それを私の住む調布市中央図書館が調査支援係の連携で入手してくださいました。感謝です。 残念ながら記事を判読することは難しいですが紙面の右下に「海外では 日本の ”エタ” 運動」が見えます。
▼2019.8.12水平社博物館館長の駒井忠之さんからプラウダの記事の翻訳を送っていただきました。一部間違いがあるようですが、 読んでいただいておわかりのようにこれだけの詳しい記事が水平社創立の1年後にプラウダに掲載された、ということが驚きです。 ご参考まで。
▼ソビエトでは1921年5月のロシア共産党第10回全国協議会で「新経済政策(ネップ)」決議されています(レーニン全集32巻462頁)。 その舵取りの難しい1922年3月期に「水平社」が創立されています。レーニンは1924年1月21日死去しています。(2020.11.16)

海外事情
日本の「エタ」達の運動―日本の虐げられた民の目覚めと幾多の下層民についての闘争

遠い昔から現在に至るまで、日本には相当大きな人数を持つ職業層が存在し、その層は日本人の残りの層から完全に孤立した状態にある。 この社会階層は、以前は、「エタ」(下品な大衆、ろくでなし、下層民)という名称をもっており、現在に至るまで社会の屑とみなされながら、 彼らのために定められた特殊な部落に住んでいる(そのため、彼らには「特殊部落民」という名称を付与されている)。
「特殊部落民」の数に関する正確な統計資料は存在しない。1919年の内務省の資料によれば、以前の「エタ」全体の数は90万人と確定されたが、 最新の非公式の情報によれば、その数は3〜500万人に達する。
 この層の職業は相当に多様である。上で言及された公式資料は以下のことを証明している。70,000世帯は農業に携わっていて、 23,000世帯は様々な機関で身分の低い仕事、17,300人は商業、11,300人は工業の多様な部門に、携わっている。 しかし残りは漁業や多様な手工業に携わっている。これら以外に、違う職業については生まれつき、彼らの大部分は不潔な労働を行っている。 墓を掘ること、皮をなめすこと、汚物を処理することなどはまるで彼らの専門と特権である。
 以前の「エタ」が住んでいる「特殊部落」は全国に分散している。彼らの宗教に従って、「特殊部落民」は仏教徒である。
 人々は「エタ」を蔑み、物理的嫌悪を感じ、まるで「エタ」が家畜であるかのように軽視して、遠慮なく言語道断の侮辱を投げつける。 日本人の大部分は、「エタ」は死んだ家畜から皮を剥いだりゴミや汚物の処理のような不潔な仕事にのみ役立つと考えている。 数世紀間続いている「特殊部落民」に対するこのような軽蔑的な態度のせいで、彼らは結局自らの人格の擁護に立ち上がり、 社会全体に激しい異議を申し立てざるを得なくなった。 彼らは「水平社」(平等の団体)の名の下に特殊な組織に団結して、同権の達成を志向する運動を起こした。
3月2日、京都で第二回水平社全国大会(注:3月3日、創立大会―引用者)が開催され、二日間続き、数千の参加者を集めた。そこで彼らは「エタ」への軽蔑的な態度に対する闘争手段を練り上げた。 これらの決議は、日本の政界に一定の影響を及ぼした。政界は「水平社」の運動を黙殺することは許されないと認めた、 そして、運動に共感を表そうと努力している。
 3月20日、衆議院でコシン会のメンバーのミナミ議員は「特殊部落民」に対する態度に関する社会局の対策の特徴について問い合わせた。 この問い合わせに答えながら、社会局長は、政府はずっと以前からこの階層的呼び名の根絶が不可欠だと認識しており、 300以上と数えられる部落の外見を整備し、衛生状況を改善し、若者の高等教育を保障し、 残りの人々との密接な親交と融和を確立するために全力を尽くすと述べた。
民衆の間に存在する「エタ」の起源に関しての偏見を断ち切るために学校で使われる教科書に「エタ」の歴史の公平な叙述も採用してほしいという 要望に関するミナミの指摘に対して、社会局長は、彼らと全国民の間の融和は日本社会の先進的な人々にかかっている、 そして、政府は教科書に「エタ」の起源の歴史を載せることに関する問題を念入りに検討する考えであると答えた。
 全体的な承認に従って、後者(教科書に「エタ」の起源の歴史を載せること―訳者注)は極めて必要であった。 日本人全体の中には、とりわけ田舎の人々の中には、実際、かつての「エタ」は軽蔑だけを得ている特殊で異質で、 その上、低劣な血筋であるという確信が存在している。この確信は、子どもにさえ浸透しており、各新聞はしばしば、 この理由であちこちで起こった双方の親の参加を伴う生徒の間での紛争について報道した。

最近、あらゆる新聞は、(1923年)3月18日に奈良県のある村で発生した水平社同人と反動団体の国粋会(民族団体)の間の相当大きな衝突についての報道で溢れた。  明らかに、この団体は金沢村の住人とダイニ村出身の水平社同人たちの間の衝突に介入せずにはいられなかった。 この水平社同人たちは、金沢村の生徒の側からの自分の子どもに対する軽蔑的な態度に侮辱を感じたのである。国粋会の介入のせいで、 金沢村とダイニ村の間の対立は拡大し、国粋会と水平社との対立に転化した。双方は応援部隊を得た。 事態は流血と残虐を含む戦争が始められるに至った。事件の場所には、警察や軍の部隊が出動された。 警察は敵対する双方を和解させるためにあらゆる努力をして、3月20日に国粋会は水平社に謝罪した。 水平社の代表者たちは、明らかに、警察の調停機能に全く満足しておらず、長い間国粋者からの謝罪を受け入れることに同意しなかったが、 結局、そうしなければならなかった。おそらく同意はやむをえなかった、ということはしばらくの間鎮まっていた衝突がいまだ止まず、 3月の終わりにも停止されていないという事態が指し示している。
 国粋会と水平社の間の紛争は国会にも反響を起こした。3月20日にミナミ議員(コシン会)は政府に、 政府は国粋会の組織をどのように調査しているのかに関して問い合わせた。
水平社の運動は現代日本にとって重要な出来事である。政界や新聞雑誌、労働者階級はこの運動に大きな注意を払っている。 水平社同人たちが同権に関しての要求について声高に言及した大会(第二回水平社大会―訳者)と不平等で過酷な状態についての 水平社同人たちの公開声明を証拠づける「エタ」と国粋会との衝突は、日本政府を、もちろん、不愉快にさせた。
これらの事実は、明らかに、パリ会議における人種問題に関する日本の博愛と正義についての唱道が、いずれにせよ、偽善的であった、 ということを示している。これらの事実は、まさにその唱道がある日本国内において、この点では、すべてがうまくいっていない、 ということを明らかにした。
労働者階級が水平社運動を支持しているという状況は、水平社に重要な意義を与えた。 労働者階級は、水平社同人の中にブルジョア階級と資本家との闘争における強く組織された同志を得た。
極東の。

▼翻訳を読んでみて、1923年3月奈良県で起きた水国争闘事件のプラウダの極東支部からの報告記事であることが分かりました。 部落の歴史と現状のこれだけの内容が国際的に共有された、ということをはじめて知りました。 労働者階級と水平社運動との連帯も当初から強く意識されていたのですね。この隊列から現在の日本共産党が離れていることは残念です。(2019.9.19)
▼プラウダの極東通信の発信者は「一千年史」の高橋貞樹さんであることはほぼ間違いないと私は考えています。 「一千年史」に似たような分析と見方がでてきます。しかも当時部落に関してこれほどの見識を持っている人は高橋貞樹さん以外いらっしゃらなかったとおもいます。(2020.4.25)

二つ目に糾弾の意味と書きました。
 水平社の活動をひと言でいうと糾弾です。糾弾というのは、差別されている人たちが差別している人たちに対して差別をやめてくれという 抗議の叫びを上げることです。
▼同じく糾弾を『字通』で調べました。「糾:ただす、しらべる。弾:ただす、せめる。」とあり、基本はただすです。 あなたのやっていることは間違っているので正してほしい、ということだとおもいます。

 日本では、差別は法律で禁止されていません。ですから、法律的にはやりたい放題なのです。 部落の人たちは長い間被害を受けてきました。中には差別を苦にして命を絶った人もいました。 差別を受けたため、心にトラウマを抱えている人もたくさんいます。人間はあまりにもひどい状態に陥れられた時、 やめてほしいという命の叫び声を上げます。やめてほしい。あなたがやっていることは不当だと。糾弾というのはそういうことです。 決して仕返しではありません。糾弾は抗議で始まりますが、目的は相手に差別の不当性を理解してもらうことです。 これが部落解放運動の一つの形態として今日まで続いています。

▼1871年(明治4年)の「解放令」から1922年(大正11年)水平社設立、 1933年高松結婚差別裁判までの概要は下記で。(2020.2.17)
▼読み返してみてこの欄は何層にもなっていて説明が必要とわかりました。
先ず、谷元昭信著『冬枯れの光景』の記述から概説していきます。→途中「美作騒擾(みまさく そうじょう)」がでてきます。 貴重な論文『美作騒擾記』を見つけましたので寄り道しました。
→『冬枯れの光景』に戻りました。→中江兆民がでてきます。後日、高橋貞樹『一千年』で中江兆民が 取り上げられていましたのでそれを紹介する寄り道をまたしました。 →そして『冬枯れの光景』に戻りました。
こういう寄り道を繰り返しながらやっと友永さんの講義に戻ってきました。わたしにとって大変大事な場面 でしたので読者には申し訳ありませんでしたがこのような流れになってしまいました。(2020.5.14)

谷元昭信著『冬枯れの光景』(上 78頁〜83頁)(解放出版社2017.7.31)
 部落差別の実態変遷の第1段階(明治維新(1868年)〜戦前(1945年)まで) 差別は社会的容認状態

この段階は、部落差別は実質的には社会的にも法制度的にも野放しで、〈社会的容認〉の状態であったといえる。 たしかに、1871年にいわゆる「賤民廃止令」(「解放令」)が太政官布告として出され、 前近代の法制上の身分差別は廃止されたが、実質的な差別は残された。

とりわけ、太政官布告が出された直後の1871年から1877(明治10)年にかけて、 西日本の11府県において、広域にまたがる大規模な「解放令反対一揆」が数千人から数万人の規模で21回も起こった。 最初に一揆が起こったのは兵庫県の「播磨一揆」であり、最大規模は福岡県の「筑前竹槍一揆」で、 10万とも15万ともいわれる参加があり、もっとも悲惨であったのは岡山県の「明六美作騒擾(めいろく みまさく そうじょう)」で、 被差別部落の住民18人が虐殺された。多くの被差別部落が打ち壊し、焼き討ち、虐殺までともなう悲惨な襲撃をうけた事実は、 胸に深く刻んでおかなければならない(上杉聰『部落を襲った一揆』解放出版社、1993年、参照)。
▼つらい。つらい。つらい。
▼ここの箇所を読み直し別のおもいがわきました。明治の日本の民衆の意識という問題。徳川幕府のもとで徹底した差別支配に馴らされた日本人の情けない、差別意識を考えました。 「解放令反対一揆」の民衆が関東大震災の朝鮮人虐殺を起こすのです。中国大陸で南京虐殺を起こすのです。このような民衆を背景に北海道のアイヌ政策が遂行されるのです。 琉球支配が敢行されるのです。1945年の敗戦まで日本の民衆の意識は基本的に支配者にコントロールされていたのです。 戦後国連が出来、やっと人権が芽生えはじめる。その流れに今の民衆・市民・自分が いる、と考えるようになりました。(2020.6.28)

  「解放令」から5万日目の碑 2018年9月3日

さらに、「解放令は5万日の日延べになった」との風聞にも象徴されるように、差別は野放し状態であった。
▼右は水平社博物館前の碑。2018年9月3日訪れました。

しかも、1933(昭和8)年の 高松結婚差別裁判にみられるように、司法においてさえ差別を容認する状況だった。 部落差別の社会的容認として特徴づけられる第1段階(1868年〜1945年)は、実に77年間の長きにわたる。
▼わたしが生まれる12年前、司法でもこの状況。酷すぎる。

▼賤民廃止令が出ただけで焼き討ち、虐殺まで発生している事実をしっかりと 被差別部落の人たちだけでなく被差別部落外の人たちも「胸に深く刻んでおかなければならない」とおもいます。ここが明治以降の日本社会の 出発点ですから。

▼今日下記の記事を見つけました。(2020.2.9)
『現代の理論』第2号2014.8.28発行の記事『美作騒擾記』

「被差別部落民18人殺害、 美作騒擾140年の沈黙に抗う〜頭士 倫典」
ジャーナリスト 西村 秀樹
 日本の近代黎明期、明治政府の新政策への反対一揆が多発する。 1873年(明治6年)岡山県で被差別部落民18人が殺され、襲った15人が死刑という美作騒擾が勃発。 なぜ政府反対運動が部落民を襲うのか。襲った百姓の子孫が真相究明に乗り出した。

当時の記録『美作騒擾記』の記述はこうだ。

「群衆は、これ(捕らえた部落民)を加茂川の辺なる火葬場の傍なる一陣の内に押し入れ、 最初に半之丞(被害者の名前)を引き出し、これを水溜の中に突き落とし、悲鳴を挙ぐるを用捨なく、 槍にて芋刺しに串貫ぬき、かつ石を投げつけてこれを殺したり。 それにより順次に同一方法を用いて5人を殺し、最後の6人目なる松田治三郎に至るや、 隙を見て逃亡せんとし、今一歩にて加茂川に飛びいらんとするところを、後より石を擶(う)ち、 これを惨殺せり。猛り切ったる群衆は、猶これにあきたらず、同部落民の家に火を放ち、 半之丞の居宅ならびに土蔵三棟、納屋一棟を焼き払いたるを手初めに、火はしだいに次から次へ焼き移り、 遂に全部落百余戸を灰燼に帰せしめ、また悲鳴を挙げて逃げ迷う老少婦女を捕へて、 背に藁束(わらたば)を縛し、これに火を放ちて焼死せしむるなど、すこぶる残惨を極めたり」。

▼こころが凍ります。(2020.2.17)

『冬枯れの光景』つづき
《自由民権運動の興亡と明治憲法下での新たな身分制の創出と部落の貧困化》
 もちろん、明治初期の自由民権運動などにより自由・平等にもとづく近代的立憲制国家の確立が唱えられ、差別撤廃が訴えられた。 日本の近代化・民主化に大きな役割を果たしたことは事実である。
しかし、「日本のルソー」「東洋のルソー」と言われた中江兆民が 「貴族主義を否定する平民主義それ自体も『旧染の汚れ』にまみれた差別構造のうちにあり、 被差別世界を視野に入れることなく差別の位相にとどまっている」 (「新民世界」『東雲新聞』第21号、1888年2月14日から意訳)
と喝破したように、自由民権運動ですら部落差別撤廃への理解が決定的に欠落していたといわざるをえない。

▼高橋貞樹さんは『一千年史』で中江兆民を次のように紹介されています。
「歴史家においても、真に部落民の過去を如実に書き記したものは少ない。明治年間にただ一つ敢然たる文章を発見する。これは平民主義の 鼓吹者たりし兆民中江篤介氏の筆になるものである。
▼そしてタイトル「部落解放」の文章は兆民自身が部落民の立場で書いています。大事な箇所を抜き書きします。
「われらの同僚中には死獣の皮を剥ぐものあり。公(きみ)らの同僚中には死人の皮を剥ぐものあるにあらずや。獣の皮を剥ぐ者これをエタと言い、 人の皮を剥ぐ者これを医師と言う、何の論理法ぞや。

われらの同僚中には、死人の衣を褫(は)ぐ者あり、公らの同僚中には生人の衣を褫(は)ぐ者あるにあらずや。 われらの同僚中には飲食を乞う者あり、公らの同僚中には俸給を乞う者あるにあらずや。

詐取取財をなす者あり、放火盗賊をなす者あり、 ………、その他種々悪字面の形容詞を身に負うて他人のために爪弾きせらるる者、公らの同僚中沢山あるにあらずや、これらは皆高帽挟袴(こうぼうきょうこ) の妖怪と言うべし。

公ら真に平等の妙味を旨えんと欲すれば、請う速に習慣の世界を去りて、法律の境界に入り、またさらに進みて理学の区域に入れ。 それしかる後、公ら封建時代の残夢一覚して、十九世紀の新天地の光を望むことを得ん。」
▼兆民は公ら(平民)に対して封建時代の悪習を脱ぎ捨て、公明なる法律の境界に入りなさい、と訴え、蒙を啓こうとしています。 (2020.3.17)

その結果、明治維新から20年余を経て制定された大日本帝国憲法(1889年発布)においても、差別禁止条項などは欠落していた。 あまつさえ、皇室制度・皇室財産の確立と併行して、憲法制定前の1884(明治17)年には華族令(公・候・伯・子・男の5つの世襲爵位)を制定し、 新たな身分制が創出された。

中江兆民が「日本の民権は死んだ」と嘆き、松本治一郎が「貴族あれば賤族あり」と喝破したように、 新たな身分制度のもとで旧態依然とした部落差別意識も存続させられていく。
 さらに、1881(明治14)年からの松方デフレ政策によって皮革関連などの部落産業も崩壊していくもとで、 部落の急激な貧困化が差別に拍車をかけていき、差別と貧困の厳しい状況に置かれていった。

 私は、明治維新以降20年間ほどの時期は部落差別解消に向けて曲がりなりにも動きはじめたが、 大日本帝国憲法体制の確立の時期あたりから、部落差別は日本的統治論理と日本資本主義体制の中に組み込まれ、 新たな近代的差別として存続してきたと考えている。
▼大日本帝国の、国内的には北海道のアイヌ民族の無視、対外的には朝鮮半島の植民地化政策を学習してきたわたしには 明治政府が部落解消に向けて動き始めたとは俄かに信じられない。(2019.3.2)
▼「一千年史」から補充すること。(2020.2.24)
▼この時の宿題を2020.3.17中江兆民のところでやりました。

 このような差別の社会的容認状況に対して、太政官布告(「賤民廃止令」「解放令」)から50年余を経た時期に、 被差別当事者自身が自主解放の旗を掲げ、命がけで差別糾弾の闘いに立ち上がった。 それが、1922年(大正11年)3月3日に創立された全国水平社であった。

 「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という結語で知られる崇高な水平社宣言のもとに、 「われ吾われ々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意思を表示したる時は徹底的糾弾をな為す」という決議にしたがって、 糾弾闘争を中心にした差別告発と撤廃の取り組みを本格的に始めたのである。

 水平社運動は、20年間という短い期間ではあったが、過酷な弾圧政策と温情的な融和政策という「あめ飴とむち鞭」にさらされ、 常に内部分裂の危機をはらみながら、試行錯誤の懸命な運動を展開した。
 こうした状況のもとで、水平社宣言、差別に抗う糾弾闘争、部落委員会活動、高松差別裁判糾弾闘争、 さらには国内での労農水三角同盟(労働組合・農民組合・水平社の共同闘争)、国際的には朝鮮の「白丁(ペクチヨン)」差別と闘う 衡平社(ヒヨンピヨンサ)との連帯活動やドイツナチズムのユダヤ人迫害への抗議活動等々の輝かしい足跡を刻んできた。

 同時に、糾弾への恐れと反発から、群馬県の世良田(せらだ)村事件(1925年)のように、一般の人びとが差別者を擁護して、 糾弾闘争に対して数千人規模で20戸ほどの被差別部落へ武力襲撃を行ってきた事実も忘れてはならない教訓である。

 とりわけ、1933(昭和8)年に水平社が「差別判決を取り消せ、しか然らずば解放令を取消せ」とのスローガンを掲げて 全国的な糾弾闘争を展開した高松結婚差別裁判にみられるように、司法においてさえ差別容認判決が数多く出されていた事実を見据えておく必要がある。
 まさに、「賤民廃止令」からすでに60有余年を経た時点でも、社会的のみならず司法的にも部落差別はされ放題だったのである。

▼この流れをまず日本社会全体の共通の理解・前提としたいです。(2020.2.18)
▼谷元さんのご著書の「まず部落差別という意識の問題について 」に飛びます。(2020.5.14)

 よく差別をしている人は差別の重みが分からないといわれます。例えば、刃物で人を傷付けた場合、血が出ます。 最悪の場合は亡くなってしまいます。ですから、ひどいことをしたということがよく分かります。 しかし差別というのは心理的な打撃です。ですから差別を受けている人がどのような打撃を受けているのかがなかなか理解できないのです。
2018.1.1解放新聞
「蘭陵王」は西光万吉の絶筆といわれる絵画

 水平社宣言を起草した中心人物だった西光万吉さんという方が、たとえ話で差別のひどさを語っています。 池のカエルに石を投げて遊んでいる子どもたちがいます。子どもは面白くて仕方がないので夢中で石を投げます。 物語の中のカエルは、あなたがたは楽しくて仕方がなくて石を投げておられるのかもしれないけれども、 われわれにとっては生きるか死ぬかの問題だと言います。
 この話と差別はよく似ています。差別をしている人たちは差別のつらさや痛みをまったく想像せず、 何気なく、あるいは当たり前のようにやっています。しかし、それは差別を受けているものにとって非常につらいものです。 やっているほうは楽しくて仕方がないかもしれませんが、差別を受けている側の人たちにとっては死活問題です。 このことを分かりやすく寓話でカエルを用いて説明しています。やはり水平社の活動を考えた時、糾弾の意味は非常に重要だと思います。
▼西光さんの話は情と理に訴える説得力があると感じました。 

三つ目は戦争と部落差別という問題です。
 二つの重要な教訓があります。水平社は非常に優れた運動をしていましたが、だんだん戦争が激しくなり、 1941年の初めに活動ができなくなってしまいました。活動を続ける場合は戦争に協力するということを表明しなければならなくなったのですが、 水平社は届けを提出しなかったので法的に自然消滅しました。つまり水平社は20年しか活動していないということになります。 また、最後の方は戦争が激しくなり、活動できる状態ではありませんでした。
 1937(昭和12)年7月に日中戦争が始まりました。それまで水平社は反ファシズムというスローガンを掲げて果敢に戦っていましたが、 日中戦争が始まり、国家総動員体制(「アイヌ民族史年表」1937年に詳しいです)のようなかたちになると、正面から反ファシズムを表明することができなくなりました。 戦争に協力するというかたちを取らなければ活動ができなくなってしまったのです。 つまり、平和な時でなければ差別解消活動はできないのだということです。一旦、戦争状態になってしまったら活動はできません。 ですから、戦争を食い止めなければなりません。戦争が始まったら人権や差別という問題は語れなくなってしまいます。
 部落問題について二つ目に多い意見は、部落の人たちは固まって生活をしているから差別を受けるのだ。 バラバラになったら分からなくなるのではないかという考え方です。これを部落分散論ともいいます。 しかし、これはおかしな議論です。 なぜかというと、差別があるからこそ集まって住んで何とか生活を支えているという面があるからです。
もう一つは、居住移転の自由というものがあります。ですから、今住んでいるところから強制的 に分散させるというのはひどい人権侵害につながります。
 戦争で日本はアメリカの空襲を受けて多くの都市が焼けてしまいました。大阪市内の浪速という大きな部落も全焼し、 部落はいや応なしに分散することになりました。ところが戦争が終わって5年、10年経つと、部落に住んでいた人たちは 元々住んでいたところに戻ってきました。 そして浪速という部落は再生しました。つまり、部落の人たちは歴史的・社会的関係の結果固まって住んでいるので、 何かあって分散したとしても戻ってくるということです。戦争という不幸な経験の中で、 一旦、分散した部落が再生するという社会実験の結果が出たといえると思います。
▼友永さんのお話は穏やかで、根拠があり、説得力があります。

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《第3講:戦後の部落解放運動の再建と国策樹立請願のとりくみ》
 第3講は、戦後の部落解放運動の再建と国策樹立請願のとりくみという講義です。
1946(昭和21)年2月に水平社は再建されました。日本が敗戦したのは1945(昭和20)年8月です。 ですから戦争が終わった直後に部落解放運動を再開したことになります。再建したときの名称は水平社としてではなく、 部落解放全国委員会という名称でした。
 水平社という名称で再建しなかった理由は二つあります。一つは水平社の時代では、500戸ぐらいある部落でも少数の人しか水平社に入っていませんでした。 ですから影響力は限られたものでした。これでは駄目だということになり、それぞれの部落で、世話役活動をすることになりました。 その世話役活動の運動スタイルが部落委員会活動という名称でした。
 日常的に、部落の人たちが困っていることに耳を傾けるという行動を続けて世話をやくわけです。 そうすると水平社に対する信頼感が高まり、水平社の周りに多くの人が結集することになります。 水平社の時代、一番発展した運動形態から出発しようではないかということが一つ目の理由です。
 二つ目は水平社の他にも部落差別をなくすための運動をしている団体がありました。例えば、中央融和事業協会という半官半民の団体もありました。戦後、部落問題について運動団体をつくって再出発するとしたら、これまで水平社に入っていなかった人たちも入れるような団体にしたほうがいいのではないかということで部落解放全国委員会という新しい名前で再出発することにしました。 部落解放全国委員会が行った活動で一番大事なのは、日本国憲法の内容についての活動です。
 資料番号Bをご覧ください。第十四条の一項「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、 政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあります。これが部落問題を解決する上において今の日本の法律体系の中で一番大事な、 根本にある条文です。この中で部落問題は「社会的身分」に含まれるという憲法学者が一番多いです。 一部、「門地」に含まれているという方もいますが、多数説は社会的身分です。
 ご存じのように日本国憲法の原本は英語で起草されました。その英文を日本語に翻訳しているのですが、 英文ではsocial statusという言葉が使われています。これには二つの訳が考えられます。社会的地位と社会的身分です。 社会的地位と訳してしまうと、非常に広い意味になってしまいます。例えば、会社の中での社長と従業員という地位があります。 これも社会的地位になります。ですからsocial statusという言葉をもう少し絞り込んで、 部落問題がにじみ出るような言葉にしてもらいたいということで部落解放全国委員会の人たちがはたらきかけた結果、 最終的に「社会的身分」となりました。このことを一つ知っておいていただきたいと思います。
 もう一つの条文が第二四条の一項です。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、 夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とあります。 この条文についても部落解放全国委員会の人たちがはたらきかけました。なぜこれが大きな問題になったかというと、 戦前は結婚差別が非常にひどかったからです。部落出身の男性と部落外の女性が相思相愛となって結婚したいといっても、 戦前は家長(戸主)制度があって、家長(戸主)の許しがないと結婚できませんでした。そのために破綻になった例がたくさんありました。
 新しい憲法をつくって再出発するのであれば、婚姻は家長(戸主)が決めることではなく、 結婚する当事者が決めることだということを明記してほしいといったのです。その結果、「両性の合意のみに基づいて成立し」と明記されました。 こうした条文を入れるために、部落解放全国委員会の人たちが努力をしました。
▼わたしも法律は勉強しましたがここまでは知りませんでした。 十四条の一項と二四条の一項に部落解放全国委員会の活動があったのですね。しっかり覚えておきます。

 本来であれば結婚式場の案内板は、○○さんと○○さんの結婚式場という書き方が正しいはずです。 しかし、いまだに○○家と○○家の結婚式場という看板を掲げているところが多いのが現状です。 つまり家柄が問題だということになります。その延長線上に部落の人ではないだろうか、という問題が生まれてくるわけです。 これは憲法の精神から見るとまったくおかしなことです。憲法の精神が日常生活の中に生かされていません。 このような問題があることを覚えておいていただきたいと思います。
 部落解放全国委員会がとりくんだ一番重要な運動は『オール・ロマンス』差別事件に対する糾弾闘争です。 これは1951(昭和26)年10月に発覚した事件です。『オール・ロマンス』というのは月刊雑誌で、駅などでも売られていました。 現在はこの雑誌はありません。この雑誌の十月号に『特殊部落』という題の差別小説が掲載されました。 京都市内の被差別部落を題材とした小説です。部落問題を解決しなければならないという印象をもたらすような内容ではなく、 逆に部落に対する差別意識を助長する内容だったため、大問題になりました。
 この小説は京都市の九条保健所に勤務していた杉山清次という人が書いたものでした。保健所の職員として、 夏になると水たまりにボウフラがわかないように薬品をまく仕事などをしていました。その仕事の関係で部落によく出入りしていたのです。 ですから部落がどのような状態におかれているのかということを表面的によく知っていました。 見聞きした内容を織り交ぜて小説にしたのですが、この内容が部落差別を助長するとして、部落解放全国委員会の京都府連が取り上げました。
 それまでであれば、小説の筆者である杉山清次と『オール・ロマンス』を出版している出版社に対して抗議し、 雑誌を回収してもらい、筆者と出版社に反省の弁をもらい、こういうことを繰り返さないでほしいといって終わっていました。
 しかし、この『オール・ロマンス』闘争の重要性は、杉山清次という人が京都市職員だったということもあって、京都市の責任が追及されたことにあります。 部落解放全国委員会の京都府連は京都市に抗議に行きました。 当時、市長だった高山義三に対して京都市の職員が差別小説を書いているが、どうするんだと抗議しました。 その話を聞いた市長は、そんな不埒な職員がいるなら首にすると言って、杉山清次を首にして一件落着にしようとしました。
 しかし、部落解放全国委員会の京都府連は、われわれは杉山清次という人を首にしてくれといって市長に会いに来たわけではないのだ。 市長、あなたの責任を問いに来たのだと追及したのです。市長は、私は差別をしていないと言い張りましたが、 それならばということで、市長に対していくつかの質問をしました。
   2020.7.8朝日新聞朝刊
▼コロナで噴出した黒人差別。プリンストン大学教授のエディ・グロードさんは「根底にある 医療や教育、住宅の問題に資金を振り向けるやり方への転換です。社会問題を犯罪という切り口だけでとらえ、 犯罪者を刑務所に送れば事足りるという従来のやり方から決別できるかどうか が注目されます」と。
解放同盟の1957年にはじまり、1965年の同対審答申を出させ「特別措置法」終了の2002年までの戦後45年間 の運動が、これから米国社会が取り組まなければならない課題だと思います。 解放同盟の運動の経験が世界の差別問題を解決していく先例となっているように私には思えました。(2020.7.10)

 例えば、京都市内で地震が起きた時に崩れてしまいそうな不良住宅が密集している地域はどこにあるかと聞くと、 京都市内の被差別部落に集中しました。小学校、中学校は義務教育であるのにもかかわらず、義務教育を修了していない、 あるいは義務教育すら通えない子どもたちが多いのはどの地域かと聞くと、これも京都市内の被差別部落に集中しました。 生活保護受給者の比率が高いのも京都市内の被差別部落でした。
 その現実を突きつけられることによって、はじめて高山市長は指摘された意味を理解したのです。 私は意図的に部落を差別するような行政をしてきたとは思わないが、指摘された現実を見ると、このような深刻な実態が部落に集中している。 それなのに京都市政は何もやってこなかったと。まさに行政の怠慢です。これは認めざるを得ないということで高山市長は謝罪をし、 そして翌年から京都市は部落問題を解決するための予算を組みだしました。
 私は一般施策の中に部落に対しては実施しないという露骨に差別的な施策があるのではないかと思って調べてきましたがみつかりませんでした。 しかし、この『オール・ロマンス』闘争を勉強して分かってきたことがありました。それは、 一般施策の中に部落を素通りする仕組みが含まれていたということです。これが謎を解く鍵でした。
▼「部落を素通りする仕組み」凄い気づき。『オール・ロマンス』闘争の意義がよくわかりました。

 一番分かりやすいのは水道行政です。皆さんのおうちには水道があると思います。しかし、私の小学生時代、私の家は井戸水を使っていました。 小学校高学年頃になってやっと水道になりました。私の親の時代は釣瓶で井戸水を汲んでいました。釣瓶で水を汲む時代、ポンプで水を汲む時代、水道を使う時代と変わってきました。 水道が普及する時にある問題が起きました。水道には本管という大きな管があります。これは100パーセント行政が負担します。 しかし、本管だけでは自分の家に水は来ないので、引き込み管を引いて自分の家に水道を通さなければなりません。 これは個人負担になります。つまり、自分の家に水道を引こうと思ったら、いくらかお金を払わなければならないのです。 これが部落には不利にはたらいていました。なぜかというと、部落には水道を引くだけのお金を払える人が少なかったのです。 部落の中にもお金持ちの方もおられますが、相対的に部落の中では経済的に困っている人が多いため、 世間では水道が普及しているのに部落には水道がないとか、10軒で一つの水道栓を使うといった事態が起きていました。 これが一般施策の中に部落を素通りする仕組みがあるということです。
 決して部落には水道管を付けるなといっているわけではありません。自分の家に水道管を付けたいのならば お金を払ってくださいという仕組みなのです。ですから部落の人は水道管を付ける費用を半額にするなどして付けやすい仕組みをつくらなければ、 いつまでたっても部落に水道はつきません。これが「特別措置法」が生まれてきた背景です。
 『オール・ロマンス』差別事件は戦後の部落解放運動を発展させた重要な事件でした。なぜ重要だったかというと、 差別事件だけが差別ではなく、部落が置かれている劣悪な実態も差別の結果生み出されてきているということが分かってきたからです。
 部落の人たちは365日24時間、差別の結果生じてきた実態にさらされていました。多くの人たちが困っていたため、 差別をなくしてほしいということで運動に立ち上がり、自治体にはたらきかけた結果、いろいろな施策が行われだしました。 そして部落の実態が変わっていくと、日常的に多くの部落の人たちが運動に参加するようになりました。 部落解放全国委員会の会員もどんどん増えていき、1955(昭和30)年には部落解放同盟という名称に変更されました。
 部落問題にとりくむには地方自治体だけでは予算的にも制度的にも限界があります。やっぱり国が積極的にこの問題にとりくむべきだということで 部落解放国策樹立請願運動が始まりました。
 1958(昭和33)年1月、東京に全国の部落解放同盟の代表者と部落問題について取り組もうとしている地方自治体の代表者、 主な政党や労働組合の人たちが集まりました。そこで国が部落差別問題解決のためにとりくみを始めるべきだということで大集会を行いました。
 ここで歴史的な出来事がありました。当時の三木政調会長が、後に総理大臣になった三木武夫さんです、当時の最大与党であった自由民主党を代表して、 「部落問題は政党や政派を超えて解決しなければならない最重要課題だ」と言われたのです。 この集会をきっかけとして国は本格的に部落差別問題に取り組み始めました。 部落解放運動の大きな特徴は、まずは地域で運動が盛り上がり、部落を抱えている地方自治体にはたらきかけ、地方自治体が変わり、 その地方自治体と運動団体が協力して国にはたらきかけ、そして国を変えていったことです。

▼部落解放運動の経験はマイノリティーの活動の大きな財産。


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特別コーナー「解放への国民大行動」
▼友永さんの講義の第3講と第4講の間に戦後日本で最大ともいえる大衆運動がありました。
そして運動の路線をめぐって激烈な闘いがありました。 その様子を第3講と第4講の繋ぎに是非とも入れて、現在さまざまな市民活動をやっておられる方々に知っておいていただきたいと思いました。
いまコロナで大騒ぎです。政府を動かすのは至難の技です。運動の内部の反対派を打ち破り、政府を動かした記録です。

右の366頁に及ぶ報告書「解放への国民大行動」にその経緯が詳細に記述されています。我が家のトランクルームの書架にあったの をたまたま見つけました。 1967年10月21日、「同対審答申完全実施要求国民集会」に参加して、とメモされていました。53年前、21歳です。(2020.5.4)

▼まず経緯から
昭和32年、部落解放同盟第12回全国大会で部落解放国策樹立請願運動を展開することを決定。
昭和33年1月、部落問題解決のための予算を、中央政府に要求する要請書が作成。各省庁に要望書を提出。
 1月24日東京四谷の主婦会館で代表500名 が参集、各党代表、関係各省責任者を招き「部落解放国策樹立要請全国代表会議」開催。 (▼友永さんの上記自民党の三木政調会長の発言は この時のものです。)
 1月25日全国代表が政府機関に請願。愛知官房長官は調査審議機関の設置を渋々約束。(のちに同和対策審議会の設置に繋がる) 特別国会に請願書提出。部落対策費、戦後はじめて5千2百万円計上。
昭和34年、1億4千万円計上。
昭和35年、5億8千万円計上。
 8月12日「同和対策審議会」設置する法律が2年の時限立法として公布。
昭和36年3月3日、4日部落解放同盟第16回全国大会で部落解放要求貫徹請願運動を全国的規模で展開することを決定。
請願行進隊が編成され、西日本隊は福岡〜東京、東日本隊は長野〜東京を行進。
 10月10日東京芝公園で部落解放要求貫徹国民大会開催。
 10月11日、33年に提出した請願書を補足した請願書を再提出。
昭和37年3月第17回全国大会。秋季全国闘争決定。
 10月22日東京千代田公会堂で全国代表者会議。翌日各省庁交渉。
昭和38年第18回全国大会。
 9月20日から九州福岡集会(8千人)中・四国岡山集会(5千人)関西大阪集会(4千人)を成功させた。
 12月15日から全国代表250名中央行動。
昭和39年第19回全国大会。3年間の秋季全国闘争の教訓。
 10月全国代表者会議。12月中央委員会。
以上四次にわたる全国闘争の中で内閣の「同和対策審議会」に対し、真に部落問題を解決する答申を提出することを強く要求した。
昭和40年8月11日審議会は答申を発表。同和対策審議会答申 (この大阪府のHPが一番読みやすいです。)
▼答申を出させるだけで昭和32年から昭和40年まで8年間かかっています。
この答申をめぐって激論が20回大会で闘わされます。 (2020.6.27)

 10月4〜5日第20回全国大会。
▼左の著書『部落解放理論の根本問題』で著者の大賀さんが当事者として闘いを詳述されています。
日本共産党と部落解放同盟との対立、紛争は、歴史的に三つの段階に分けることができる。第一期は1965年の「同対審」答申に対する評価論争から始まる。
「答申」をこれまでの部落解放運動の成果ととらえ、 今後の闘いの有利な武器として積極的に活用していく本部方針と、これを新しい融和政策、欺瞞、毒まんじゅうとみる日共の方針とが激突した。(3頁)
それは部落解放同盟第20回全国大会の時に爆発した。
大会の場において、日共系代議員たちは、こぞって「同対審」答申は「毒まんじゅう」であり、米日独占の新しい 融和政策であって、それを評価することは運動の方向を誤らせる。「同対審」答申の欺瞞性を徹底的に暴露して闘うべきだと本部方針案に猛反対した。中央 役員に入っているに日共系幹部たちは連名で本部原案に対する修正意見書を出した。(4頁)
答申は部落解放同盟の闘いの成果である。彼らはこの答申が1951年のオールロマンス闘争にはじまる地方自治体に対する行政闘争のつみかさね、 58年(昭和33年)の部落解放国策樹立要請全国代表者会議にはじまる政府に対する中央行動、およびわれわれが部落解放運動のたたかいの歴史のなかで、 きずきあげた部落解放理論をもとにするたたかいによって、かちとったという観点から評価できないで、その積極面を利用していく闘いを放棄した。(18頁)

▼『国民大行動』(297頁)より。
第20回全国大会があきらかにしたように、昭和37年から昭和39年にいたる第17、18、19回全国大会の期間における部落解放要求貫徹請願運動にもちこまれた、 諸偏向、即ち、部落差別の本質を無視し、民主主義一般に抽象化、普遍化した偏向は、重大な意義をもっていた。それは、その一部幹部の偏向者が機関の 中心にあり、第17回大会から第19回大会までの中央闘争のイニシャティーブをとったがために、この方針にあらわれているように、3年間の中央闘争の 意義づけが、一般化、抽象化され、たんなる決起集会として、位置づけられていた。そして、このことは、20回大会においてはしなくも 自己バクロしたように、「同対審」答申の意義を無視し、「答申がよければ、よいほど悪い」という意見が出されるほど、 偏向は深まっていった。

▼『部落解放理論の根本問題』(20頁)より。
解放同盟は、「同対審」答申のどこを評価したか。それは答申が「部落問題の解決は国の責務であり、国民的課題である」とはっきりあきらかにしたことにある。 この答申以前には、部落解放運動にとって、まず部落差別があるかどうか、部落差別の存在を認めるだけで大変な時間を費やした。それが答申においてはっきり 部落差別の存在を認め、その解決の責任を国が明らかにしたことは、部落解放運動にとって画期的な武器として活用できた。答申があるから部落解放運動 が前進してきたのではない。答申を闘いの武器としてきたから前進してきたのである。「同対審」答申評価論争は、理論的にも実践的にも我々の立場が 正しかったことを明らかにした。日共は自らの立場をなしくずし的にかえざるをえなくなったのである。
▼この論争と実践は貴重です。「アイヌ政策推進法」をめぐって似たような議論がなされています。 大賀さん的判断・評価がマイノリティー運動の要だと思っています。(2020.5.4)

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《第4講:「特別措置法」に基づくとりくみの成果と課題》
    2018.5.11朝日新聞夕刊
    映画 私はあなたのニグロではない
「公民権運動に携わる黒人にとって、差別は精神的なものではない。生命に関わるものだ。エバース、マルコムXに続き、非暴力 主義を貫くキング牧師が暗殺される。白人警官が黒人に振る舞う暴力の激しさは正視に堪えない。」「白人の暴力に対し、怒りの涙を流しながらも言葉 で戦うことをやめない。」「向き合っても変わらない場合もある。だが向き合わずに変わることはない」「これは黒人の問題ではない。この国の問題 なのです。」

▼2年前の切り抜きです。フロイド事件後の今日この記事を読み直しこころに刺さる箇所を拾いました。(2020.7.17)
 第4講は「特別措置法」に基づく取り組みの成果と課題についてです。 まず、内閣同和対策審議会答申の歴史的な意義についてお話ししたいと思います。 資料Cを見てください。戦後、部落問題について国や自治体が本格的にとりくみ出す転機をつくりだしたのは、 1965(昭和40)年8月に出された内閣同和対策審議会答申です。これが歴史的な転換点を生み出しました。 内閣同和対策審議会答申・前文の2行目を見てください。 「いうまでもなく同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、 日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。したがって、 審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、 同時に国民的課題であるとの認識に立って対策の探求に努力した」とあります。 「同和問題の解決の責務は国にあり、同時に国民的課題である」というところが歴史的な意義です。

 それまで部落問題は部落の人たちに責任があるのだととらえられていました(部落責任論)。 多くの人は部落問題について無関心でしたが、部落問題について知っている人の多くは、 部落の人が悪いから差別されているのだと思っていました。しかし同和対策審議会でいろいろな角度から調べてみた結果、 部落差別は部落の人たちの責任ではなく、国の責任として考えるべきだという結論に達しました。 これは先ほど話した京都の高山市長が気が付いたことと同じ問題です。

 部落問題を解決するために国や自治体は積極的なとりくみをしてこなかった。そのために深刻な部落問題が残ってしまった。 これを国の責務といったのです。
▼「在日コリアン」・「アイヌ民族」の問題を勉強してきて感じていたことは 明治以降も国家が積極的に弾圧、迫害、破壊に手をかけているが、部落の場合は問題解決のために積極的なとりくみをしてこなかった、 ここに基本的な違いがあることがわかりました。

 では、なぜ部落問題が国民的課題なのでしょうか。これは少し考えていただいたら分かると思います。 部落差別というのは、例えば、結婚の時に部落外の人が部落の人を忌避することです。 就職の時も採用担当者は部落の人を忌避します。嫌がるわけです。住宅を買う時も部落の地域にある住宅を買うのを嫌がります。 つまり部落外の人が部落を差別しているわけです。
決して部落の人たちの責任ではありません。部落問題を正確にいうと、部落を差別している人の問題です。 だから国民的課題なのです。
▼この考え方は「在日コリアン」に対する差別、「アイヌ民族」に対する差別、 すべての差別について言えますね。

▼下は2019.12.10朝日新聞朝刊です。ノーベル平和賞のムハマド・ユヌスさんと高校生の貧困問題についての対話です。
2019.12.10朝日新聞朝刊

「まず伝えたいのは、貧困は貧しい人たちの怠慢が原因ではなく、私たちのシステムが生み出したものだということです。 彼らに何かが足りないのではなく、私たちに足りないのです。私は、このシステム自体を変えるべきだと思う。」
▼ここのくだりを読んでいて友永さんの
「部落外の人が部落を差別している。 決して部落の人たちの責任ではありません。 部落問題を正確にいうと、部落を差別している人の問題です。」とのことばと
『共産党宣言』の「近代の労働者は、 工業の進歩とともに向上どころか、反対に窮民となり、極貧は人口や富の増大よりもなお急速に増大する。」 (ブルジョアとプロレタリアの章から)

を思い浮かべました。
▼貧困の問題は、マルクス、エンゲルスが170年前の『共産党宣言』で 当時のイギリスの労働者たちを見て感じ、考えたことを、ムハマド・ユヌスさんは2019年の今、同じことを感じ、考え、 そしてその解決にはシステム自体を変えるべきだと若者たちに語っておられる。(2019.12.11)


部落問題の解決を国の責務であると同時に国民的課題であるとするとらえ方は、部落に対する考え方を180度転換させました。 しかし、これだけでは部落問題解決はしないため、法律をつくろうということになりました。
 1969(昭和44)年7月から2002(平成14)年3月まで、33年間、「特別措置法」によって部落の実態を変える取り組みを行ってきました。 皆さんは「特別措置法」という言葉をお聞きになったことがあると思います。 しかし何が特別なのかを知っている方は少ないと思います。市町村は部落のために住宅を建てたり、 保育所を建設したり、部落のセンターとして隣保館を建てたりします。そういった建物を建てるためにはお金が必要です。 こうした事業に対しては、国からの補助が一般施策より多く出るのです。必要なお金の3分の2を補助すると法律に書いてあります。 残りの3分の1は起債を起こすことを認めています。これは一定の期間の間に利子を付けて返済しなければなりませんが、 自治大臣(当時)が認めた事業に関しては、10分の8までは交付税として返ってくることになっています。そうすると、 3分の2が補助され、3分の1が起債が認められ、その内の10分の8は返さなくてもいいということで、 15分の1の負担で同和対策事業ができるという仕組みです。

▼この特別措置は在日コリアン、アイヌ民族にも必要。(沖縄はこれから勉強します。)
▼沖縄の問題も一通り勉強してきましたが、財政の問題ではなく、基地負担、自己決定権の問題と今では理解しています。(2019.10.9)


ということは、15億円必要な事業でも市町村は1億円お金を用意すればいいということになります。 ですから短期間の間に部落の中に住宅が建ったり、保育所や隣保館ができたりしました。 これが「特別措置法」です。正確にいうと「特別措置法」というのは、財政面の「特別措置法」でした。 33年間の「特別措置法」によって部落は環境面を中心に改善されてきました。
 しかし、「特別措置法」は差別事件に対しては無力でした。いずれ「特別措置法」 がなくなるということが分かり、なおかつ部落差別が残るだろうということが想定されましたので、 1996(平成8)年5月に地域改善対策協議会という諮問機関から意見具申が出ました。
▼この「地域改善対策協議会諮問機関の意見具申」は立派なすばらしい内容です。ご一読ください。(2020.5.15)
1996(平成8)年5月17日地域改善対策協議会 「同和問題の早期解決に向けた方策の基本的な在り方について(意見具申)」
1 同和問題に関する基本認識
 今世紀、人類は二度にわたる世界大戦の惨禍を経験し、平和が如何にかけがえのないものであるかを学んだ。 しかし、世界の人々の平和への願いにもかかわらず、冷戦構造の崩壊後も、依然として各地で地域紛争が多発し、 多くの犠牲者を出している。紛争の背景は一概には言えないが、人種や民族間の対立や偏見、 そして差別の存在が大きな原因の一つであると思われる。こうした中で、人類は、「平和のないところに人権は存在し得ない」、 「人権のないところに平和は存在し得ない」という大きな教訓を得た。 今や、人権の尊重が平和の基礎であるということが世界の共通認識になりつつある。 このような意味において、21世紀は「人権の世紀」と呼ぶことができよう。
 我が国は、国際社会の一員として、国際人権規約をはじめとする人権に関する多くの条約に加入している。 懸案となっていた「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」(人種差別撤廃条約)にも加入し、 「人権教育のための国連10年」への本格的な取組みも開始された。世界の平和を願う我が国が、 世界各国との連携・協力の下に、あらゆる差別の解消を目指す国際社会の重要な一員として、 その役割を積極的に果たしていくことは、「人権の世紀」である21世紀に向けた我が国の枢要な責務というべきである。
▼この認識が(意見具申)の中に入っていることは驚きです。最近私も一通り「国連基準」を勉強してきてやっとここに書かれている 認識を今は共有できていますが、それが24年前に政府の機関で記述されていることに驚いています。友永さん、ご苦労さま。(2020.5.14)

 ひるがえって、我が国固有の人権問題である同和問題は、憲法が保障する基本的人権の侵害に係る深刻かつ重大な問題である。 戦後50年、本格的な対策が始まってからも四半世紀余、同和問題は多くの人々の努力によって、解決へ向けて進んでいるものの、 残念ながら依然として我が国における重要な課題と言わざるを得ない。その意味で、戦後民主主義の真価が問われていると言えよう。 また、国際社会における我が国の果たすべき役割からすれば、まずは足元とも言うべき国内において、 同和問題など様々な人権問題を一日も早く解決するよう努力することは、国際的な責務である。
 昭和40年の同和対策審議会答申(同対審答申)は、同和問題の解決は国の責務であると同時に国民的課題であると指摘している。 その精神を踏まえて、今後とも、国や地方公共団体はもとより、国民の一人一人が同和問題の解決に向けて主体的に努力していかなければならない。 そのためには、基本的人権を保障された国民一人一人が、自分自身の課題として、同和問題を人権問題という本質から捉え、 解決に向けて努力する必要がある。
 同和問題は過去の課題ではない。この問題の解決に向けた今後の取組みを人権にかかわるあらゆる問題の解決につなげていくという、 広がりをもった現実の課題である。そのような観点から、これまでの成果を土台とし、従来の取組みの反省を踏まえ、 未来に向けた新たな方向性を見極めるべき時に差しかかっていると言えよう。
▼部落差別を国連憲章、国連の視点から見る、国連憲章の崇高な理想実現の活動の一つとして部落差別に取り組む、 このような発想もあってもよいのでは。(2020.5.14)
▼これこそ大賀さんのイメージされる第三期の部落解放運動。(2020.6.28)


 それが資料Dになります。これは「特別措置法」がない状態で部落問題にどのように対応していくかということを書いたものです。 現在はこの指摘が生きてくるのです。 資料Dの中ほどを見てください。

「我が国固有の人権問題である同和問題は、憲法が保障する基本的人権の 侵害に係る深刻かつ重大な問題である。戦後50年、本格的な対策が始まってからも四半世紀余、 同和問題は多くの人々の努力によって、解決へ向けて進んでいるものの、残念ながら依然として我が国における 重要な課題と言わざるを得ない。その意味で、戦後民主主義の真価が問われていると言えよう」と言っています。

 同和対策審議会答申が出され、「特別措置法」が出され、いろいろ改善されてきたことは事実ですが、まだまだ問題は残っているということです。
 「また、国際社会における我が国の果たすべき役割からすれば、まずは足元とも言うべき国内において、 同和問題などさまざまな人権問題を一日も早く解決するよう努力することは、国際的な責務である」と言っています。 なぜ国際的な責務なのかはあとで説明します。

▼さまざまな人権問題のなかに在日コリアン、アイヌ民族、沖縄の問題も当然入ります。

 つぎに、「昭和40年の同和対策審議会答申(同対審答申)は、同和問題の解決は国の責務であると同時に国民的課題であると指摘している。 その精神を踏まえて、今後とも、国や地方公共団体はもとより、国民の一人一人が同和問題の解決に向けて主体的に努力していかなければならない」 と言っています。つまり、同和対策審議会答申の一番大事な精神を引き継いでいくと言っています。 以上の指摘をしたうえで、新しい方向を提案しています。

「同和問題は過去の課題ではない、この問題の解決に向けた今後の取組みを人権にかかわるあらゆる問題の 解決につなげていくという、広がりをもった現実の課題である。そのような関係から、これまでの成果を土台とし、従来の取組みの反省を踏まえ、 未来に向けた新たな方向性を見極めるべき時に差しかかっていると言えよう」と言っています。

 33年間の「特別措置法」の時代は、部落に限定して財政を投下し、解決してきました。これからは残されている問題に取り組まなければなりません。 これから部落問題に取り組む時、部落問題の解決に役立つと同時に他の人権問題の解決に役立つという 一石二鳥の方向を採ったらどうかという提案をしました。新しい方向を提案したことを知ってほしいと思います。これが重要な点です。

▼友永さんのこの提案は素晴らしいです。今から20年も前にこのようなことを考えてくださっていたのですね。 遅ればせながらマイノリティーの問題を考えている人間としては感謝、感謝です。

▼「意見具申」を全文読んでみました。「別添 同和地区実態把握等調査に関する小委員会報告(抄)」の中の(8)財政で
「同対法以来、四半世紀にわたる特別対策において、国、地方公共団体を合わせて、 これまでに13兆円を超える支出がなされている」
とありました。
「同対審」の答申が1965年に出たとき「毒まんじゅう」論を展開した人たちは1996年のこの報告をどう受け止めているのか ちょっと気になりました。
13兆円、大変な金額です。これだけの財源措置を国、地方自治体にとらせるには膨大なエネルギーが必要になることは想像に難くありません。

▼最近大賀さんから「毒まんじゅう」論を封じ込めるための苦労話を伺いました。(2020.2.18)
この時の宿題を今日果たしました。「解放への国民大行動」の欄で。(2020.5.4)

Wikipedia:同和対策事業(どうわたいさくじぎょう)とは、被差別部落の環境改善と差別解消を目的として行われた 一連の事業を指す。国策としての同和対策事業は、1969年(昭和44年)に国会で成立した同和対策事業特別措置法 (通称「同和立法」)により、当初は10年間の時限立法として始まったが、その後様々な法案が提出され、 2002年(平成14年)に終結するまで、33年間で約15兆円が費やされた。

▼ 33年間の「特別措置法」は次のようです。 1969年同和対策事業特別措置法、1979年特別措置法延長、1982年地域改善対策特別措置法、 1987年地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律。2002年立法期限切れ。


 「特別措置法」で解決しなかった問題として、狭山差別事件と部落地名総鑑事件、第3回世界宗教者平和会議での差別事件を載せています。 時間の関係で、部落地名総鑑事件だけふれておきます。これは「特別措置法」がまったく役に立たなかった深刻な事件です。資料Eを見てください。 部落地名総鑑差別事件という事件は聞いたことがあると思いますが、詳しく知っている人は少ないと思います。
 これは1975(昭和50)年11月18日に企業の内部告発で明るみになった事件です。私が働いていた部落解放センター(大阪市浪速区)に部落地名総鑑を買わないか、 というダイレクトメールが来たので取り上げてくれないかという匿名の投書による告発があったのです。 調べてみると8種類の部落地名総鑑が出回っているということが分かりました。注釈の下を見てもらうと分かるように200を超す企業が部落地名総鑑を買っていました。
 内容は全国の5,300を超す部落の名前と住所、戸数や主な職業を都府県別に編集し、電話帳のような分厚い本にして売られていました。 安いもので5,000円、高いもので4万5,000円という価格が付けられていました。つくっていたのは興信所、探偵者をしている調査業者ということが分かってきました。 買っていたのは主として企業でした。ということは、採用する時にその人が部落の人かどうかを調べていたということです。

 33年間続いた「特別措置法」は、部落で事業をする際、3分の2の助成金を出しましょう、 3分の1の起債を認めましょうという法律であって、部落地名総鑑事件のようなことが起こった時に実行者を逮捕できるといった法律ではありませんでした。 そのような問題点も明らかになった33年間だったということです。

▼「特別措置法」の限界を説得力ある事例で説明される。よくよくわかります。
過去を辿ります。江戸時代の身分差別法には強制力がありました。「えた」を差別しろ、という刑罰を伴う差別法でした。 具体的には下記の「安永の御触書」(1778年)です。谷元昭信『冬枯れの光景』に出て来ます。 それから240年後の今は逆に差別をするな、差別を禁止するための、罰則を伴う差別禁止人権法を作る、 このことは国際的にも要請されていることです。(2020.2.18)
▼国連がこの運動の先頭に立っています。経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(B規約)第2条。(2020.5.14)


▼谷元昭信『冬枯れの光景』(下325頁)
《初の明確な身分法としての『安永の御触書』―身分制度の強化》
 このような背景をともなう身分制の危機ともいえる「差別のゆるみ」に対して、幕府はいわゆる〈安永の御触書〉 (「穢多非人風俗之儀ニ付御触書」/老中・田沼意次時代の1778年)を出して差別制度を強化する。  この御触書は、幕府がはじめて全国へむけて公布した身分法である。特徴的なことは、「穢多・非人等」が百姓・町民に「法外」 の行為(対等に交流することなど「分限不相応」の行為)を行った場合は厳罰に処するとともに、百姓・町人にも差別的対応を強制し、 違反すれば処罰するとして、「差別する側」「差別される側」双方に差別を強制する政策を鮮明にしたことである。
▼安永の御触書に関する研究論文です。勉強になります。
安永 7年(1778)10月の 「賎民」取締令 につ いての小考察  寺 木 伸 明
「たとえば小倉藩では、幕令の内容だけではなく、それに藩独自の 取り締り規定14ヵ条を添えて触れ、そのうえ村々の庄屋に対 して 「えた ・非人」 を残らず呼び出して読み聞かせ、それでも背くものがあれば小屋を焼き捨てに し、その土地に差し留めないように命 じている。
また、信濃地方、河内国更地村、長州藩、阿波藩などでは、「えた」あるいは 「非人」から請書を差し出させている。 たとえば河内国更地村の場合、幕令の条文のあとに 「右之通、御触 書之趣被仰渡承知仕奉畏候、銘々兄弟 ・悼共江茂被仰渡候趣中間、急皮相守可 申候、為後日御請印形仕差上申候」と記した、村内 「えた」116名の連印請状を本村庄屋 ・年寄中に提出させられている。」
▼クリックしてください。「犬甘(いぬかい)の家老就任と差別政策の具体化」で小倉(こくら)藩の御触書 を読むことができます。908頁。幕府の発した法令の内容を下記にコピーしておきました。下は原文です。いずれも寺木論文より。
安永七戌年十月
穢多非人風俗之儀二付御触書
近来穢多非人等之類、風俗悪敷、百姓町人江對、致法外之働、或ハ百姓躰ニ紛し、 旅龍屋、商賣小酒屋等江立入、見咎候得ハ、六ケ敷申懸候得共、 百姓町人等ハ外聞二拘、致用捨捨置候故、法外致増長 、就中中国筋之穢多 非人茶菟之類、盗賊悪党者之宿、又ハ盗もの之致世話趣も粗相聞、
既二穢多共申合、村々江盗二入候もの共、追々引廻死罪等御仕置申付候得共、風 俗不相直由之取沙汰有之候、悪事致候ものハ勿論、百姓町人二對、慮外い たし候欺、百姓町人躰二紛し候ものハ、厳敷御仕置申付候段、兼而穢多非 人茶筅之類江厳敷申渡置、相背もの有之候ハゝ、御料ハ御代官より手代足 軽差出召捕、御勘定奉行江可申達、於私領も右二准可申候、若捨置候場所 有之候ハゝ、最寄御代官より手代足軽遣、召捕二而可有之候、於然ハ、其 地頭之可為不念者也、
右之通、御料私領共不洩様可被相触候
▼そしていま解放同盟によって「人権条例」制定の運動が全国の自治体で取り組まれています。(2020.4.25)


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《第5講:人権の概念〜世界人権宣言と国際人権規約@》
 実は、第5講以降の3講はまったく違う角度から講義をしました。部落問題を考える時、部落問題から部落問題自体を考えていくという方法もありますが、もう一つは人権という物差しから部落問題を考えるという方法があります。そこで私は世界人権宣言と国際人権規約について必ず2回講義をし、人種差別撤廃条約について1回講義を行いました。 最初のテーマとして「世界人権宣言はなぜ採択されたのか」という問題についてふれたいと思います。
 日本では12月4日から10日までの一週間を人権週間といっています。世界的には12月10日がヒューマンライツ・ディ、人権の日になっています。 なぜかというと、世界人権宣言が1948(昭和23年)年12月10日に採択されたからです。
 戦前、日本では学校教育で人権についてほとんど教えられませんでした。だから多くの日本の人たちは人権という言葉が分かりませんでした。 皆さんには想像できないかもしれませんね。当時、人造絹糸(じんぞうけんし)というものがあって、これを略して人絹(じんけん)といっていました。 その人絹(じんけん)は知っていましたが、人の権利という意味の人権については多くの人は知りませんでした。 そんな日本でした。ですから、12月10日のたった一日ではとても足りない。しっかり考える必要があるとして一週間、 人権週間が設けられるようになりました。
 世界人権宣言は1948(昭和23)年12月10日に第3回国連総会で採択されました。採択された理由は二つあります。一つ目は第二次世界大戦で多くの人が亡くなったからです。5,000万人から6,000万人の人が亡くなりました。よく戦争こそ最大の人権侵害だと言いますが、戦争では多くの人が無残に殺されていきます。これほどの人権侵害はありません。しかし、私はこの理由だけでは平和宣言になっていたと思いますが、国連が採択したのは人権宣言でした。 二つ目の理由としては、単に多くの人が殺されただけでなく、むごたらしいかたちで多くの人が殺された、つまり虐殺があったということです。 ナチスによる大量虐殺は日本の教科書にも載っているのでご存じだと思います。 しかし、日本も大量虐殺とは無縁ではないということを知っておいていただきたいと思います。 資料Fを見てください。元日本兵の証言が載っています。これは非常に重要な資料です。日中韓3国共通歴史教材委員会が 日本、中国、韓国の高校生が使う教科書『未来をひらく歴史 東アジア3国の近代史』をつくりました。この写真の方が近藤一さんという方です。 自分自身が中国で実際に虐殺をしたということで、生き証人として謝罪の意味も込めて語っておられます。

第2版『未来をひらく歴史』135頁 高文研

 二つ目の段落を見てください。
「私たちは教育によって、中国人は人間以下の人種だと教え込まれ、 中国人を殺そうが豚や鶏を殺すのと同じでべつに罪にもならないし、殺すことは天皇のため、日本の国のためになると思っていました。 1941年9月頃、山西省北部の抗日根拠地に掃討作戦に行きました。八路軍がいるという情報が入ると、その部落に進撃します。 すると八路軍は逃げますから、逃げたあとの部落に入って、金や物資、衣料などを略奪し、隠れている女性を探して、 何人かの兵隊で輪姦してしまうのです。強姦や輪姦のあとは殺すのが通例でした」と言っています。
朝日朝刊2020.8.10
中国では現地の人を「肝試しの訓練」で銃剣で突き殺した加害者でもあった。

一段落飛ばします。
「私は、私を含めた日本軍兵士が中国で殺した罪のないたくさんの人々のことと、強姦や輪姦をして殺したり、 辱めたりした女性たちのことを思うと、夜も眠れない気持ちになります。私たちの犯した罪の重さや被害者の苦しみは消えることはありませんが、 日本の国として誠心誠意の謝罪や償いがあれば、少しは私たちの心の重みも楽になります」 私は世界人権宣言が誕生した秘密はこの証言に隠されていると思います。
 その証言は、「私たちは教育によって、中国人は人間以下の人種だと教え込まれ、 中国人を殺そうが豚や鶏を殺すのと同じで別に罪にもならないし、殺すことは天皇のため、 日本の国のためになると思っていました」というところです。つまり虐殺が起きる背景には差別があります。

2020.1.28朝日新聞夕刊

▼左の記事。マリアン・トゥルスキさん(93)アウシュビッツの元収容者。 1月27日のアウシュビッツ解放75周年式典での演説。

 私たちが1930年代のベルリンにいると想像してみよう。
ある日「このベンチにユダヤ人は座るな」と言われる。「このプールに入るな」「この声楽隊に入るな」 「ユダヤ人には17時以降しかパンを売らない」。

 差別は徐々にエスカレートする。だが、疎外されることに当のユダヤ人も、周りの人も、少しずつ慣れてしまう。気がつくと隔離され、 収容所ができていた。

「アウシュビッツは急に空から降ってきたものではない。」
「民主主義は少数者の権利を保護することにかかっている。」
「権力を握る政府の行動に無関心になってはいけない。」

▼マリアン・トゥルスキさんの演説を噛みしめました。権力者は徐々に追い詰めていく、徐々に実現していく、日本の 安保法制、集団自衛権解釈、自衛隊の中東派遣、を見ているとマリアン・トゥルスキさんのおっしゃる通りです。 (2020.2.10)

今から殺そうと思う相手が自分と同じかけがえのない命を持っていると理解していたとしたら、 人間は人間を殺すことができないはずです。つまらない、いない方がましだと感じた時に平気で人を殺すことができるわけです。 (障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら46人が殺傷された事件) つまり、虐殺を食い止めるためには差別をなくすしかないということです。差別をなくして人権を守りきった時に人間が人間を殺し合う、 虐殺や戦争がなくなります。ですから、世界人権宣言というのは、人権を守ろう、差別をなくそうという宣言ですが、 本当の目的は人間が人間を殺すことのない世界、恒久平和をつくるということです。(下線は引用者)
▼友永さん、本当に勉強になります。ありがとうございます。
▼改めていまこの箇所を読みました。深く、深く、こころに入ってきました。差別が戦争を引き起こすということが。 (2020.1.28)


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《第6講:人権の概念〜世界人権宣言と国際人権規約A》
 第6講は、その後の発展、国際人権諸条約の採択、その中でも国際人権規約についてとりあげました。 資料Gを見てください。 「国連が中心となって作成した人権関係条約一覧」という表があります。

 世界人権宣言は基本的な考え方を宣言しただけです。これだけでは差別をなくすことや人権を守ることはできませんので、 国連は条約をつくりました。現在、主なものだけでも32あります。いつできたか、どのぐらいの国が入っているかということは 表を見ていただいたら分かります。日本が入っているか入っていないかは右端の欄に記載されています。 日本は32の条約うち14しか入っていません。日本は経済的には発展していますが、人権については赤字国だという 批判を聞いたことがある方もいると思いますが、この表を見る限り、日本は積極的ではないということが分かります。
 この中で一番大切な条約は「国際人権規約」です。国際人権規約は、一覧表の1番から5番までの五つの条約の総称です。 この中の主立った条約は一つ目の「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」です。これは主に社会権を規定しています。 2番目に重要なのは三つ目の「市民的及び政治権利に関する国際規約」です。これは主に自由権を規定しています。
 これらの条約に加盟すると、およそ5年に一度、条約を守っているかどうかの報告書を国連に提出する義務が課せられます。 出された報告書を、例えば、社会権規約の場合は、社会権規約に入っている国の中から18人の専門家が選ばれて審査します。 結果は公表されます。自由権規約の場合も同じです。自由権規約に入っている国の中から18人の委員を選んで審査をして結果を公表します。 そこで日本政府は部落問題についてしっかり取り組むようにという勧告が出ています。

 先ほど部落問題が国際的な責務になってきたということが地域改善対策協議会の意見具申書に書かれていると言いました。 それはこのことを言っています。日本が国連のつくった条約に入り、国連からも日本の部落問題をはじめとした 人権問題の解決を促されているのです。

 なお、この条約の一覧表で言いますと、2番目の条約は1番目の条約にくっついている条約ですが、 社会権規約に入っている国で、2番目の条約に入っている国の場合、個人であったとしても守られてない場合は訴えることができる、 とあります。また、4番目の条約は、自由権規約に入っている国で4番目の条約に入っている国の場合は、これも先ほどと同じで、 守られてない場合は個人でも訴えることができる、となっています。これは個人通報制度といいます。
 今、世界はたった一人の人権侵害であっても国際社会が責任を持ってとりくもうという時代に変わってきています。 ただし、この選択議定書に入っていなければ使えません。日本は入っていません。ですから日本が選択議定書に入ることが非常に大事なのです。
▼人権とは:ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(1980年生まれ。ボン大学教授) 「人間が人間として存在するために譲れない諸権利のこと」と定義。(2018.6.29朝日朝刊)

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《第7講:差別撤廃の国際基準〜人種差別撤廃条約を中心に》
 第7講は人種差別撤廃条約をとりあげました。

▼2年間マイノリティーの勉強をしてきて、部落問題に関しては55年前に国連で採択された「人種差別撤廃条約」 の適用が極めて大事だと考えています。(2020.5.14)

この条約は国連で採択された条約で、同和対策審議会答申が出た時に採択されました。 つまり1965(昭和40)年に国連で採択されたものです。日本に対しては1996(平成8)年1月から発効しました。
 この条約が採択された理由は、ヨーロッパでネオナチの活動が活発になったことです。 ユダヤ人が通うシナゴーグと呼ばれる教会がダイナマイトで爆破されたり、ユダヤ人が葬られているお墓にスプレーで鉤十字のマークの落書きが書かれたりしました。 これは大きな問題になりました。皆さんご存じの通り、ナチスはユダヤ人に対する差別を栄養源にして権力を握っていきました。 ナチスが再び権力を握らないようにするために人種差別撤廃条約がつくられたのです。
 よく調べてみると、南アフリカに残っていたアパルトヘイトをなくすという流れもこの条約の中に入っていました。また、アメリカではマーチン・ルーサー・キング牧師が中心になって 展開されたワシントンマーチに代表される公民権運動が盛り上がっていた時代でもありました。 日本では国民運動の高まりを受けて同和対策審議会答申が出された年になります。ですから、この条約が国連でできた頃は世界的に 差別撤廃という流れが盛り上がっていた時代といえます。それを覚えておいてください。
▼本当に勉強になります。断片的な知識は少し持っていますが、友永さんの整理のお蔭で大きな流れがつかめます。感謝。

 次は、五つの差別事由の話をしたいと思います。人種差別撤廃条約は第1条で、この条約でいう人種について次の五つ挙げています。 人種(race)、皮膚の色(color)、世系(desent)、民族的(national)、種族的(ethnic)出身です。この五つを人種差別ととらえるといっています。
部落問題は、世系という差別の中に含まれるということが人種差別撤廃条約の履行を監視している委員会(人種差別撤廃委員会)の見解です。
2018.5.11朝日新聞朝刊
反差別国際運動(imadr)主催国際協議会
▼東京の集会は2018.4.12衆議院第一議員会館で開かれ私も出席しました。 解放同盟が世界のマイノリティーの人たちから尊崇の眼差しで見られていることを体験しました。
部落をBURAKUと表記することによって国際的な意味合いを持ち、尊崇される解放同盟のイメージ浮かび上がてくると考え、 HPの部落の頁はBURAKUとしています。(2020.2.15)
世系という言葉を辞書で引くと出身とか系譜と出ています。どこの出身であるかということです。 つまり、部落問題は部落出身ということで差別されるわけです。人種差別撤廃条約は部落問題も対象となる重要な条約であるということが分かります。 なぜ重要かといいますと、どのようにしたら差別がなくなるかということが書かれているからです。 人種差別撤廃条約には六つの差別撤廃方策が盛り込まれています。
一つ目は、差別を温存し解決を妨げている法制度の改変です。今、日本で問題となっているのは戸籍制度です。
二つ目は、差別の禁止です。日本ではほとんどの差別が禁止されていません。ですから、今後、差別の禁止が重要な課題になってきます。
三つ目は、差別被害者の救済です。今、100ぐらいの国で人権委員会がつくられていますが、日本にはありません。これも今後の課題です。
四つ目は、劣悪な実態を特別措置で改善することです。差別されている人たちは往々にして劣悪な状態に置かれています。 一般的な施策では解決できないので、特別な施策をしなければいけないといっています。 ただし特別な措置はいつまでもやるべきではありません。目的が達成されたらやめなければなりません。
五つ目は、教育・啓発です。最初に皆さんにお話ししましたが、自然に放置して差別意識がなくなることはありません。教育・啓発が必要となります。
六つ目は独自性を認め、共生していくことの重要性を語っています。
なお、パワーポイント画面の【注】のところに、差別は差別されている人だけでなく差別している人をも傷付けると書かれています。 先ほど差別という問題は差別している人の問題だとお話ししました。部落差別をすることで何が生まれるかというと、 一番被害を受けているのは部落の人たちですが、実は差別を行っている人も自分の人間性を傷付けていることになるということです。 そのことを人種差別撤廃宣言で強調しているということを申しあげておきたいと思います。
▼次の宣言がそれです。恥ずかしながら知りませんでした。友永さんのご指摘の部分は下線を引いておきました。
あらゆる形態の人種差別の撤廃に 関する国際連合宣言(外務省仮訳)
国際連合総会は、
国際連合憲章がすべての人間の尊厳及び平等の原則に基礎を置いており、他の基本的目的と共に、人種、性、言語又は宗教による 差別のないすべての者のための人権及び基本的自由の尊重を助長し及び奨励することについて、国際協力が達成されるよう求めていることを考慮し、
世界人権宣言が、すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳及び権利について平等であること並びにすべての人がいかなる形での差別をも、 特に人種、皮膚の色又は国民的出身による差別を受けることなく、同宣言に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明していることを考慮し、
更に、世界人権宣言が、すべての人は法律の前に平等であり、いかなる差別も受けることなく法律による平等の保護を受ける権利を有し、 また、すべての人はいかなる差別に対しても、また、いかなる差別の扇動に対しても平等の保護を受ける権利を有することを宣明していることを考慮し、
国際連合が、植民地主義及びこれに伴う隔離及び差別のあらゆる慣行を非難してきたこと並びに植民地及びその人民に対する独立の付与に関する宣言が 特に植民地主義を速やかにかつ無条件に終了させる必要性を宣明したことを考慮し、
人種的相違又は優越性のいかなる理論も科学的に誤りであり、道徳的に非難されるべきであり及び社会的に不正かつ危険であること 並びに理論上又は実際上、人種差別を正当化することはできないことを考慮し、
差別について国際連合総会が採択した他の種々の決議及び国際連合の専門機関、特に国際労働機関及び国際連合教育科学文化機関が採択した国際文書に考慮を払い、
多くの国々においては、国際的な活動と努力によってこの分野での進歩がみられるが、それにもかかわらず、世界のいくつかの地域において、 人種、皮膚の色又は種族的出身に基づく差別が依然として深刻な問題を起こしているという事実に考慮を払い、
世界のいくつかの地域において人種差別が依然として存在していること(特定の政府により、立法、行政又はその他の措置を通じ、 特にアパルトヘイト、隔離又は分離の形態で行われるものを含む。)並びに特定の地域において人種的優越及び拡張主義の理論の助長及び宣伝が行われていることを 危険な事態として受けとめ、
あらゆる形態の人種差別、とりわけ人種的優越又は人種的憎悪という偏見に基づく政府の政策は、基本的人権の侵害であること並びに諸国民の間の友好的な関係、 国家間の協力及び国際平和及び安全をも危くするものであることを確信し、
 同様に、人種差別は差別される者ばかりでなく、差別する者にも害を与えるものであることを確信し、
 更に、いかなる形態の人種隔離及び人種差別並びに人々の間に憎悪及び分裂をつくる要因もない世界的社会を建設することが国際連合の基本的目的の一つであることを確信し、
 1.世界を通じてあらゆる形態及び表現による人種差別を速やかに撤廃し、かつ人間の尊厳に対する理解及び尊重を確保する必要を厳粛に確認し、
 2.次に定める諸原則が普遍的かつ効果的に承認及び遵守されることを確実にするために、 教授、教育及び情報を含む国内的及び国際的措置をとる必要性を厳粛に確認し、
 3.次のとおり宣言する。
 第1条
 人種、皮膚の色又は種族的出身を理由にする人間の差別は、人間の尊厳に対する侵害であり、国際連合憲章の原則の否定、 世界人権宣言に謳われている人権及び基本的自由の侵害、及び国家間の友好的かつ平和的な関係に対する障害 及び諸国民の間の平和及び安全をも害するものとして非難されなければならない。
 第2条
 1.いかなる国家、機関、集団又は個人も、人種、皮膚の色又は種族的出身を理由として人権及び基本的自由に関し、個人、集団又は団体を差別してはならない。
 2.個人、集団又は団体による人種、皮膚の色又は種族的出身を理由にしたいかなる差別に対しても、 国はその警察活動その他の措置によりこれを奨励、擁護又は支持してはならない。
 3.状況により正当とされる場合には、特定の人種の集団に属する個人に対し人権及び基本的自由の十分な享有を保障するため、 当該個人の適切な発展及び保護を確保するための特別かつ具体的な措置をとらなければならない。 この措置は、いかなる場合においても、その結果として、異なる人種の集団に対して不平等な又は別個の権利を維持することとなってはならない。
 第3条
 1.市民的権利、市民権の取得、教育、宗教、雇用、職業及び住居の分野において、人種、皮膚の色又は種族的出身に基づく差別を防ぐために特別の努力を払う。
 2.すべての者は、人種、皮膚の色又は種族的出身による区別なしに、一般公衆の使用を目的とする場所又は施設を平等に利用することができる。
 第4条
 すべての国家は、政府及び他の公的政策を再検討し及び人種差別を生じさせ又は永続化させる効果を有するいかなる 法令も廃止するために効果的な措置をとらなければならない。すべての国家は差別を禁ずる法律を制定し及び 人種差別に導く偏見と戦うあらゆる適当な措置をとらなければならない。
 第5条
 人種隔離の政府及び他の公的政策、特にアパルトヘイト政策並びにそのような政策から生ずるあらゆる形態の人種差別及び分離を遅滞なく終了させなければならない。
 第6条  いかなる者も自国における政治的権利と市民権の享有、特に普通かつ平等の選挙権により選挙に参加し、 政治に参与する権利の享有に当たって、人種、皮膚の色又は種族的出身により差別されてはならない。すべての者は自国において公務に平等に携わる権利を有する。
 第7条
 1.すべての者は法律の前に平等であり、法律の下に平等な裁判を受ける権利を有する。 すべての者は、人種、皮膚の色又は種族的出身による区別なしに暴力又は傷害 (公務員によって加えられるものであるかいかなる個人、集団又は団体によって加えられるものであるかを問わない。) に対する身体の安全及び国家による保護についての権利を有する。
 2.すべての者は、人種、皮膚の色又は種族的出身を理由とする基本的権利と自由に関する差別行為に対し 当該事柄を扱う権限のある独立した自国の裁判所を通じて効果的な救済及び保護を受ける権利を有する。
 第8条
 人種差別及び偏見を撤廃し、諸国民の間及び人種の集団の間の理解、寛容及び友好を促進し並びに国際連合憲章、 世界人権宣言、及び植民地及びその人民に対する独立の付与に関する宣言の目的及び原則を普及させるため、 教授、教育及び情報の分野において迅速にあらゆる効果的な措置をとらなければならない。
 第9条
 1.形態のいかんを問わず、人種差別を正当化し若しくは助長することを目的とした、 一の人種又は皮膚の色若しくは種族的出の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体は、厳しく非難されなければならない。
 2.いかなる人種又は皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対する暴力行為又はその行為の扇動は、 それが個人又は団体によるものであるかを問わず、社会に対する犯罪とみなし、法律の下で処罰されなければならない。
 3.この宣言の目的及び原則に効力を与えるために、すべての国家は、人種差別を助長し又は扇動し、 若しくは人種、皮膚の色又は種族的出身に基づく差別を行うことを目的として暴力を用い又は暴力行為を扇動する団体を訴追し、 非合法化するために、立法その他の措置を含め、迅速かつ積極的な措置をとらなければならない。
 第10条
 国際連合、専門機関、国家及び民間団体はそれぞれの権限の範囲内で、法的措置及び他の実際的な措置を結合することにより、 いかなる形態の人種差別をも廃止し得る精力的な行動を促進するためにあらゆることをしなければならない。 特に人種差別と戦い、それを撤廃するための適切かつ効果的な措置を勧告するために、その差別の原因を調べなければならない。
 第11条
 すべての国家は、国際連合憲章に従い、人権及び基本的自由の尊重及び遵守を助長し、 この宣言、世界人権宣言、及び植民地及びその人民に対する独立の付与に関する宣言の規定を完全に、かつ、誠実に遵守しなければならない。
▼この 人種差別撤廃宣言は1963年11月20日に採択されています。人種差別撤廃条約の先駆的存在として重要である、とWikipediaに書いてあります。(2020.5.14)
▼わたしの理解では「ヘイトスピーチ」は9条の2項に該当するとおもいます。
 人種差別撤廃条約についても、この条約に参加した国は、定期的に報告書を国連に提出しなければなりません。 日本政府は、これまで4回報告書を提出していますが、この報告書を審査した人種差別撤廃員会は、この条約第1条に規定されている世系には部落差別が含まれていること、 部落差別を撤廃するために差別禁止法や被害者救済のための委員会の設置、教育・啓発の推進等を求めています。 こうした勧告に対して、日本政府は世系には部落差別は含まれないとの見解を示しているという問題があります。

▼左は2019.11.25解放新聞。キーワード。人種差別撤廃条約第1条、第4条。報告書の審査。01、10、14、18年の 4回審査。
02年「一般的勧告29」採択。
政府が、「部落問題は条約の世系にあたる」と表明すれば、条約が機能し、部落差別を禁止し、 終わらせる施策(第2条、第4条)、平等を実現するための施策と偏見と差別をなくすための人権教育を実施せねばならない(第5条)。 そして差別の被害を救済する人権委員会を設置せねばならない(第6条)。部落解放同盟が求めてきた「部落解放基本法」の実現に道をひらく。」
▼政府が「部落問題は条約の世系にあたる」と表明すれば、部落解放同盟が求めてきた 「部落解放基本法」の実現に道をひらく。非常に明快。
▼今日あらためてこの箇所を読み感じたことは、政府が部落差別をなくそうと思っていない、 むしろ存続させようと思っている、としか考えられない。(2020.4.24)
▼政府見解と勧告を具体的に対比したいとおもい、『職業と世系に基づく差別』を読み返しました。ご紹介いたします。ご自身でご判断ください。 (2020.5.5)

●日本政府の”descent”に対する見解。(条文は人種差別撤廃条約 第1条です)
「本条約の適用上、”descent”とは、過去の世代における人種若しくは皮膚の色又は過去の世代における民族的若しくは種族的出身に着目した概念を表す ものであり、社会的出身に着目した概念を表すものとは解されない。従って委員会の”descent”の解釈を共有するものではない。同和地区の住民は 異人種でも異民族でもなく、疑いもなく日本民族、日本国民と考えているから部落差別は条約が對象とする人種差別には該当しない。」 (『職業と世系に基づく差別』p93村上正直大阪大学大学院国際公共政策研究科教授解説)
委員会の解釈
8. 条約第 1 条に規定されている人種差別の定義の解釈に関して、委員会は、締約国(日本政府)とは異なり、 「世系(descent)」という文言が独自の意味をもち、人種や種族的出身、民族的出身と混同されては ならないと考える。したがって、委員会は締約国に対して、部落の人びとを含むすべての集団が、差 別に対する保護、および条約第 5 条に規定されている市民的、政治的、経済的、社会的および文化的 権利の完全な享受を確保するよう勧告する。
▼日本政府は国連の人種差別撤廃委員会の場で通用しない解釈に拘泥しているとしか思えない。(2020.5.5)
▼世界人権宣言を読み返しました。第2条。日本政府の考えは世界人権宣言からは出て来ません。(2020.5.6)
人 種 差 別 撤 廃 条 約
第1条
1 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系 又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、…
第2条
1 締約国は、人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する 政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する。
第4条
 締約国は、…差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。
    2020.1.27解放新聞
▼師岡康子さんの報告
「日本は人種差別撤廃条約締約国であり、 すべての人種差別を禁止し終了させる義務があるが、怠り続けている。
人種差別撤廃委は昨年、ヘイトスピーチ解消法で対象とされていないヘイトクライムをふくむ人種差別の禁止 に関する包括的な法律採択(14項b)やインターネット上及びメディアにおけるヘイトスピーチと闘うための効果的措置 をとること(14項d)を勧告した。」
▼この記事は2020.7.20掲載

このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。
(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは 皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその 行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。
(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、 このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。
(c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。
第5条
 第2条に定める基本的義務に従い、締約国は、特に次の権利((a)〜(f))の享有に当たり、 あらゆる形態の人種差別を禁止し及び撤廃すること並びに人種、皮膚の色又は民族的若しくは種族的出身による差別なしに、 すべての者が法律の前に平等であるという権利を保障することを約束する。
第6条
 締約国は、自国の管轄の下にあるすべての者に対し、権限のある自国の裁判所及び他の国家機関を通じて、 この条約に反して人権及び基本的自由を侵害するあらゆる人種差別の行為に対する効果的な保護及び救済措置を確保し、 並びにその差別の結果として被ったあらゆる損害に対し、公正かつ適正な賠償又は救済を当該裁判所に求める権利を確保する。

▼1965年に国連でこのような条例が採択されている。日本は30年後の1995年に締結した。
「ヒューライツ大阪」をクリックしてください。国連の人種差別撤廃委員会の日本政府への勧告です。
国連人種差別撤廃委員会は日本に何を勧告したか   前田 朗(まえだ あきら)東京造形大学教授

2018年8月30日、人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会は、日本政府に対して条約の実施のための改善勧告を出した。
委員会の勧告は多数あるが、その一部は次のようなものである。

直接差別も間接差別も禁止する包括的な人種差別禁止法の採択。
パリ原則(国内機構の地位に関する原則)に従った広範な権限をもつ国内人権機関の設置。

▼左の『部落解放を考える』は2015.9.15に出版された友永さんのご著書です。2015年から2017年に2回読みました。 今回の2019.11.25解放新聞主張「人権週間に寄せて」はたぶん友永さんのお書きになったものだと思います。
本書の170頁〜186頁は「人種差別撤廃条約と部落問題」です。日本政府見解の問題点と今後の方向、がサブタイトルです。引用します。
「部落問題を所管していた地域改善対策室の見解は、人種差別撤廃条約の対象に部落問題が含まれているとの見解であったが、政府内で条約の 解釈権限をもっている外務省の見解は含まれないとするものであった。」(174頁)
(人種差別撤廃委員会は審査の最終意見のなかで) 「締約国(日本)に対し、差別的な行為にさらされ得る戸籍情報への違法なアクセスから部落民 を保護し、戸籍の違法な濫用に関連する全ての事件を捜査し、責任者を処罰するために法を実効的に適用することを勧告する。」(178頁)
(「世系」に部落差別が含まれることを認めさせれば、) 「「人種差別撤廃基本法」や「人種差別禁止法」、さらには「人権救済法」(いずれも仮称)の制定につながる。」(182〜185頁)

▼『部落解放を考える』を改めてじっくり読む必要を感じました。「世系」に関する外務省見解を打ち砕くことが要であることも分かりました。 外務省が壁。明治の日英同盟、戦後の日米安保、寄らば大樹の陰的日和見外交の担い手。日本外交のDNAとなっている。(2019.12.7)
▼こういう外交を事大主義と呼ぶことを李進熙さんから学びました。(2020.4.20)


朝日新聞2019.6.25朝刊
▼川崎市は左のような条例を目指しています。
江戸時代、幕府はエタに対して庶民が差別することを強制しました。 そしてエタを差別することが日本社会の「常識」になりました。
今の時代は差別をすれば処罰される、このような強制力が働かないと日本社会に差別をしてはいけないという 「常識」が浸透しないと私は考えています。 川崎市の条例は希望です。
▼下記の新聞報道のように川崎市は差別禁止条例を成立させました。まず市長のことば。
「私は2017年の市長選で、あらゆる差別の根絶を目指す 条例の制定を公約の一つに掲げ、再選されました。」
やはりこれだけの強い政治家の意思が社会を動かす、ということ。
「なぜヘイトスピーチがうまれるのでしょうか?思想の問題なのではなく、 社会に対する不安や不満が根っこあるからではないでしょうか。」
▼現場、現実を見ている政治家の感覚だと思いました。(2020.5.29)
2020.2.8朝日新聞朝刊
2020.2.8朝日新聞朝刊









▼同じく川崎市の条例に関して上記右の早稲田大学の秋葉丈志准教授。
「ヘイトスピーチを法律で規制しようとすると 、日本ではいつも「表現の自由を侵害する」という反対論が出ます。憲法で実現が求められる権利のうち「自由権」を優位と考える 学説が強いからです。しかし、平等や個人の尊厳を否定するヘイトスピーチは、相手の言論を封じる目的で行われる以上、保護に 値する言論とは言えず、その規制は必ずしも憲法違反にはあたりません。
国連人種差別撤廃委員会は再三、日本政府にヘイトスピーチの法規制を 求めていますが、政府は「表現の自由」の観点から留保しています。私には政府が規制をしない言い訳として、表現の自由を使っているようにしか 見えません。日本と朝鮮半島の関係や在日コリアンをめぐる差別の歴史を学ばずして、ヘイトスピーチ問題は理解できません。」

よくここまできっちり言っていただいたな、との感想です。ありがとうございます。私のHPの核心です。(2020.5.29)
2018.12.24解放新聞

▼国立市が「人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条例」の制定を目指していると解放新聞2018.12.24号で 報じられ、2019.1.14号で可決された条例が全文掲載されました。
特に第3条で「何人も、人種、皮膚の色、民族、国籍、信条、性別、 性的指向、性自認、しょうがい、疾病、職業、年齢、被差別部落出身その他経歴等を理由とした差別を行ってはならない。」 と規定されました。
包括的ですばらしいです。第3期の解放運動のあり方を示唆しているようにおもいました。


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《第8講:同和教育の歴史と人権教育》
 第8講は、同和教育と人権教育についてとりあげました。
 戦前においても、融和教育や同和教育がありましたが、戦後のとりくみを振り返っていますと初期の段階はなかった段階があります。 全国同和教育研究協議会(「全同教」)は、1953(昭和28)年5月6日結成されましたが、このころから同和教育は、歩みを始めました。
 同和教育の大きな柱は、部落の子どもたちに教育権を保障することと、部落問題に関して正しい考え方を子どもたちや保護者に 持ってもらうという二つがありました。

 この内、前者の教育権の保障に関して重要なとりくみは、義務教育段階での教科書無償化を求めた運動です(教科書無償化運動)。 この運動は、高知市の長浜地区を中心に展開され、最初は、教科書も買うことが困難な部落の子どもたちを中心に教科書が 無料で配布されだしましたが、これが突破口となって、最終的には全ての子どもたちに対しても無償で配布されるようになりました。
 もう1つの重要なとりくみは、高校や大学へ進学するための、部落の実態に見合った特別の奨学資金制度が整備され、 高校や大学に進学する人びとが増えてきたことです。

 後者に関した重要なとりくみとしては、小学校や中学校、さらには高等学校の社会科や、 日本の歴史に関する教科書の中に部落問題に関する記載がされだしたことです。 また、大学で部落問題に関する講義が開設され、教員を目指す学生には必修にされる動きが出てきたことです。

 同和教育をめぐる現状の問題点としては、部落の高校進学率や大学進学率が高まってきたものの、 依然として若干の格差が存在していることです。また、小、中、高、大学等において、今日もなお差別事件 (差別発言や差別落書きなど)が生起しているという問題もあります。
 さらに、1990年代の中ごろ以降、同和教育の成果を踏まえ人権教育へと発展させていこうという提案がなされましたが、 一部において同和教育がとりくまれなくなっている現状があります。
 同和教育の成果を踏まえ人権教育へと発展させることは大切なことですが、 その際、同和教育を人権教育の重要な柱として位置付けることが必要です。また、人権教育の内容を明確にすることも必要です。

 日本の現状を考慮したとき、人権教育の内容としては、部落差別をはじめとするあらゆる差別の撤廃を目指すこと、 すべての人に人権があることを明確にしていくこと、日本において人権確立を困難にしている風習や制度を見直すことに役立つものとすること、 世界人権宣言や国際人権規約に代表される国際的な人権の流れを学んでいくことが必要です。
 なお、2000(平成12)年12月には、人権教育及び人権啓発の推進に関する法律(「人権教育・啓発推進法」)が制定されています。
▼上記下線の課題を明確にし、解決に向けて活動していく、ということですね。
これに対する答えが谷元さんの『冬枯れの光景』(上62p〜64p)で見つかりました。 (2019.3.7)
 日本社会において執拗に繰り返される差別身元調査の意識や行為を生みだし支えているものは何なのかということである。
 ここには、血筋・家柄・同族性などにこだわる社会的慣行があり、そのことが被差別部落出身者をはじめ社会的マイノリティを 排除・忌避する意識・行為につながっている。この状況のもとで、身元調査をするとか『部落地名総鑑』を売買するなどの 「差別を商いにする」実態を生み出している。  しかも、この社会的慣行は単なる“慣行”ではなく、日本社会特有の社会構造・システムによって支えられているというところに大きな問題がある。
たとえば、個人ではなく家を基本としている戸籍制度、差別的な皇室典範や皇統譜の上に成り立つ天皇制、年功序列の賃金制度、 終身雇用制度、企業内労働組合制度、さらにこれらの賃金・雇用形態と結びつく学歴社会制度などである。
また、日本社会の特徴である、官公庁や企業はいうに及ばず町内会組織にいたるまでの「タテ社会」の構造と 「ヨコ並び」の意識などの問題である。この社会構造・システムこそが、個人的には建前にしろ「差別は悪い」 と思いながらも、この構造にどっぷりと浸かっている「家」や「会社」のためになる差別行為に走らざるをえない本音の状況をつくりだし、 「差別をさせられる」実態を生みだしている。
 いうならば、「家の論理」にもとづく社会構造と社会意識こそが、社会的マイノリティを差別する社会的機能として働き、 「差別をする」「差別をさせられる」実態として存在しているのである。

 同対審答申は、次のように指摘している。
わが国の産業構造は「二重構造」といわれる構造的特質をもっている。…このよう な経済構造の特質は、そっくりそのまま社会構造に反映している。
すなわち、わが国の社会は、一面では近代的な市民社会の性格をもっているが、他面では、前近代的な 身分社会の性格をもっている。(▼その象徴が天皇制(2020.2.16))今日なお古い伝統的な共同体関係が生き残っており、 人々は個人として完全に独立しておらず、伝統や慣習に束縛されて、自由な意志で行動することを妨げられている。 また、封建的な身分階層秩序が残存しており、家父長制的な家族関係、家柄や格式 が尊重される村落の風習、各種団体の派閥における親分子分の結合など、社会のいた るところに身分の上下と支配服従の関係がみられる。さらに、また、精神、文化の分野でも昔ながらの迷信、 非合理的な偏見、前近代的な意識などが根づよく生き残っており、特異の精神風土と民族的性格を形成している。
このようなわが国の社会、経済、文化体制こそ、同和問題を存続させ、部落差別を支える歴史的社会的根拠である。
▼同対審答申の素晴らしい分析! 50年前は今日(2019.4.27)読んだほどこころに届かなかった。

この領域に対する取り組みは、今日にいたるもなおほとんど十分な成果をあげきれていない。 差別を生み出す社会システムを一つひとつ具体的に点検しながら、人権を軸にした社会システムへと変革することが重要であり、 これは日本社会を成熟した人権確立社会にしていく壮大な取り組みになる。

▼私は東京で景観市民ネットの活動をしていますが、2005年、 会を立ち上げたときの目標は成熟した市民社会を作ることでした。これは今も変わりはありません。 谷元さんが成熟した人権確立社会と表現しておられるのと私の意識の中では殆んど同じだと思います。


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《第9講:今日の部落差別をどう捉えるか?》
 第9講では、今日の部落差別をどう捉えるかというテーマをとりあげました。
 従来、部落差別は封建時代の遺制・残滓(残りかす)という捉え方が支配的でしたが、明治維新から150年も経過しているにもかかわらず、部落差別が現存している事実を直視したとき、封建遺制という捉え方では説明できません。今もなぜ部落差別が存在しているのかについて解明していくことが求められています。  このテーマに関する有力な見解としては、以下のようなものがあります。

一つは、日本社会が重層的な社会だからという説で、例えば中村政則『経済発展と民主主義』岩波書店、1993年 226〜228頁、による説明があります。
二つ目には、日本人は、「世間体」を気にして生きているからという説で、阿部勤也『「世間」とは何か』講談社現代新書、1995年256〜257頁、 などで述べられているものです。
三つ目には、天皇制が存在しているからというものです。具体的には、生まれながらにして尊い存在を認めれば、 その対極として生まれながらにして賤しい存在を認めることになるとする説で、『松本治一郎対談集 不可侵不可被侵』 部落解放新書、1977年、11ページや住井すゑ/福田雅子『水平社宣言を読む』解放出版社、1989年 179頁、などで説明されています。
四つ目には、近代化の原理自体(例えば学歴主義や衛生思想など)が差別を生むからという説で、 ひろたまさき『差別からみる日本の歴史』解放出版社、2008年、244〜245頁、254頁、などで述べられています。
五つ目には、主要な生産関係から除外されてきたからというもので、朝田善之助『新版 部落差別と闘いつづけて』朝日選書、 1979年、295〜298頁の中で、詳しく展開されています。
六つ目には、アンダークラスが形成されてきているからという説で、橋本健二『貧困連鎖』大和書房、2009年、91〜93頁などが参考になります。
七つ目には、グローバル化のもとで、貧富の差が拡大し排除セクターが拡大するからという説で、 武者小路公秀「人権フォーラム21」代表に聞く 『解放新聞中央版』第182号、1998年1月5日に掲載されています。
八つ目には、再び、「優生思想」に基づく主張が語られるようになっているからとする説で、斎藤貴男『機会不平等』文芸春秋、 2000年、23〜27頁、40頁で述べられています。
 私自身は、これらの諸説を参考にしながら、今日もなぜ部落差別が存在しているかについて、今後さらに研究を深めていきたいと考えていますが、 皆様方にもぜひ考えていただきたいと願っています。
なお、詳しくは、拙著『部落解放を考える 差別の現在と解放への探求』解放出版社、2015年、301〜315頁を参照してください。
 もう一点重要な課題として、部落が解放された姿をどう考えるかという問題があります。

 この点に関する一つの考え方は、部落問題について語らないようにしたり、部落を分散させたりすることによって、 つまり日本社会から部落を消し去ってしまうことによって部落差別のない社会を実現するという考え方です。
  もう一つの考え方は、たとえ歴史的・社会的に部落と見られてきた地域が存在していたとしても、自らが部落の出身であると語る人がいたとしても、 誰も差別しない社会を構築することによって部落差別のない社会を実現するという考え方です。

 私自身は、前者の考え方は非現実的で、まちがっている、後者の考え方が良いと考えています。
 前者の考え方がなぜ非現実的で、まちがっているのかと言えば、
 一つは、日本の集落(被差別部落を含む集落)は、簡単になくならないからです。
 二つ目は、お盆やお正月に故郷に帰省し、お墓参りをするといった風習は簡単になくならないからです。
 三つ目は、日本の歴史を教える際に、封建社会にあった身分制度、明治以降の水平社の結成や水平社宣言、 戦後の同和対策審議会答申や部落差別解消推進法などを教えていく必要があるからです。
 四つ目には、多くの部落で、その部落の歴史や部落解放運動の歩みを明らかにする営みが存在しているからです。
 五点目には、戸籍制度が存在していること、さらには部落の所在地等が電子情報としてインターネット等を通して流布されているからです。
この課題を考える際に、障害者に対する差別撤廃に取り組んでいる人びとが、障がいをなくす運動ではなく、 障がいを理由に社会に存在している物理的・心理的バリアーを取り除くことを求めていることから学ぶ必要があると思います。
 つまり、私たちに求められているのは、部落をなくすことなのでなく、部落差別をなくすことなのです。

2019.10.21解放新聞
▼「福井県高浜町元助役から関西電力幹部への金品受領問題に関する部落解放同盟中央本部のコメント」
メディアでは元助役森山栄治氏の背景に解放同盟の存在があり、高浜町や関西電力に対しプレッシャーをかけていたかのような報道がなされています。 それに対する解放同盟の見解。このようなコメントを出さざるを得ないのが残念ながら日本社会の現状です。以下コメントを要約します。(2020.7.18)

「森山氏は1969年京都府綾部市から高浜町に入庁。1970年解放同盟福井県連高浜支部結成。 県連書記長、高浜支部書記長に就任。福井県連は高浜の一支部だけ、80世帯ほどの小さい県連。福井県に対する交渉も中央本部役員が同行し、県、高浜町、ましてや関西電力に大きな 影響を及ぼすほどの組織ではない。
森山氏は高浜町、福井県への過度な言動で2年で書記長を解任され、1972年から解放同盟を離れ、同盟の影響力が全くない状況時に 助役に上り詰め、高浜町全体に大きな影響力を持つに至るのである。
一連の報道の件においても解放同盟福井県連・高浜支部は全く無関係であり、関電を相手に 交渉を持ったり、要求書を提出したりなどの行為は一切ない。行政の議事録を見てもらえば理解できるものである。
明らかにされなければならないのは、原発建設を巡る地元との癒着ともとれる関係であり、 それにともなう資金の流れの透明化こそが、この事件の本質であるはずだ。原発の誘致・建設に至る 闇の深さという真相を究明することは棚上げし、人権団体にその責任をすり替えようとする悪意ある報道を許すことは出来ない。
いち早くこうした”同和利権報道”に対して、ヘイトスピーチなどに反対してきた多くの団体や個人が批判を展開 してくれていることもつけ加えておきたい。
2019年10月7日 中央本部執行委員長 組坂繁之
▼要約してみてメディアの「権力」を感じます。ジャーナリズムの本分は反権力であったはずですが。(2020.7.18) 。

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《おわりに》
 時間が来てしまいましたので現在の状況と関学における人権教育について今後への期待について話したいと思います。
 2016(平成28)年12月16日に部落差別の解消の推進に関する法律(「部落差別解消推進法」)が公布・施行されました。 皆さんのお手元の資料Lに部落差別解消推進法という法律を載せています。 この法律では部落差別がまだあるということをはっきりいっています。特に情報化社会の中で新しい差別が生まれているということもいっています。 また、部落差別が許されないということもはっきりといっています。
今後具体的にとりくむこととしては、相談に的確に応じるべきだということ、そして教育・啓発をしなさい、実態調査を行いなさいといっている法律です。 今後、この法律を一人でも多くの人に知ってもらうこと、相談体制の充実、教育・啓発の推進、実態調査の実施がとりくまれる必要があります。 また、実態調査の結果を踏まえ、効果的な救済のための法整備、差別禁止のための法整備が求められています。
 関学の部落問題と人権問題に対するとりくみは、差別事件に対する反省から始まりました。


私のHP作りは友永さんから2018.4.5、このブックレットを頂いたことがきっかけで始まりました。 つまり日本社会に部落差別の問題を正しく伝えなければいけない、ということからでした。(2020.2.1)

何もないところから部落問題についてとりくみを始めたわけではありません。資料@にある差別事件がきっかけになって始まって、 そして部落問題だけではなく他の差別課題に広がっていきました。
 皆さんのお手元の資料Nに三田キャンパスで起こった部落差別の事件を載せています。 2013(平成25)年4月、三田キャンパスでは非常勤講師の方の部落差別についてのセミナーの中で差別的な発言がありました。 2014(平成26)年10月か11月、西宮キャンパスでは「福島差別」の事件が起こりました。これは大きな問題になったので知らない方はいないと思います。 関学では、授業に携わる方によって部落差別事件と福島差別の問題が引き起こされています。 私はこれらの事件を起こした人だけの問題と考えるのではなく、この機会に改めて関学における人権に関する講義のあり方を 見直すチャンスだと考えるべきだと思います。
 今後の方向として期待したいのは、関学における人権問題に関する取り組みの重点課題に部落問題を位置付けるということです。 部落問題と人権A・Bに関する講義の受講生は、残念ながら学部が片寄っています。特に関学を卒業して学校の教員になられる方、 公務員になられる方は、部落問題とのかかわりが深い職業ですので必須にするべきだと思います。 三田キャンパスでも部落問題の講義が行われていますが、3回しか講義の時間がありません。3回で部落問題を分かってもらうのは難しいです。 せめて西宮キャンパス並みにやるべきだと思います。
 それから、今、世界を見ると部落問題や人権問題で修士号や博士号を取得できる大学院を持っている大学がアメリカやヨーロッパ、 他のアジアの国を合わせて100ぐらいあります。日本にはまだありません。ですから、関学の一つの将来の方向として、 部落問題や人権問題で修士号や博士号を取れる、そしてNGOや国連機関で働く人材を輩出することができるようにしていただきたいと思います。
 この他、部落差別解消推進に役立つプロジェクトへの参加もできると思います。 現在、大学にとって地域連携が非常に大きな使命になっています。私の住んでいる大阪市住吉区には私が卒業した大阪市立大学があります。 大阪市立大学の部落問題、人権問題にとりくむ先生方が過去2回、科研費を取って住吉部落の実態調査をされました。 地元の運動団体と大阪市大が連携して部落の実態を明らかにしました。関学も総合大学ですからいろんな専門の先生方がいらっしゃると思います。 ぜひ部落と連携して社会的な使命を果たしていただけたらと思います。
 時間の関係ですべてをお話しすることはできませんでしたが、せっかく講演を聞いていただきましたので、 これからの取り組みに役立てていただけたらありがたいということを申し上げて講演を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
【注】この講演録は、2017(平成29)年12月4日に開催した秋季人権問題講演会での講演のテープ起こし原稿に加筆修正をお願いしたものです。 当日配布された資料は、紙面の都合で、資料Lのみ掲載しました。
(資料L)法律第百九号(平二八・一二・一六)
部落差別の解消の推進に関する法律
 第一条(目的)
この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、 全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを 解消することが重要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、基本理念を定め、 並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、相談体制の充実等について定めることにより、 部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。
 第二条(基本理念)
部落差別の解消に関する施策は、全ての国民が等しく基本的人権を享有するかけがえのない 個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、部落差別を解消する必要性に対する国民一人一人 の理解を深めるよう努めることにより、部落差別のない社会を実現することを旨として、行われなければならない。
 第三条(国及び地方公共団体の責務)
国は、前条の基本理念にのっとり、部落差別の解消に関する施策を講ずるとともに、 地方公共団体が講ずる部落差別の解消に関する施策を推進するために必要な情報の提供、指導及び助言を行う責務を有する。
2 地方公共団体は、前条の基本理念にのっとり、部落差別の解消に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、 国及び他の地方公共団体との連携を図りつつ、その地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする。
 第四条(相談体制の充実)
国は、部落差別に関する相談に的確に応ずるための体制の充実を図るものとする。 2 地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえて、その地域の実情に応じ、 部落差別に関する相談に的確に応ずるための体制の充実を図るよう努めるものとする。
 第五条(教育及び啓発)
国は、部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を行うものとする。
2 地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえて、その地域の実情に応じ、部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を行うよう努めるものとする。
 第六条(部落差別の実態に係る調査)
国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するため、地方公共団体の協力を得て、部落差別の実態に係る調査を行うものとする。
附 則
この法律は、公布の日から施行する。
(総務・法務・文部科学・内閣総理大臣署名)

部落差別の解消の推進に関する法律案に対する附帯決議 平成二十八年十一月十六日
衆議院法務委員会
政府は、本法に基づく部落差別の解消に関する施策について、世代間の理解の差や地域社会の実情を広く踏まえたものとなるよう留意するとともに、 本法の目的である部落差別の解消の推進による部落差別のない社会の実現に向けて、適正かつ丁寧な運用に努めること。

部落差別の解消の推進に関する法律に対する附帯決議 平成二十八年十二月八日
参議院法務委員会
国及び地方公共団体は、本法に基づく部落差別の解消に関する施策を実施するに当たり、 地域社会の実情を踏まえつつ、次の事項について格段の配慮をすべきである。
一 部落差別のない社会の実現に向けては、部落差別を解消する必要性に対する国民の理解を深めるよう努めることはもとより、 過去の民間運動団体の行き過ぎた言動等、部落差別の解消を阻害していた要因を踏まえ、これに対する対策を講ずることも併せて、総合的に施策を実施すること。
一 教育及び啓発を実施するに当たっては、当該教育及び啓発により新たな差別を生むことがないように留意しつつ、 それが真に部落差別の解消に資するものとなるよう、その内容、手法等に配慮すること。
一 国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するための部落差別の実態に係る調査を実施するに当たっては、 当該調査により新たな差別を生むことがないように留意しつつ、それが真に部落差別の解消に資するものとなるよう、 その内容、手法等について慎重に検討すること。

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友永 健三 氏(部落解放・人権研究所名誉理事) ■講師紹介
1944年 大阪市に生まれる。
1969年 大阪市立大学文学部哲学科卒業。
部落解放同盟大阪府連教宣局に勤務、大阪部落解放研究所(現在の一般社団法人部落解放・人権研究所)事務局員を兼務、 その後、同研究所の事務局長、理事・所長を歴任し、2009年3月退任。
1972年以降大阪市立大学(2012年3月まで)、1976年以降関西学院大学(2017年3月まで)で非常勤講師として部落問題論・人権問題論を担当。
現在、一般社団法人部落解放・人権研究所名誉理事、反差別国際運動(IMADR)顧問、公益財団法人住吉隣保事業推進協会理事長などを務める。
著書に『部落解放を考える 差別の現在と解放への探求』(2015年)など、共著に 友永健三、渡辺俊雄『部落史研究からの発信 第3巻 現代編』(2009年)などがある。(いずれも解放出版社刊コンテンツ2の情報を掲載します

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  谷元昭信著『冬枯れの光景』

▼谷元昭信さんの『冬枯れの光景』(上・下 解放出版社)の出版記念会が2017年11月8日開かれ出席させていただきました。 この種の著書としてはいっぷう変わったタイトルと表紙の画(伊藤満さん)。
まず読み始めて「<冬枯れの光景>によせて」はとんでもない名文だと感じました。本文に流れる深い心情と冷静な歴史の捉え方、 今運動が抱える冬枯れの様子、しかしそれが宿すのは次への輝きの準備であるとの認識は、人の心に希望の灯をともすものであり、 水平社以来の「人間の血を枯らさぬ運動」の伝統と世界の人権運動の先駆者としての誇り、 これらすべてが3頁の短い文章に凝縮されているようにおもいました。敬意をこめて友永さんの講義と重ならないようにご紹介させていただきます。 (2019.3.6)

▼著者の谷元さんと大阪で会ってお話をしました。翌日のお礼のメールです。(2019.10.19)
昨日は長時間ありがとうございました。 最新の谷元さんのご見解を知ることができ良かったです。とくに民主主義と自由主義について。とりわけ自由主義の理解は 私はあそこまで徹底していませんでした。今後そのような視点で安倍政権を見ていきたいと思いました。 基地問題、アイヌ民族の問題、慎重に進めたいと思います。ご助言ありがとうございます。


わたしのHPで取り上げる谷元昭信著『冬枯れの光景』の主な項目 

はじめに―『冬枯れの光景』によせて

部落差別という意識の問題について
T 部落差別意識をいまなお存続させている理由は単純ではありません。(下311p〜)
U ケガレ観が『延喜式』によって差別の論理に転化します。これがその後明治維新まで 1000年の長きにわたって差別的社会規範として日本社会に生きつづけます。(下312p〜)
V 部落差別のみならずさまざまな差別を生み出す根底にある意識、それは触穢という意識(下313p〜)
W 部落差別意識が作り上げられていくプロセス(下314p〜)

部落差別を制度として支えている戸籍制度について
T 戸籍制度とは何か(下286p〜)
U 明治以降の日本における家制度の本質(下288p〜)


▼冒頭の「はじめに」は名文です。まずお読みください。(2018.4.27)
はじめに(上)
《「冬枯れの光景」は愛おしいほどに美しい》
 「冬枯れ」という語感は、色も臭いもなく寒風にさらされる黄土色以外に何もない寂寥感ただよう風景を連想させる。 だが、美しいのである。限りない魅力を秘めた美しさがある。実りの響宴の時期も過ぎ去り、華やかで鮮やかな彩色も失せ、 一切の虚飾が剥ぎ取られた単色の光景が広がる。
肉眼に映るこの単色の光景は、一見寂漠とした荒涼感が漂うように見えているが、 春に向けての再びの輝きの命と息吹のすべてを静かに包み込んでいるのだ。心眼がそれを感じ取る時、 冬枯れの光景はどうしようもなく愛おしいほどに美しい。
私の常なる心象風景としての「冬枯れの光景」は、 生まれ育った故郷への捨て去りがたい郷愁の念と自らの生涯をかけて没頭した部落解放運動への深い愛着の念に重なり合っていく。
《部落解放運動への思い》
現在の部落解放運動の状況を見るとき、あたかも「冬枯れの光景」の観を呈しているかのようである。
水平社時代の苦難に満ちた闘い、戦後の国策樹立を求めた闘い、同対審答申・特措法時代の破竹の勢いを見せた闘い、多くの歴史的成果を結実させながらも運動的にも組織的にも困難な状況に立ち至っている今日の闘い。それは「冬枯れの光景」である。
だが、90年余にわたる長い闘いの歴史の中で多くの人たちの血と汗と涙によって耕されてきた部落解放運動の土壌は、 再生への力強い種子を豊富に内蔵しており、芽吹きの時季を辛抱強く待っている肥沃な土壌である。それが「冬枯れの光景」である。
《人間の血を枯らさぬ運動の継承》
 部落解放運動は、「人間の血を枯らさぬ」運動である。それが90年余の運動を継続させてきた力の源泉である。考えてみると、自分自身がこの長い部落解放運動の歴史の半分以上にわたって、第一線に身をおいて歴史を刻んできたことになる。
その自覚と責任において、自分が歩んできた部落解放運動の道程を振り返り、その「苦さと甘さ」も含めた教訓を同時代の人たちと共有し、若い世代に継承していくことは自らの任務であるように思われる。ただ、「真理は全体である」という言葉があるように、私の経験や知見は限定的であり、限界があることも承知している。それ故に、大上段に構えた「提言」などではなく、一人の人間として沈思黙考を重ねた本稿が部落解放運動のこれからのあり方にかかわっての議論に何らかの一助になればという思いである。それが、「黙示的考察」の所以である。恥を忍んで一筆を啓上した次第である。
ヘルマン・ヘッセは言う。
「世間で一番単純な理想に対して献身する用意のある者の方が、 あらゆる主義や理想のことを賢明に語ることは心得ていても、何もののためにも最小の断念さえなし得ない者よりも、私にははるかに好ましい」 (『ヘルマン・ヘッセ人生の深き味わい』/田中裕/NHKベストセラーズ/1997年)。                           

▼第1部第1章(上巻p2〜p71)が「自己史にみる部落差別の実相」です。
「自己史を書くというのは非常に難儀な作業であるとつくづく思い知らされる。 自分をさらけだすことの苦痛や気恥ずかしさがあるし、ほかの人に迷惑がかかるのではないかとの危惧も錯綜する。 読み返すたびに手直しの必要に迫られている。」と、この章に70頁を割いておられます。
『冬枯れの光景』の最も鋭く、最も深く分析され、この著書の失われることのない価値は、 今日なお部落差別を存続させているのは、「差別意識」とそれを支える「家」・「戸籍」制度であると、的を絞って解明しておられる点だと思います。 私は、多くの部落出身者がその解決の道筋を探し求めている答えがここにあると考えます。
その原点が70頁の「自己史」のなかでの赤裸々に語っておられるご自身の結婚差別の体験だと思います。 このような苦しみの体験とその依って来る歴史と 解決の道筋をこのHPを読んでくださる方々と共有できれば、との期待と希望を込めて、『冬枯れの光景』から抜粋させていただきます。


▼本題に入る前に賤民廃止令直後の日本社会の現実をすべての日本人がまず知っておく必要があると思います。
 部落差別の実態変遷の第1段階(明治維新(1868年)〜戦前(1945年)まで) 差別は社会的容認状態
 をクリックしてください。

                 
まず部落差別という意識の問題について
 T 部落差別意識をいまなお存続させている理由は単純ではありません。(下311p〜下312p)
 部落差別意識の始原は、「ケガレ」観に求めることができるとしても、今日の部落差別意識をそれだけで説明することは不可能である。
 長い時間の経過のもとで、浄穢思想、貴賤思想、家思想は伝統的な差別思想として分かちがたく結びつき、 近代明治以降においても「自由と平等」という近代社会の理念を掲げる一方で、 家思想を社会統治の骨格的論理として法制度化したために、これらの伝統的差別思想は命脈を保つとともに、 近代的な差別思想である衛生思想や優生思想が加味されて、部落差別意識は肥大化されていく。 さらには同和行政進展の中で出てきた逆差別思想などの歴史的な差別思想の「複合意識」としてとらえておく必要がある。 部落差別意識を解体していく作業の上でも必要不可欠の認識である。
▼下線は私が引きました。谷元さんの仰っておられる意味は、部落差別意識がさまざまな差別思想の複合物なので解体作業も多方面から多岐にわたる 厄介な作業にならざるを得ないということです。よくわかります。(2020.2.20)

 U ケガレ観が『延喜式』によって差別の論理に転化します。これがその後明治維新まで 1000年の長きにわたって差別的社会規範として日本社会に生きつづけます。(下312p〜下313p)
  
 ケガレの始原は、民衆レベルの素朴な「死に対する恐れ」から出発している。
 そこから、「死の事態」や「死につながる事態」および「無秩序(異常事態・非日常性)の事態」 をケガレとして観念するようになり、その事態を避けようとしてさまざまな習俗が考案され、 民衆レベルで儀礼化されていき、やがては時の支配者の自己保身や権力維持のための民衆分断の 道具として制度化されていくという歴史をたどることになる。
 三大不浄(死穢・血穢・産穢)をはじめとする不浄性を忌避・排除していく浄穢思想や血統(血筋) によって人間を序列化していく貴賤思想などと結びつくことによって、ケガレ観は差別の論理へと転化していくことになる。
 これを最初に体系化した法制度が平安時代初期の『延喜式(えんぎしき)』(905年編纂開始927年完成)である。  この法律(式)が、明治維新政府によって「触穢制度の廃止令」が出されるまで、 1000年の長きにわたって日本社会の規範として民衆意識を支配しつづけたのである。
▼人は美しいものを見れば心地良いし、酷いものを見れば嫌悪感を催す。しかしそれだけのことで浄穢思想までいかない。 ましてや差別までは。
好悪の感情の中であるものを不浄ととして忌避・排除することが浄穢思想であり、さらに浄穢が貴賤と結びつくことによって はじめて差別に転化する。『延喜式』が浄穢思想を貴賤思想に結びつけて社会規範にし、 ケガレの感情を差別に転化させた、と谷元さんは指摘される。
『延喜式』が浄穢を差別に転化させたのならば、反『延喜式』で少なくとも差別の無い状態に戻せる。反『延喜式』つまり反差別社会規範の制定が差別解消の第一歩。 『延喜式』を少し勉強します。


 V 部落差別のみならずさまざまな差別を生み出す根底にある意識、それは触穢という意識(下313p〜下314p)
 触穢制度は、部落差別、女性差別、障害者差別、民族差別など諸々の日本社会における差別を生み出す共通の 社会的土壌になってきた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
触穢(しょくえ、そくえ)とは

神道上において不浄とされる穢(けがれ)に接触して汚染されること。 後に陰陽道などとも結びついて、中世日本の触穢思想(しょくえしそう、そくえしそう)へと発展していくことになった。

神道においては人間・動物の死と出産、女性の生理は「三不浄」として忌避され、 また、血の流出や神道における国津罪に相当する病気にかかる事も穢であると考えられてきた。

そこで、これに関連した穢物(死体など)・穢者(既触穢者・非人・女性など)に直接接触する事は勿論、 垣根や壁などで囲まれた同一の一定空間内に穢物・穢者とともにいただけでも場合によっては汚染されると考えられていた (特に同じ火にあたる事、同席する事、飲食をともにする事は直接接触する事に近い行為とされた)。

感染された人は一定の期日を経るか、祓を受けるまでは神社への参拝や神事への参加、公家の場合には参内を控える事が求められてきた。

『延喜式』においては、人の死穢30日、産穢7日、六畜の死穢5日、産穢3日の謹慎が定められていた。 律令制が衰退すると、触穢は衰退するどころか陰陽道と結びついて迷信として社会に定着して、触穢思想として発展することになる。
▼ウィキペディアのこの解説はよくわかります。(2020.2.26)
▼あらためてこの欄を読んでみて、なぜ神道で不浄・触穢の思想が生まれたか知りたくなった。(2020.4.27)

 部落差別との関係でいえば、人間の葬送や斃牛馬(へいぎゆうば)の処理、汚物清掃などの仕事に携わったきた人びとを「穢れた存在」として忌避し、 歴史的には紆余曲折を経ながらも身分・職業・居住地を固定化したのが、江戸幕藩体制における身分制度であった。  そこでは、浄穢思想や貴賤思想を内在化させた家父長的 家思想が身分制度を支える骨格的な論理であった。
▼家思想に浄穢思想や貴賤思想が組み込まれているということ。この分析が谷元さんの核心。そして家思想を支える 戸籍の廃止とつながる。(2020.2.26)
その意味では、部落差別成立の起源は中世に求めることができるが、今日の部落問題に関わる直接的な制度的起源は 江戸時代の身分制にあるということができる。
同時に、部落差別克服の課題は、単独で達成されることはありえず、 他の差別問題克服との協働の取り組みによって日本の社会的土壌を抜本的に改革していく以外には不可能であることを示している。
▼この指摘は運動論として、とても、とても重要だとおもいます。(2020.2.20)

W 部落差別意識が作り上げられていくプロセス(下314p〜下322p)

@平安期の『延喜式』
 平安朝時代には、ケガレを避ける意識も、神仏習合が体系化されるなかで支配階級に広範化することになる。 その法制度的集大成が、927年に完成した『延喜式』である。
この時期に、今日の被差別部落の発生につながる事態が出現する。「河原人(者)」である。

▼当時の日本の支配者は天皇家。天皇家は聖徳太子をはじめ仏教を信仰。仏教には元々ケガレを避ける意識は無い。 平安期に仏教と神道が合体。神仏習合となり、ケガレを避ける意識が支配階級に広範化、このような流れだと理解します。(2020.2.24)

上杉聡(うえすぎさとし)さんは、『これでわかった!部落の歴史』(解放出版社/2004年)のなかで、その経緯を著述している。

 「『河原人』と呼ばれて差別されていた『濫僧(ろうそう)』『屠者(としや)』たちは、検非違使にその仕事の下請けとして使われはじめ、 人間や動物の死体を処理し、やがて警察の任務も請け負わされるようになります。彼らは死穢や罪穢を取り去る仕事から『キヨメ』 と呼ばれるようになり、やがて『塵袋(ちりぶくろ)』の書かれた時代になると、彼らのうち『濫僧』は『非人』へ、『屠者』は『穢多』 へと呼び方も変わりつつあったのです。」

▼『塵袋』1264年ー1288年の成立といわれる(つまり今から約750年前にエタが日本社会に登場しているということ)。 和漢の故事の起源・語源・意味などについて620項目にわたり問答体で記す。(角川新版・日本史辞典)

 ちなみに、『延喜式』には「およそ神社の四至(しし)(▼境内の東西南北の境界) の内…死人を埋蔵するを得ず。およそ鴨御祖社(かもの みおや やしろ)南辺は、 四至の外にありといえども、濫僧・屠者等、居住するを得ざれ」とあり、「河原人」(濫僧・屠者など)への追放令となっている。
▼『延喜式』の該当部分を確認しておくこと。

『延喜式』以降、鴨御祖神社(下鴨神社)の南側の河原に住んでいた河原人は何度も離散・集住を繰り返したであろうが、 11世紀初めごろには検非違使の統轄下に置かれ、河原から移転させられることになる。
この移転先の集住地が最初の「部落」の成立であったと考えられる。すなわち、天皇と都を死穢・罪穢から護るために 「部落」がつくられたのである。
▼最初の「部落」の成立は11世紀初めごろ、1000年前。天皇と都を死穢・罪穢から護るために 「部落」がつくられた。記憶しておくべき事柄。(2020.2.20)

因みに検非違使は、9世紀初め(▼816年頃) 嵯峨天皇が京都の治安維持のため、天皇直属の警察として設置した官職である。
 ただし、『延喜式』によってケガレにかかわる儀礼は制度化されたが、「差別」や「部落」が法制度化されたわけではないことには 留意しておく必要がある。「差別」や「部落」が法制度化されるのは、江戸幕藩体制のもとである。




A鎌倉期の『塵袋』
      ーエタ用語の登場とキヨメが畏怖から賤視・忌避へと変化ー(下318p)
 鎌倉時代(1183〜1333の150年)の13世紀末ごろになると、西日本を中心にケガレを清める人びと自体を賤視する傾向が強化されてくる。
▼なぜ人を殺す軍人が賤視されず、ケガレを清める人が賤視されるのか。(2020.2.26)
すなわち、日本最初の百科事典である『塵袋』(1264-1288)の
「キヨメヲ エタ ト云フハ何ナル詞バゾ」
という項目に「エタ」の語が登場し(▼鎌倉期の中期)、 同時代の『天狗草紙(てんぐそうし)』にも「穢多」が出てくる。
『塵袋』の説明から、畏怖の対象であった「キヨメ」が、同義語として「エタ」が使われることによって 賤視・忌避の対象に変化していることが分かる。
大西晴隆 木村紀子校注 『塵袋 <1><2>』
平凡社<東洋文庫723 725>、2004年2-4月。

▼「項目43の餌取」で 「キヨメヲエタト云フハ何ナル詞ハゾ」との問いかけに対し、 「根本ハ餌取ト云フベキカ。」と述べ以下詳しく解説する。
百科全書のような内容です。(2020.7.20)

▼『塵袋』の該当部分も確認しておくこと。13世紀末。畏怖の対象から賤視・忌避の対象へ。なぜ?(2020.2.20)

 しかし、一方で、国家や貴族の仏教であった平安仏教(天台宗の最澄や真言宗の空海などが中心)に潜むケガレ観や差別思想に対抗して 鎌倉仏教が登場したことは、16世紀初めにルターやカルヴァンらによって推し進められた西欧のキリスト教における 宗教改革にも匹敵する大きな変化であった。
▼平安仏教になぜケガレ観が入ってきたのか?神仏習合による神道の影響か?(2020.2.24)

 浄土宗の宗祖・法然(1133年〜1212年)は、「一切衆生(いつさいしゆじよう)・平等往生(びようどうおうじよう)」 「易行易修(いぎよういしゆう)」を説き、仏教を民衆にわかりやすいように教え、すべての人が仏の前では「平等」であることを強調した。

 浄土真宗の宗祖・親鸞(1173年〜1263年)は、「悪人正機(あくにんしようき)」を説き、自らの立ち位置を被差別の立場に置き、 「具縛凡愚(ぐばくのぼんぐ)、屠沽(とこ)の下類」であるわれらこそが「無上大涅槃(むじようだいねはん)にいたるなり」と論じた。

 同様に、日蓮宗の宗祖・日蓮(1222年〜1282年)は、自らを「海辺の旃陀羅(せんだら)が子なり」として教義を説いた。

 さらに一遍(時宗)(1239年〜1289年)、道元(曹洞宗)(1200年〜1253年)、栄西(臨済宗)(1141年〜1215年)らを排出した鎌倉仏教は、民衆の心を深くとらえ、 「平等」思想を拡大していくことになる。

▼この革命的ともいえる革新性、すごい。一方、鎌倉仏教のこの革新性がなぜ 日本の民衆に定着しなかったか。この革命性と「ケガレを清める人びと自体を賤視する傾向が強化」 はなぜ同時進行しているのか。(2020.2.20)
▼むしろ賤視する傾向が強まる中での鎌倉仏教の台頭と考えるべきなのか。(2020.2.26)

B室町期 賤民 河原者の活躍
《観阿弥・世阿弥による能楽の大成と善阿弥の作庭技術の昇華の意味》
 室町時代(1336〜1573)になってくると、武士権力が天皇権力よりも強くなったために、それまで検非違使の統轄下の置かれていた河原者は、 「侍所(さむらいどころ)」の支配下に移されていく。
 特筆すべきことは、賤視・忌避の対象であった河原者によって、日本の伝統芸能である能楽が大成されることである。三代将軍・ 足利義満(1368〜1394)に庇護された観阿弥(1333年〜1384年)・世阿弥 (1363年〜1443年) 親子である。

 余談ではあるが、最古の能楽論と言われる世阿弥が著した『風姿花伝』(成立は15世紀の初め頃 約600年前)(「日本の古典をよむ17」所収/小学館/2009年)では、 「第四 神儀」の項で、猿楽(能楽)の起源を掘り起こしながら、世阿弥自らが秦河勝(はだのかわかつ)の末裔と名乗っている。  真偽のほどはともかく、古代日本のあらゆる分野でその基盤を築き上げた功績をもつ職能集団であった秦一族自体は、物部一族とも 深い関係にあったといわれる新羅(しらぎ)系加耶(から)の渡来系豪族(四世紀末〜5世紀初に渡来)であり、 秦河勝は聖徳太子と盟友関係にあったとされる秦一族の中興の祖である。
 秦一族はその後、藤原一族の陰謀によって平安時代初期(桓武朝)には中央政界から姿を消し、 徹底的に差別・排除されていくという過酷な歴史を余儀なくされる。
 その秦一族の中興の祖である秦河勝の末裔であると宣言した河原者・世阿弥の心情の中に、 政争のもとで人為的につくられていった差別・排除の論理への強い抗いの思いをみることができる。
▼私には谷元さんのここのコメントに強く惹かれる。すなわち、人為的につくられていった差別、という箇所。 差別は人為的に、政治的につくられたものである、ならば、人為的に壊していけるし、いかなければならない、となる。
▼ところで一つ疑問。秦河勝が秦一族の中興の祖? 秦河勝はそもそも四世紀末〜5世紀初の渡来系豪族 の末裔だから聖徳太子の時代(7世紀前半)に活躍したから中興の祖、という意味でしょうか

 観阿弥・世阿弥の同時代に山水河原者(さんすいがわらしや)と呼ばれた善阿弥(ぜんあみ)(1386年〜1482年)は、 八代将軍・足利義政(1449〜1473)の庇護のもとに作庭の第一人者として活躍し、その子や孫の又四郎らは慈照寺(じしようじ)銀閣(銀閣寺)の作庭 を行ったことで有名である。竜安寺(りようあんじ)の石庭なども山水河原者といわれた庭師の手によるものであり、 日本の伝統的な枯山水の庭風をつくりだしている。  ちなみに、観阿弥・世阿弥・善阿弥など名前に「阿弥」が用いられているが、それは「葬送儀礼を担う者」の意味である。
▼このパラグラフの見出しは《……昇華の意味》となっています。つまり被差別者の河原者と山水河原者が能楽と作庭の 分野を芸術の域まで高め、尊崇を集めるまでになった、すなわち差別を「昇華」したという意味だと理解しました。現在の被差別部落も 「昇華」の可能性をもっているということ。すなわち、反差別・人権の市民社会づくりで先頭に立ち部落出身者に対する差別を 「昇華」していこう、谷元さんのこのようなメッセージだと受け止めました。

C戦国時代 応仁の乱(1467年〜1477年)を契機にした100年を超える時代
        ―浄穢思想・貴賤思想・家思想の複合と戦国時代の皮革技術者の囲い込みー

 南北朝(1336年〜1392年)をはさむ中世の後半、15世紀半ば以降(つまり義政以降)、 賤民とされた人びとへの賤視観や忌避・排除観が大きく変化したといわれる。

その背景には、農村における自治組織である「惣」の成立と「家」意識の拡大があった。惣の成立は、農村共同体での自治の意識を高めるとともに、 農耕民以外の人びとへの賤視と排除の意識も強化し、「ムラ」意識・郷党(きようとう)意識も形成していくことになる。  家意識は、それまでの皇室・公家だけでなく、武士はもちろんのこと、有力な商人や農民階級へも拡大していった。
▼自治意識の高まり、しかし賤視と排除の強化。矛盾的に同時進行。(2020.2.20)

同時にこの時代は、応仁の乱(1467年〜1477年)を契機にして100年を超える戦国時代に入っていく時期でもある。 おのおのの有力大名が群雄割拠して地域ごとの自治を行うとともに、「下克上」の風潮のもとに中世的身分制度を破壊していった時代である。 ある意味で、中世的ケガレ観も弱めていく側面をもったともいえる。
しかし、他方で、戦国時代の必需品であった武具・馬具生産のために皮革技術をもった集団(「エタ」「カワタ」「皮剥(かわはぎ)」など) を各大名が競って囲い込み、固定化して集住させるようになってくる。
▼中世的身分制度の破壊、しかし「エタ」「カワタ」の集住と固定化。つまり中世的身分制度に代わって近世的身分制度が創出される時代である。

ここを考えていて明治維新が浮かんだ。明治維新は近世的身分制度に代わって近代的身分制度が生み出された時代。要するに 搾取社会は、形態は変わっても何らかの身分制度を作り出す。正規と非正規は現代的身分制度である。(2020.2.20)


戦国時代末になると、この身分を固定化する法制度をつくる大名も多々現れてきた。そこには、戦国武将にとって必需品である 皮革製品の武具や馬具を「安定的に安価で供給させる」ために、従前からの差別を利用して他の者が手を出さないように 特定の「穢れた人間」の「穢れた仕事」として位置づける思惑が露見している。

それは同時に、賤視のもとにあるとはいえ、皮革関連の仕事が特権的で独占的な地位を確保したことを意味しており、 皮革生産者たちに経済的には潤いをもたらした。 近世権力の先鞭をつけた織田信長によって室町幕府が滅亡(1573年)させられ、戦国時代に終止符が打たれると、 京都の河原者は「奉行人制度」のもとに再組織される。
▼「河原者は「奉行人制度」のもとに再組織される」ということ。これが大事。 搾取社会である限り再組織される。(2020.2.24)

豊臣秀吉もこの政策を継承し、さらに徳川家康によって幕府が江戸に移されると、 浅草弾左衛門を「穢多頭」として「穢多」「非人」「猿曳(さるびき)」などの賤民集団を江戸町奉行所の支配下に置いていく。  武士権力による一元的支配体制の確立により、「穢多」「非人」などに対する支配関係も全国化していくことになる。

付言しておくと、歌舞伎の創始者といわれる「出雲阿国(いずものおくに)」が出てきたのも安土・桃山時代から江戸初期にかけての時代である。 阿国は、出雲大社の巫女であったとも、遊女であったといわれる謎多き人物であるが、漂泊する非定住の「河原者」であったことは疑いの余地がない。
▼今を時めく歌舞伎役者も「昇華」を果たした被差別者ということ。
▼Wikipedia:町奉行所
町奉行という役職は一般に江戸時代に幕府や藩で用いられた役職である。 町奉行は寺社奉行・勘定奉行とあわせて三奉行と称された。 町奉行所は一般に現代でいう警察と裁判所の役割を持った公的機関と知られているが、 実際にはもっと広い範囲の行政も担当した。特に町方(町人)の調査(人別改)も町奉行所の仕事であり、 他にも防災など現代でいう役所全般の職務も含まれていた。

D「穢多・非人等」がはじめて法制度化された江戸時代(下322p〜下327p)
 江戸時代に入った17世紀半ば以降、次第に近世的な封建的身分制が成立していき、17世紀末までに、藩ごとに若干の違いはあるものの、 全国的に「穢多・非人等」に対する差別が制度として確立したといわれる。この時点で法制度としての「部落」「差別」が確立したのである。

 浅草の「弾左衛門」(個人名であるともに役職名称)を「穢多頭」とする支配領域は関八州とされ、警察・刑吏や清掃・皮革の 役務などをもたされていたが、各藩ごとにこの制度が整えられていく。  さらに、「部落」を堀割・垣根・藪(やぶ)などによって一般社会から隔離するという制度的な差別政策を徹底させていくのである。
▼これはかつての南アフリカのアパルトヘイト政策と同じ。部落は直接的には400年の歴史。(2020.2.24)

 江戸幕藩体制における「武士」階級の支配のもとに、「百姓」「町民」、および社会外とされた「穢多・非人等」 の身分が固定されていくことになる。従前にいわれたような「士・農・工・商・穢多・非人」という図式の身分制度ではなかったことに注意を促したい。
▼ここの意味がよく分かりませんでした。調べて見ました。
「かつて,江戸時代の序列を示す言葉として「士農工商・えた・ひにん」が使われ, 「えた・ひにん」は最下層とされたと説明されたが,「農工商」に序列はなかった。また,「農工商」は身分としては「百姓」「町人」である (一括して平人)。なお「えた・ひにん」には序列のある地域と,ない地域とがあった。」 (『学習院大学 経済論集』第42巻 第3号(2005年10月) 『江戸時代の被差別部落の歴史を見直す』(財)信州農村開発史研究所 斎藤洋一)
この説明で理解できました。

 とりわけ、キリシタン弾圧との関連で「宗門改制度」(1671年)が施行され、身分固定化に大きな役割を果たすとともに、 「宗門人別帳」(宗旨改帳)は毎年、徹底的に整理され、個々人の身分・職業・居住を、血統を重視した家単位でを固定化していく 役割を果たすこととなる。
▼「宗門改制度」(1671年)を具体的によく知る必要がある。部落差別のみならず日本人の体質にまでなっている 「お上」意識の根源になっているように思う。まず年表
Wikipedia宗門改
慶長17年(1612年) - 江戸幕府によって天領に禁教令が出される。
慶長18年(1613年) - 禁教令を全国に拡大。また「バレテン追放の文」が発布される。
寛文4年(1664年) - 幕府が諸藩に毎年の宗門改と宗門改を専門に行う役人の設置を命ずる。
寛文11年(1671年) - 宗門改帳が法的に整備される。
慶応3年(1867年) - 大政奉還。
明治6年(1873年) - 宗門改制度も廃止される。
▼「宗門改制度」(1671年)の具体的内容を調べること。
▼今日(2020.2.26)ウィキペディア(Wikipedia)で「宗門改制度」を調べました。

「宗門改(しゅうもんあらため)」
江戸時代の日本で江戸幕府によって行われた宗教政策および民衆統制政策。 民衆の信仰する宗教を調査する制度である。禁教令の発布に伴いキリシタンの摘発を目的に整備された制度であったが、 江戸中期以降は住民調査的な制度に変移していった。

江戸幕府は慶長17年(1612年)に禁教令を発布し、以後、キリスト教を禁制としてキリシタンの捜査や摘発、 強制改宗政策を取っていくようになる。 当初、幕府はキリスト像が刻まれた板を踏ませる踏絵や密告の奨励(後の訴人報償制)などをキリシタンの取締りの基本とした。
▼キリシタン弾圧はここでも書いておく必要がある。(2020.4.25)
やがてキリシタンではないことを仏教寺院に請け負わせてその証明とした寺請制度を創設する。

寛永14年(1637年)からその翌年にかけて九州でおきた島原の乱の後、寛永17年(1640年)に幕府は宗門改役を設置する。 寛文4年(1664年)に諸藩に宗門改制度と専任の役人を設置するよう命じ、これ以後、宗門改帳が各地で作成される。

寛文5年(1665年)には日蓮宗のうち強硬派である不受不施派が禁制となったことにより、他宗派に改宗させる宗門改の対象となった。 宗門改帳はやがて人別帳に宗旨を記載する宗門人別改帳(宗旨人別帳)に変移し、 寛文11年(1671年)に法的に整備されて幕府は諸藩にも作成を義務付ける。ここで宗門改は制度として完成した。

宗門改の制度は、明治6年(1873年)キリスト教の禁制が解除されるまで続いた。

幕府は寺請制度(檀家制度)として宗門改に仏教勢力を用いた。幕府は民衆をいずれかの仏教宗派に所属させ、 その証明を持ってキリシタンではないことを証明させた。

結果として仏教は幕府体制に取り込まれることとなり、やがて寺院は汚職の温床となって僧侶の世俗化などの問題を招く。

明治になると尊皇思想の高まりや、神道国教化運動などによって神道優位の風潮が起こり、折からの仏教への批判は大きなものとなっていき、 やがて廃仏毀釈運動へと繋がっていく。

「人別改(にんべつあらため)」
兵農分離以後、領主は所領内の人間を把握する手段として、人別改めを行うようになる。 これは主に夫役のために行われ、そのため必要に応じて不定期に行われた。これによって作成された台帳を「人別改帳」と呼ぶ。

宗門改帳が全国的に広がるようになると、人別改帳に宗旨を記載する形で、人別改帳と宗門改帳の統合がされていくようになり、 「宗門人別改帳」となる。寛文11年に宗門人別改帳法的に整備され、幕府は諸藩にその作成を義務付けた。

900年代に崩壊した古代律令制の戸籍制度が「宗門人別帳」というかたちで復活したのである。 さらにそれは、明治戸籍の基本台帳にもなっていった。  思想的にも、平安時代の『延喜式』の流れをくむ『神祇道服忌令秘抄』(1645年)とか『服忌令(ふつきりよう)』(1684年) が策定され、今日のケガレ観の基礎になるような因襲・迷信をすべて列挙して、社会規範・価値観として機能させながら、 差別的身分制度を浸透させていくのである。
▼古代律令制の戸籍制度の復活としての「宗門人別帳」。延喜式の思想的復活としての「服忌令」。 日本社会は新しい時代に古いものを復活させる。いや搾取社会の一つの特徴かもしれない。明治維新の王政復古もその一つ。(2020.2.26)
【服忌令】(夢見る獏(バク)さんのブログです。)
 天和3年(1683)に綱吉の子供の徳松がなくなりました。数え年5歳でした。  徳松の死をきっかけに、服忌令が貞享元年(1684)に定められました。
 服忌とは、喪に服する服喪と穢れを忌む忌引きのことで、近親者の死に際して穢れが発生したとして、 近親者との関係に応じて喪に服する日数や穢れがなくなるまでの自宅謹慎している忌引の日数を定めたものです。
 一例をあげれば、父母が死んだ場合には、忌が50日、服が13か月と定められていて、50日間は出仕できず、 喪中期間は祭り事や神事は行えませんでした。

 死を忌み嫌い、地の穢れを排する服忌の制は、朝廷や神道における習俗であり、 戦闘集団である武士には血の穢れや死を忌み嫌う思想はありませんでした。

 しかし、服忌令の制定により、戦国時代以来、人を殺すことが価値であり、主人の死後追腹(おいはら)を切ることが美徳とされた武士の論理は、 死の穢れとともに排され、武家の儀礼のなかに朝廷から伝わった服忌の概念が制度化されました。

 そして、武家社会に導入された服忌令の考えは広く社会にも浸透していきました。現在も行われている喪中や忌引の習慣はこの綱吉の服忌令から始まって一般庶民に広がったものと言えます。
▼上記のブログで服忌令が出て来ます。朝廷から伝わった、とあります。武家社会の変容が5代将軍綱吉の時代から、 ということですね。(2020.2.26)
▼5代将軍綱吉は1680年〜1709年まで29年間将軍の地位にありました。1688年から1703年まで15年間が元禄期です。 元禄期に社会が大きく変わったようです。
下の囲い込みを読む前にWikipedia:元禄文化をクリックして「元禄文化」が一般に どのようにイメージされているかを予習してみてください。
Wikipedia:元禄文化
生活文化と世相
オランダ商館付医官エンゲルベルト・ケンペルによる元禄4年(1691年)の紀行文『江戸参府紀行』によれば、 元禄前後の日本の世相が、異国人の目からみても多様な財貨生産がおこなわれ、市場や店頭がにぎわっていること、 生活物資が豊かであること、工芸品や装飾品のすぐれた様子、また、華美な衣服、多彩な造型美術、諸芸能の盛況など、 都市を中心に大衆社会の様相を呈していることがよく映し出されている[105]。

一方で将軍徳川綱吉が発布した生類憐れみの令や服忌令は、殺生や死を遠ざけ忌み嫌う風潮 を作り出すもととなった[106]。

前者は多くの人にとって迷惑なことも多い法令ではあったが、 捨て子が野犬に襲われたり、かぶき者たちによる「犬喰い」がなされたりする戦国時代以来の 殺伐とした光景はすがたを消した[106]。後者については、それにより、従来、神道や貴族社会 に特徴的であった「死や血を穢れとする」観念が急速に武家や庶民階級にもひろがっていく契機となった[注釈 25]。

将軍綱吉が貞享元年(1684年)に儒家の林鳳岡を中心に定めさせた「服忌令」もまた、神道の強い影響下から出されたものであった[75]。

年中行事や娯楽
この時代、幕府や朝廷の節句行事が民間にもとりいれられ、元旦や盆のほか、七草、節分、桃の節句(雛祭り)、 端午の節句、七夕などの年中行事が都市を中心に農村でもおこなわれるようになった[111]。 今日の日常的な習慣や年中行事は、この時代に形をととのえたものが少なくない[111]。
農家も商家も、宗門改とむすびついて家の菩提寺をもち、追善供養を寺院でおこなって墓石を建てることも広まった[3]。

公家文化の意味と役割
日本列島では元和偃武(えんぶ 武器を伏せて用いない)によって、東アジアでも明清交替期の戦乱が収束して平和と安定の時代がもたらされた[2]。

▼出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
元和偃武(げんなえんぶ)とは、慶長20年(元和元年・1615年)5月の大坂夏の陣において 江戸幕府が大坂城主の羽柴家(豊臣宗家)を攻め滅ぼしたことにより、応仁の乱(東国においてはそれ以前の享徳の乱)以来、 150年近くにわたって断続的に続いた大規模な軍事衝突が終了したことを指す[1]。江戸幕府は同年7月に元号を元和と改めて、 天下の平定が完了した事を内外に宣した。

そのような時代にあっては、武威よりも儀礼や秩序が重んじられる。3代家光から6代家宣までの将軍の正室は親王家や摂関家から招かれ、 7代家継には皇女との婚姻も予定されたように大奥には朝廷文化が持ちこまれた[2]。

2019.12.15朝日新聞朝刊

公家文化の象徴たる和歌においては、後水尾天皇、後西天皇、霊元天皇が歌道にすぐれた[116]。
細川幽斎から古今伝授を受けた松永貞徳、その弟子で貞徳から「地下流」の古今伝授を受けた北村季吟などは地下の歌人として著名である[116]。

町人文化・武家文化としての側面ばかりが強調されがちであるが、江戸時代は公家文化がいっそう庶民に向けて開放された時代でもあった。

▼左の記事。中世日本研究所パトリシア・フィスターさんの解説。
「皇族や公家などの女性が出家して暮らした尼門跡寺院は御所さながらの高雅な文化 を伝えている。障壁画に囲まれた京都市左京区の霊鑑寺書院「上段の間」とふすま絵。後水尾天皇遺愛の日光椿などが植えられている。」
▼元禄文化の一端をイメージするために掲載しました。(2020.6.1)
wikipedia. 公家
江戸時代に入ると公家らは御所周辺に集められ、公家社会は幕府から保護を受けることとなったが、 反面、天皇と公家を規制する禁中並公家諸法度が定められ、これにより江戸時代の公武関係が規定された。 公家社会は幕末まで温存された。
近代に入り明治維新を迎えると、東京奠都により公家社会は解体され、公家のほとんどは華族身分へ移行した。 同じ幕末には朝廷権力の復活を背景に、岩倉具視や三条実美など明治維新に功績を残した者を多数輩出した。
▼やっぱり。以前から明治維新で公家たちが復活したと感じていた。(2020.6.2)
wikipedia. 華族
華族は、明治2年(1869年)から昭和22年(1947年)まで存在した近代日本の貴族階級。
公家の堂上家に由来する華族を堂上華族、江戸時代の大名家に由来する華族を大名華族、 国家への勲功により華族に加えられたものを新華族(勲功華族)、臣籍降下した元皇族を皇親華族と区別することがある。 1869年に華族に列せられたのは、それまでの公卿142家、諸侯285家の計427家。 1874年1月(明治4年)に内務省が発表した資料によると華族は2891人。

特権 宗秩寮爵位課長を務めた酒巻芳男は華族の特権を次のようにまとめている。
1 爵の世襲
2 家範の制定
3 叙位
4 爵服の着用許可
5 世襲財産の設定
6 貴族院の構成(大日本帝国憲法・貴族院令)
7 特権審議(貴族院令第8条)
8 貴族院令改正の審議(貴族院令第13条)
9 皇族・王公族との通婚(旧皇室典範・皇室親族令)
10 皇族服喪の対象(皇室服喪令)
11 学習院への入学(華族就学規則)
12 宮中席次の保有(宮中席次令・皇室儀制令)
13 旧堂上華族保護資金(旧堂上華族保護資金令)
▼平安時代の貴族社会を源流とする公家・華族の特権階級がつい先ごろの終戦まで続いていた、ということ。根強いのは当然と覚悟 をしておくこと。(2020.6.2)

▼Wikipediaの「元禄文化」は40頁にわたります。
Wikipediaを読む前からも、元禄といえば華やかな印象を多くの日本人 は持っていると思います。私もそうでした。しかし谷元さんが取り上げておられる元禄は違います。被差別者の視点から元禄期を捉えると 差別が法制度化された時期、となります。しかも40頁のうち上記引用部分は1頁にも足りません。多くの日本人の意識から抜けていく歴史的事実 となります。アイヌ民族の歴史を勉強したときも、似たようなショックを受けました。マイノリティーの視点から歴史を見直す必要をつくづく 感じます。

わたしは上記の囲い込みの中の「将軍の正室は親王家や摂関家から」「公家文化がいっそう庶民に向けて開放」の箇所が とくに気になります。綿々と古代から公家社会に受け継がれてきた神道の穢れ意識と貴賤思想が儒家の手によって復活した、と見えるからです。 歴史は具体的な人間によってつながり、復活していくとつくづく感じます。

▼昨夜は夜中に目を覚まし、頭がさえました。「支配者は差別の法制度を作った。その制度に庶民も掠め取られた。 21世紀のわれわれは反差別・平等の市民社会をつくるために、反差別・平等の法制度を獲得する。 この運動はまだ緒についたばかりだ。」こんなことを考えていました。 (2019.3.29)
▼「深大寺・声明の会」のHPを制作中にまたまた夜中に目を覚ます。平安期の延喜式の文化が元禄期に復活、差別の強化。なぜ。 将軍家・幕府内に貴賤差別思想の公家文化の浸透。明治維新で天皇中心の王政復古。公家の政治中枢への進出。朝鮮半島、台湾、中国大陸への侵略。 北端ではアイヌモシの北海道の植民地化とアイヌ民族の支配。南端では琉球の支配。日本社会に根強く生き続ける公家文化の貴賤差別思想。 江戸時代元禄期に幕府の御触れで法制度的に民衆に差別することを強要した。ならば現代は差別をしないこと、差別をすれば 犯罪として罰せられると法制度によって民衆を律する事。そのことによって日本社会から差別思想が無くなっていく、そのことによってしか無くならない 、こんなことを考えながらとうとう朝。(2019.5.10)
▼令和の即位の儀式を記録しておくこと。天武天皇から続いているという。672年の壬申の乱の翌年673年からの儀式ということ。(2019.11.21)
▼天武天皇のことを佐々克明著「天皇家はどこから来たか」で読みました。いずれ書きます。(2020.4.25)
▼きょう天武天皇のことを書きました。「在日コリアン」に飛んで 1946年の囲い込みの欄を見てください。私の理解では日本の国をはじめて創った人。(2020.5.20)

 また、14世紀に日本に伝来した朱子学(儒教)が江戸時代に官学として武士階級の典範とされ、 血族の紐帯(ちゆうたい)を倫理化した「大義名分論」と「尊王攘夷論」を二大骨格とした「家思想」が流布される。
ウィキペディア(Wikipedia)
一山一寧(いっさん いちねい 1247年 - 1317年 )は、元の渡来僧。正安元年(1299年)秋、来日。 一寧は律宗・天台宗を学んだ後、臨済宗に転じ、 朱子の新註を伝え日本朱子学の祖ともされる。

「家族・親族範囲の法制度化と儒家神道」
―中世における神祇道服忌令との関係を中心に―田中 秀典

 林由紀子は、江戸幕府服忌令の意義について、親族の範囲 やその内部秩序を規定することで儒教的家族・親族秩序を確立して幕藩制秩序を補強する ものであり、孝を中心とする儒教的な礼の実現が意図されたこと、近世的な合理的思考が なされるようになっても依然として根強かった穢意識を利用し組織化することで、将軍の 権威を高めて幕藩制秩序の強化のために用いたこと、この穢のヒエラルヒーに従って秩序 正しく穢を避けることが広い意味では幕藩制国家の「礼」秩序につながるものであったこ と、初期にはこのうち「穢」の側面が重視されていたが、服忌令の制定以後は儒教を支配 のイデオロギーとして積極的に用いるとともに、家族・親族秩序を明確にすることによっ て身分秩序の維持強化を図ることで、「礼」の側面の重要性が増したことなどを指摘してい る(林由紀子『近世服忌令の研究−幕藩制国家の喪と穢−』清文堂出版、1991 年 2 月)。

 儒者たちが儒教的な家族・親族秩序にも とづいた服喪の範囲や日数の体系を作りながらも、神道的な穢や忌を排除しなかったのは、 儒家神道と言われるように彼らが儒学のみならず神道も併修し、神儒一致の思想を持って いたからである。
江戸幕府服忌令は、このような日本の儒者たちの特異な思想のもとで成 立したのである。

儒教においては死を穢とは考えておらず、 ましてや近親者の中でも親の死あるいは死体を穢とすることやそれを忌むことは孝の徳目 に反するものであった。産穢、血穢といった雑穢についても儒教の考えに沿ったものでは ない。

仏教においても死を穢とは考えておらず、極楽浄土へ行って仏となるのであるから 穢とは逆のとらえ方をしているものと考えられるし、死が穢と結びつかない以上は忌とい う考え方をとることもないはずである。

このような、死、出産、経血やその他一般の出血等を穢と考え、これに触れたものは忌まなければ ならないという考え方は、儒教や仏教ではなく神道で説明することができる。
▼林由紀子さんのこの説明はよくわかる。さらに田中 秀典さんの解説も日本的特質をよく分析されていて有難い。
▼谷元さんの一文はこのような背景を前提とした記述であったことがわかりました。
▼神儒一致の思想、これは現代も生きています。神田明神で2009年から毎年、神儒仏合同講演会開かれています。 私もこれまで2回参加しました。 神仏習合、神儒一致、和魂洋才。日本人の発想は旧に新を取り込む、又は新に旧を入れ込む、このような特徴を持っているようです。(2020.2.21)

                   
▼つぎは歴史的に制度化され儀式化されてきた「部落差別」が、その制度化、儀式化から解かれたはずの近代明治以降も、 さらには戦後の新憲法のもとでも、なお日本社会で生き続けるのはなぜか、その解明です。
▼しばらく、約1ヶ月間、「在日コリアン」の頁に行っていました。今日から「BURAKU」に復帰します。(2019.4.22)


《「社会的仕組みによって温存・助長されている差別」の領域》(上60p〜上64p)
▼運動論としてはこの部分が最も重要と思われます。(2020.2.16)
 直接・間接に部落差別を温存し支えている社会的構造や社会的機能、そして社会的慣行に潜む「実態的差別」の領域の問題がある。 これは、「差別をする」あるいは「差別をさせられている」実態である。

 就職差別や結婚差別の事例をみればよくわかる。就職時にあたって、その仕事をする能力をもっているのに、 なぜ部落出身者ということだけで排除されるのだろうか。あるいは結婚のときに、当人同士は愛し合っているのに、 なぜ「家族や親戚に迷惑がかかる」というかたちで破談になるのだろうか。 「部落差別があるからだ」というだけでは、説明できているようで説明しきれていないのではないかという思いが私にはあった。 部落出身者を雇ったり、部落出身者と結婚した場合に何が不都合になってくるのか。その本当の背景は何なのかということである。

 私は、この問題を考えるとき、坪田義嗣さんの告白を決まって思い浮かべる。
彼は、身元調査を行う興信所を生業としており、『部落地名総鑑』(1975年発覚)を作製・販売した人間である。

 彼は、「結婚に関する身元調べのまず99%までといってまちがいないが、『血がまじると困る』『部落の人かどうか調べてくれ』 ということであった」と言い、「企業の大半は、今でも身元調べを行っているし、とくに管理職登用に際しては、 厳しい身元チェックをしている」として、このようなニーズがあるからこそ、『部落地名総鑑』を作れば絶対に売れると思ったし、 事実、売れたと告白した。

 そして、『部落地名総鑑』を購入した企業の関係者は異口同音に、個人的には「差別は悪い」と思いながらも 「会社のためになる」と思って購入したと言う。
「部落地名総鑑」差別事件は、当時、8種類の「部落地名総鑑」が見つかり、日本の名だたる大企業を中心に200社以上が 購入していた事実が発覚したが、全体像がつかみきれないままに「これ以上の調査は不可能」とする法務省の終結宣言(1989年) によって幕引きされた。

 しかし、その後も同種の差別事件は後を絶たず、〈大阪府部落差別調査等規制条例〉(1985年制定)があるにもかかわらず、 1998年には「アイビー・リック社差別身元調査事件」が発覚した。 これは、1400社以上の加盟を持つ大手経営コンサルタント会社(大阪所在)であるアイビー社が、 100%出資の下請け会社である調査会社のリック社を使って部落差別に関わる大掛かりな身元調査を行っていた事件である。
さらに2011年段階で発覚した「戸籍等個人情報大量不正取得事件」では、国家公務員・地方公務員・警察官などを含む関係者28人が有罪になり、 身元調査のための大がかりな闇社会のネットワークが存在している実態が浮かび上がっている。

 日本社会において執拗に繰り返される差別身元調査の意識や行為を生みだし支えているものは何なのかということである。  ここには、血筋・家柄・同族性などにこだわる社会的慣行があり、そのことが被差別部落出身者をはじめ社会的 マイノリティを排除・忌避する意識・行為につながっている。

この状況のもとで、身元調査をするとか『部落地名総鑑』を売買するなどの「差別を商いにする」実態を生み出している。 しかも、この社会的慣行は単なる“慣行”ではなく、日本社会特有の社会構造・システムによって 支えられているというところに大きな問題がある。

たとえば、個人ではなく家を基本としている戸籍制度、差別的な皇室典範や皇統譜の上に成り立つ天皇制、 年功序列の賃金制度、終身雇用制度、企業内労働組合制度、さらにこれらの賃金・雇用形態と結びつく学歴社会制度などである。
また、日本社会の特徴である、官公庁や企業はいうに及ばず町内会組織にいたるまでの「タテ社会」の構造と 「ヨコ並び」の意識などの問題である。

この社会構造・システムこそが、個人的には建前にしろ「差別は悪い」と思いながらも、この構造にどっぷりと浸かっている 「家」や「会社」のためになる差別行為に走らざるをえない本音の状況をつくりだし、「差別をさせられる」実態を生みだしている。 いうならば、「家の論理」にもとづく社会構造と社会意識こそが、社会的マイノリティを差別する社会的機能として働き、 「差別をする」「差別をさせられる」実態として存在しているのである。
  
同対審答申は、次のように指摘している。
 わが国の産業構造は「二重構造」といわれる構造的特質をもっている。…このような経済構造の特質は、 そっくりそのまま社会構造に反映している。すなわち、わが国の社会は、一面では近代的な市民社会の性格をもっているが、他面では、 前近代的な身分社会の性格をもっている。今日なお古い伝統的な共同体関係が生き残っており、人々は個人として完全に独立しておらず、 伝統や慣習に束縛されて、自由な意志で行動することを妨げられている。また、封建的な身分階層秩序が残存しており、 家父長制的な家族関係、家柄や格式が尊重される村落の風習、各種団体の派閥における親分子分の結合など、社会のいたるところに 身分の上下と支配服従の関係がみられる。さらに、また、精神、文化の分野でも昔ながらの迷信、 非合理的な偏見、前近代的な意識などが根づよく生き残っており、特異の精神風土と民族的性格を形成している。このような わが国の社会、経済、文化体制こそ、同和問題を存続させ、部落差別を支える歴史的社会的根拠である。

 この領域に対する取り組みは、今日にいたるもなおほとんど十分な成果をあげきれていない。 差別を生み出す社会システムを一つひとつ具体的に点検しながら、人権を軸にした社会システムへと変革することが重要であり、 これは日本社会を成熟した人権確立社会にしていく壮大な取り組みになる
▼全く同感です。(2020.2.24)

▼新しい出発にふさわしいと思って伊藤満さんの「始発の駅」を載せさせていただきました。

2019.1.7の解放新聞


伊藤満さんは『冬枯れの光景』のカバー画も描かれた 中央執行委員・奈良県連書記長。始発の駅は地元・奈良県桜井市にある 「三輪」駅
「部落の内外の人が共通の目標に向かって取り組むことが偏見をなくすことにつながる、という接触理論に説得力を感じている。」
▼伊藤さん、期待しています。(2020.1.27)


『冬枯れの光景』(下)「戸籍の歴史と家制度の仕組みに関する考察」は286p〜303pの論文です。戸籍と家制度が入れ替わり立ち代わり出て来ます。 私自身混乱してしまいました。そこで戸籍は戸籍、家制度は家制度として分けて整理しました。たぶん読者にとって理解がし易いのではとおもいます。 谷元さん、御免なさい。まず戸籍から。(2020.2.21)

T 戸籍制度とは何か(286頁)
 現行の戸籍法第6条は、「戸籍は、市町村の区域内に本籍を定める一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編成する」としている。
すなわち、「本籍」と「氏」を同じくする「家族」を単位として同一の戸籍に入ることとされ、これが戸籍を貫く「一家一籍」の原則だとされている。  この戸籍制度について、その歴史と現状を丁寧に分析した上で、遠藤正敬(えんどうまさたか)さんは著書(『戸籍と国籍の近現代史』/明石書店/2013年)で 次のように断定する。
 「戸籍における『一家一籍』という原則は、国家権力による効率的な国民の管理と監視という目的を第一義とするものであり、 現実に生活する国民の利便や要求に配慮することを念頭に置いたものではない。」

以下に、戸籍制度の歴史をなぞりながら、「差別」との関連においてその仕組みと問題点をみておきたい。
《差別身元調査に悪用されつづける「戸籍」》(287頁)
 戸籍等個人情報大量不正取得事件などにみられるように、部落差別身元調査事件の根底には、常に「戸籍」の問題が存在している。 1970年前後から、就職や結婚のときに戸籍閲覧によるに差別身元調査が常態化していた事態を改善するために、 戸籍閲覧制度や戸籍法が改正されてきたが、そのたびにイタチごっこのように「部落地名総鑑」差別事件をはじめとして差別身元調査事件が、 手を変え品を変えて繰り返されてきている。そのつど、戸籍のあり方が問題にされてきた。

 そもそも世界に例を見ない個人の認証制度として、日本人が当たり前のように受け入れている「戸籍」あるいは「戸籍制度」とは何であろうか。  近現代の日本において、一貫して個人の認証制度として存在しつづけてきた戸籍制度の端緒は、 1871(明治4)年の戸籍法である。これにもとづいて壬申(じんしん)戸籍が編成された。 物事の本質はその原初形態にあるとよくいわれるが、その戸籍法の前文に書かれている法制定の趣旨からみていくことにする。 そこには、次のように記されている。
 
人民ノ各安康ヲ得テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ政府保護ノ庇蔭ニヨラサルハナシ 去レハ其籍ヲ逃レ其数ニ漏ルルモノハ其保護ヲ受ケサル理ニテ自ラ国民ノ外タルニ近シ    此レ人民戸籍ヲ納メサルヲ得サルノ儀ナリ

 一読してわかるとおり、この戸籍法制定の趣旨は、
第1に、「人民」の安心・安全は国家の保護による以外はないこと(国家主権)、
第2に、国の戸籍に登録されてはじめて「人民」が「国民」になり保護されること(国民国家)、
第3に、戸籍に登録されない者は国民ではないこと(戸籍=国籍)を明記している。

《壬申戸籍は身分差別戸籍》(291頁)
 このような思想のもとに壬申戸籍は作成された。そのような戸籍であるがゆえに、 壬申戸籍には前近代の旧身分にもとづく華族、武士などの族称が記載され、被差別部落の人たちに対しては 「旧穢多」とか「新平民」などの記載がなされたのである。  しかも、戸籍は原則公開であったので、戸籍を調べれば旧身分をだれでも知ることができ、 これが、差別身元調査に悪用されつづけてきたという歴史的事実がある。
 この壬申戸籍は、部落解放運動などの抗議によって、1969年に法務省が「閲覧禁止・厳重保管」の措置をとるまで100年間、 自由閲覧に供されてきた。当然、長い期間の間に、興信所・探偵所などの差別身元調査を行おうとする者たちによって、 被差別部落の所在地にかかわる情報は原簿化され、秘匿化されていることは容易に推察できる。その一端が、 「部落地名総鑑」差別事件や戸籍等個人情報大量不正取得事件として表面化しているのである。

《戸籍制度の抜本的改革は民主化への焦眉の課題》(294頁〜296頁)
 戸籍のあり方とその取り扱い方に水平社時代から何度も抗議行動を行っていたが、本格的な闘いは1968年の段階で、 「明治100年の差別性を問う」というかたちで、戸籍が差別身元調査に悪用されている事実を政府・地方自治体に突きつけ、糾弾闘争を展開した。
 この闘いによって、1968年に壬申戸籍は「閲覧禁止・厳重保管」の処置がとられ、地方自治体でも戸籍の閲覧制限が行われるようになってきた。 戸籍の原則公開制が制限公開になるのは、1976年の戸籍法改正によってである。

 また、1973年3月には労働省から「新規高等学校卒業者採用・選考のための応募書類について」という達知が各都道府県知事に出され、 「求人者が…統一応募書類のほかに、戸籍謄(抄)本等の他の書類の提出を求めることは認めないものとし、 これを強力に指導すること」が周知された。
 さらに、文部省からも同様の通知が出され、「戸籍謄本(抄本)の提出を求めることは本人の家族状況・環境など 実質的な身元調査につながり本人の能力・適正・意欲以外の条件にふれることになるので求めないこと」が周知された。
しかし、これらの制度改革をあざ笑い、かいくぐるように、差別身元調査がいまなお後を絶たないのは、 第一部の「部落差別実態論」で詳細を既述したとおりである。

 前出の遠藤正敬(えんどうまさたか)さんは、戸籍制度が婚外子差別、民族差別、性差別、部落差別などを生み出す根源であることを明らかにしながら、 「戸籍の問題性は、現在の身分関係を登録するという民事的な身分証明の手段にとどまることなく、権力による政治的統合の手段となり、 えてして民主主義と対峙してきた点にある」とし、「その意味で、『国籍』『血統』『民族』『家』といった政治権力の操作する 符号を絡み合わせながら、『日本人』を選別し、序列化し、分断してきた戸籍制度を抜本的に変革し、家族生活に対する規制と干渉を 撤廃していくことは不可避の課題である」(前掲書『戸籍と国籍の近現代史』/明石書店)と提起している。(下線は引用者)

戸籍が持っている機能とは何か(296頁〜297頁)
 日本人が普通に違和感なく受け入れているようにみえる戸籍とはいったい何であったのだろうか。 今日では一般的に、戸籍は4つの基本機能を有し、それを細分化すると10機能になると説明されている。

  基本機能の
 第1は、「証明機能」といわれるもので、その中身は「個人の識別・特定」「身分関係の公証」「国籍の登録・
 証明」という機能である。
 第2は、「追跡機能」で、「住所の生涯追跡」「身分関係の生涯追跡」「血縁関係の無限検索」の機能である。
 第3は、「組織機能」で、「身分秩序の維持」「親族共同体の組織」「国家組織の維持」をその機能としてい
 る。
 第4は、「統計機能」であり、具体的には「センサスの基礎資料」の機能である。

《戸籍の本質は一元的国民管理》(297頁)
 「戸籍」がもっているといわれるこれらの機能にかかわる最大の問題点は、国家(政府) が国民の家族関係・居住関係に関するすべての情報を一元的に把握し、国民を管理することができるシステムであり、 血統と本貫(本籍)で人びとを分類し、差別・支配する仕組みであるということである。

 同時に、結婚・離婚・出生・養子・相続・死亡などの人間が生きていくうえでの重要場面で戸籍が登場し、 「家」を意識させる仕組みになっているということである。

戸籍の本質に関する歴史的経緯からの考察

《大化の改新(645年)以降に初の全国的戸籍を作成》(297頁〜298頁)
 日本における戸籍の成立過程について、増本敏子・久武綾子・井戸田博史共著の『氏と家族―氏〔姓〕とは何か』 (大蔵省印刷局/1999年)で詳述されている。

 「欽明30年(570年)に、男を対象とする「丁籍(よぼろの ふみた)」の作成が、わが国における初の本格的な戸籍の作成であった」 とされている。
▼「日本書紀」欽明30年の条にこの記述が見える。(2020.4.27)
その目的は、「吉備の五郡に白猪屯倉(しらいの みやけ)を設置し、ミヤケを耕す丁(よぼろ)(農夫)を差し出す田部(農家) の村が指定されていた(欽明16年ごろ)。そこで耕作に従事する田部の『丁籍』を作成させた」とのことである。 これが現認できる最古の戸籍のはじまりといわれている。

 大化の改新(645年)以降、中国の律令制を模倣した古代律令制が全国的に整備されていくことになり、
「改新の詔(みことのり)によって六年一籍制度が690年より始まり、人民を男女・貴賤の別なく一人ひとり 戸籍に掌握して徴税の対象とする支配体制が成立し、律令国家の経済的基盤が確立した。 この記念すべき年の干支を冠して原簿を庚寅年籍(こういんのねんじやく)と命名した」。
すなわち、徴税を目的にして六年ごとに戸籍をつくっていく戸籍制度により全国的な支配体制が成立したのである。 この戸籍によって良民・賤民も選別されていくことになる。
▼籍の意味:『字通』ふみ かきつけ しるす。

《律令制度の崩壊により戸籍制度は消滅》(298頁〜299頁)
 しかし、
「奈良末期から平安初期にかけて、律令制の崩壊によって班田収受の不規則化、農民の逃亡、 籍帳の虚偽が盛んに行われたことは周知の歴史上の事実である」(同書)

といわれるように、古代律令制とそれを支えた班田制・戸籍制度は100年余で実質的には崩壊し、9世紀末までには有名無実となり、 中世には班田制に代わって荘園制が発達し、戸籍は存在しなくなった。

 「中世に戸籍がつくられなかったのは、荘園制が発達して、土地人民が私有所有の対象となったこと、 古代の戸籍に代わって、土地と人との統一体としての“名(みよう)"が、年貢や課役の徴収単位としての機能を 果たしたことなどにもとづくであろう」(同書)。
 なお、「名」とは、墾田を自由に私財とさせる「墾田永年私財法」(743年)が定められて以降、 墾田主がその土地が自分の私有であることを強調するために冠したものであり、平安初期ごろから風習になったとされる。 名田(みようでん)や名主(みようしゆ)、名字(みようじ)などの起源である。
▼このくだりを読んでいて明治政府が明治5年(1872年)の北海道土地売貸規則、明治8年 (1875年)の山林荒蕪地払下規則で開拓者に無償または極めて有利な条件で(アイヌ民族の大地を)払い下げた 政策を思い出した。1千年以上たっても人間のやることはあまり変わらない。

「律令国家が崩壊するころ、在地の領主や中央から下ってきた官人による所領の開発が盛んに行われ、 彼らは旧来の氏を用いながら他方では自らの本拠地の名を一族の名称として名乗るようになり、 名を字名(あざな別名)としたことから、これを“名字”という。これが公的な家の名として認められていった」(同書)。
▼本拠地の名=家の名

 さらに重要な指摘は、
中世家族は、その前期には武士の惣領制(そうりよう)をはじめとする族的結合が一般に強かったが、 中世後期になると、惣領制が衰退して『家』意識が成立する。 (下線は引用者)実際には女性の地位が低下して親子・夫婦のあいだの上下関係が深まり、 それが近世にもちこまれるのである」ということである。

《戦国時代から近世において再び「戸籍」制度が登場》(299頁〜300頁)
  「鎌倉、室町時代は、戸籍簿がない時代であったが、戦国時代になると大名たちは、自領内の統一把握を早く達成するため、 分国(ふんぐに)法の制定、検地および領内人民の戸口調べを実施」するようになるが、これを全国的に完備したかたちで実施しようと 企図したのが豊臣秀吉の「太閤検地」であり、江戸幕藩体制に引き継がれていく。

▼分国法の実際を見てみました。室町幕府の守護大名から戦国大名として一国を支配していく過程で 制定されたようです。(2020.2.23) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 越前国守護 朝倉孝景の分国法
朝倉孝景条々は室町時代中期の武将、越前国守護の朝倉孝景が制定したとされる分国法。 朝倉敏景十七箇条、英林壁書ともいう。家訓をもって国を治める基本とした。 1479年(文明11年)ら1481年(文明13年)までの間に制定されたとみられている。

 江戸幕藩体制のもとでは、宗門改(しゆうもんあらため)制度のもとで作成される「宗門人別帳」が戸籍制度の機能を果たすことになる。
 江戸時代の元禄期(1688〜1704年)以降が、墓標、位牌、法名などの記載から百姓・町民の「家」の成立期であったとされる。  同時にそれは、被差別民に対する「差別戒名」「差別法名」が現れてくる時期でもある。「家」の成立が、 「差別」意識を強化している側面をみておく必要がある。(下線は引用者)

《明治政府による最初の戸籍が『壬申戸籍』》(300頁)
 幕藩封建体制を打倒した近代国民国家としての明治政府は、徴税、徴兵を主目的にして、人民掌握と管理のためにただちに「戸籍」編成をはじめる。 1871(明治4)年に戸籍法を制定し、翌年に戸籍を編成する。

 この戸籍が編成年の干支(壬申)を冠して「壬申戸籍」と呼ばれている。この戸籍は、江戸時代の「宗門人別帳」を基礎にしたものであり、 前近代の身分も記帳した差別戸籍である。  その後も戸籍は改編成されていくが、明治以降の政治的・社会的統治論理の骨格である「家」思想の法制度的担保として戸籍制度は存在しつづけ、 家制度が解体された戦後においても維持され、今日にいたっている(下線は引用者)

▼谷元さんの説明をたどるとつぎのように要約できます。
中世後期―「家」意識の成立。
元禄期―百姓・町民の「家」の成立期=「宗門人別帳」。
明治政府―「壬申戸籍」(宗門人別帳)。
戦後―憲法で家制度解体・法律で戸籍制度の存続。
すなわち「家」についていえば中世後期を引きずっているということになります。

翻って考えますに、わたしは奈良桜井の生まれですが、 中世のなごりが色濃く残る土地です。能・狂言がこの地で生まれています。狂言のことばは中世のはなしことばですが、 わたしの記憶にも残っているふる里の言葉の数々(今は使いませんが、)を昭和50年の春から半年ほど読んでいた大野晋先生の『古語辞典』 で「発見」したことを思い出します。
けなるい―うらやましい。
ごふにん―極悪人・人をののしる時にもいう。私の記憶ではののしるときの母親の 言葉だったです。
せせる―つつき散らしてあさる。食事の時魚を箸でつついて身を取って食べるときにせせる、と言っていました。


《歴史的経過からみる戸籍の本質》(301頁)
 戸籍の歴史的経緯を概観してきたが、そこからみえてくる戸籍の本質と特徴は、次のような点にある。
 第1に、戸籍は、支配者の徴税・賦役・徴兵のための人民管理台帳であったということである。
 第2に、戸籍は、「家」制度を現実化し、個人の家への帰属を強制し、前近代的家族観である家意識を支える役
 割を果たしていることである。
 第3に、戸籍は、氏(血統)と本籍(土地)に人々を縛り付け、「家の論理」によって支配を確実にするシステ
 ムであるといえる。
 そのような本質を戸籍が有しているのもかかわらず、今日においても多くの人が戸籍を受け入れているのは、戸籍が「個人の認証」機能を有しており、「住民の利便性」とか「行政の合理化」に資しているという建前に翻弄されているからであろう。

《戸籍の改廃は喫緊の課題》(301頁〜302頁)
 立命館大学の二宮周平(にのみやしゆうへい)・法科大学院教授は、『新版 戸籍と人権』(解放出版社/2006年)において、次のように提起している。
「制度が人びとの意識を規定することを思うとき、制度をつくり直すときには、便利性ではなく、原理原則の問題を重視しなければならないことがわかります。」
「私見では、現行戸籍は『家』の克服という使命を果たしたとはいえないように思います。性別役割分業意識や慣行が根強い背景には、 日本的な家意識が残っているからであり、戸籍にはこれを温存する作用があったと考えるからです。」

「身分登録制度を私たち自身の利益を守るものにするために何が必要か、効率性や経済性と、個人の情報=人格の尊重と、 どちらを優先的に考えるのか、これからの日本社会のあり方自体が問われているように思います」

として、現行戸籍制度に代わる具体的な個人登録制度のあり方を提示している。きわめわかりやすい例示を図表化しており、一読に値する。

U 明治以降の日本における家制度の本質

明治民法の「家」
《統治論理としての家思想の基盤を支える戸籍制度》(288頁〜289頁)
問題は、国民である一人ひとりの個人が個人登録ではなく、家単位の戸籍で登録されていることである。 ここに、明治国家の家思想に基づく統治の論理が存在している。 すなわち、前近代の武士階級や一部の富農・富商層に存在していた 男性上位の血統主義的序列観にもとづく主従関係である家父長的家制度を近代国家の統治の論理の骨格に据えて、 「家」の論理を法制化し、「戸籍」というシステムとして具体化したのである。  「家」の概念は、明治民法の起草過程にあった「人事編大体論議事筆記」には、次のように規定されている。
  
      家トハ一ノ氏ヲ以テ独立シテ人別ノ戸籍ヲ設ケタル者ノ系統ヲ云フ

 いわば、前近代の家思想を単なるイデオロギーではなしに現実的な組織に置き換え、国家の統治・管理システムとしてつくりだされたのが「戸籍」制度である。 まさに、「国は家なり」の用語に象徴されるように、近代の明治「国家」は、家の論理で構築されたといえる。
▼明治民法で条文化。明治民法の親族編は条文で239条、相続編で183条、全条文で422条。 (現行民法は親族編157条、相続編163条、全条文で320条)江戸時代の家的秩序を親族編と相続編で法制化しているとのこと。

 家の論理の基本は、親子関係であり、血統にもとづく男性優位の主従関係である。 戸主である男親の命令に対して子は絶対服従を強いられ、服従しているかぎりにおいて親は子を保護する。 親の命令に子が服従しない場合は、勘当(かんどう)というかたちで排除・追放することによって家を 維持・存続・繁栄させるという論理である。

▼谷元さんの書いておられることが民法の条文で確認できます。加賀山 茂 名古屋大学大学院法学研究科教授の論文がすばらしいです。 明治民法の「家」制度が日本の家族に及ぼした影響をクリックしてください。下記はその一部の紹介です。
「戦後,民法が改正されて,家制度が廃止され,家督相続も廃止されたにもかかわらず, 今なお,少なからぬ家庭で,男性優先・年長者優先の礼儀作法が躾として実施されている。 したがって,日本の家族を知ろうとすれば,「家」制度が廃止されたたために「家族」 の定義自体を欠くにいたった現行民法ではなく,「家族」の定義を有していた明治民法 にさかのぼってその内容を知る必要がある。明治民法を理解することによって,はじめて, 日本の社会に今なお根強く残っている,男女差別,年長者優遇,非嫡出子差別等のいわれのない差別の源や, 今なお結婚式や結婚披露宴で使われている「ご両家」という言葉の意味を知ることができるのである
民法が,「家」制度を廃止するためとはいえ,「家族」という言葉をその法文から抹殺してしまったことは,不幸なことであった。 」 (名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂 2004年4月6日)

▼明治民法を、特に親族編725条〜963条、相続編964条〜1146条を心得ておく必要があります。 明治民法をクリックしてください。
▼Wikipedia: 家制度(いえせいど)とは、1898年(明治31年)に制定された民法において規定された日本の家族制度であり、 親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を、戸主(こしゅ)と家族として一つの家に属させ、 戸主に家の統率権限を与えていた制度である。江戸時代に発達した、武士階級の家父長制的な家族制度を基にしている。

戸主権・戸主の義務 
戸主は、家の統率者として家族に対する扶養義務を負う(ただし、配偶者、直系卑属、直系尊属による扶養義務のほうが優先)ほか、 主に以下のような権能(戸主権)を有していた。

家族の婚姻・養子縁組に対する同意権(明治民法750条)
家族カ婚姻又ハ養子縁組ヲ為スニハ戸主ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス
家族の入籍又は去家に対する同意権(ただし、法律上当然に入籍・除籍が生じる場合を除く) (明治民法735条・737条・738条)
家族の居所指定権(明治民法749条)
家籍から排除する権利
家族の入籍を拒否する権利
戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の復籍拒絶(明治民法741条2・735条)
家族の私生児・庶子の入籍の拒否(明治民法735条)
親族入籍の拒否(明治民法737条)
引取入籍の拒否(明治民法738条)
家族を家から排除する(離籍)権利(ただし未成年者と推定家督相続人は離籍できない)
居所の指定に従わない家族の離籍(明治民法749条)
戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の離籍(明治民法750条)
明治民法の条文を確認できます。
▼戦後生まれの我々から見ると信じられないほどの権力を戸主(親爺)は持っていた。

《「和の精神」の根本は家の論理》(289頁〜290頁)
 最近、日本型民主主義の真髄だということで、「和の国」や「和の精神」などが持ち出され、聖徳太子の17条憲法が引き合いに出されることがよくある。 「和」は大事な精神ではあるが、聖徳太子の作といわれる17条憲法は正確に読まれる必要がある。
 これは君民一体の思想を体現したものであり、正確には「一に言う。和を以て尊しとする。逆らわないように心がけよ」というのものである。 すなわち、「君(天皇)の命令に背くことなく、民は和せよ」と言っているのである。別言すれば、君命は絶対命令であり、 民衆はそれに絶対服従するかぎり保護してやるから、その枠内で仲良くせよということであり、「和の精神」の根本は家の論理であることは明白である。 民主主義とは無縁である。

▼聖徳太子の17条憲法、一度は読んでおく必要があると考え、Wikipediaから書き下し文を転載しました。ご参考まで。(2020.7.7)
Wikipedia:17条憲法
原文 (書き出し)夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。(末尾)『日本書紀』第二十二巻 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年
書き下し文(部分)
夏四月丙寅朔の戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)を作る。
一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。

三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。

五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)
六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)
七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)
八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)
九に曰く、信は是義の本なり。(略)
十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)

十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)
十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。(略)

十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)
十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。(略)
十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)
十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)
十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)

朝日朝刊2020.8.15
▼95歳の色川さんが「変わらない日本社会」を危惧しておられる。
「日本社会の家父長主義やアジアの他国に対する差別意識、近い者とは親しくするが、遠いものを軽蔑する思想、こういった感情は 今も変わっていないのではないでしょうか。」
▼国連の価値観を浸透させることを通じて、と私は考えている。(2020.9.7)

《家の論理とは親子関係を基軸とした血統的序列観による絶対的な主従関係の論理》(290頁)
 明治国家は、この家の論理に乗っかって、天皇を親とし国民を子(天皇の赤子(せきし))とする 疑似親子関係になぞらえて、親である天皇の命令は絶対であり、これに服従しない子である国民は「非国民」として排除するという論理を統治論理の基本とした。 そして、「万世一系」の天皇の血統がもっとも尊く、それに近い者ほど貴種であり、 遠ければ遠いほど賤種と見なされる貴賤思想が教育によって定着させられていくことになった。 しかも、「単一大和(やまと)民族」論によって、「大和民族とは何か」の詮議もないままに、大和民族ではないとみなされた人たちは排除されていくことになる。 松本治一郎大先輩が指摘した「貴族あれば賤族あり」の状態である。

《家制度の法的解体と「伝統的美風」の存続》(291頁〜292頁)
 このような戦前の家制度が、天皇制ファシズムの温床になり、戦後の民主改革を妨げているとして、戦後、家制度は法的に解体された。 しかし、帝国憲法の改正をめぐって帝国議会の貴族院本会議で論議が行われた際、 当時の木村篤太郎(きむらとくたろう)・法務大臣は、家制度について次のように答弁をしている(1946年8月28日)。

従来ノ日本ノ所謂良キ意味ニ於ケル家族制度ガ、之〔憲法改正〕ニ依ッテ撤廃サレルカト申シマスルト、 決シテサウデハナイノデアリマス…殊ニ我ガ国ノ美風ト致シマシテ、祖先ヲ崇拝シ、家系ヲ重ンズルト云フ此ノ点ニ於キマシテハ、 我々ハ是非トモ将来ニ此ノ美点ヲ遺シタイト云フ熱意ヲ持ッテ居ルノデアリマス

 この答弁に、当時の日本政府の考え方として、何としても家思想を堅持しようとする姿勢が看取できる。 すなわち、法律用語としての「家」は廃されたが、家制度の骨格である戸籍制度は存続させ、 家思想は維持しようとの必死の思惑が表明されている。その痕跡を、現行民法や戸籍は今日もなおとどめているといえる。

《「伝統的美風」に引きずられた民法・戸籍法と憲法との齟齬》(292頁〜293頁)
 たとえば、現行憲法24条には、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」と明記されている。 この「両性の合意のみ」という文言は、当時参議院議員であった松本治一郎さんが強力に主張して取り入れられたものであるが、 一方、民法739条には「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる」と規定されている。 この規定によって、憲法が「両性の合意のみ」によって成立するとした婚姻が、家制度を前提にした戸籍法の手続きを経ないと 実質的には効力を発揮しないというかたちで、家制度のなかに引き戻される構図になっている。
▼谷元さんのこの指摘は的確・明快。権力のこずるさを声を大にして市民に知らせる必要がある。
 1947年4月19日に出された「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」第3条では、 「戸主、家族その他家に関する規定は、これを適用しない」としており、戸籍制度も廃止されるべきはずであったにもかかわらず、 生き残らせたのである。
▼法律の全文は以下です。谷元さんのご指摘通りです。
日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律(昭和22年法律第74号)
第一条 この法律は、日本国憲法の施行に伴い、民法について、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚する応急的措置を講ずることを目的とする。
第二条 妻又は母であることに基いて法律上の能力その他を制限する規定は、これを適用しない。
第三条 戸主、家族その他家に関する規定は、これを適用しない。
第四条 成年者の婚姻、離婚、養子縁組及び離縁については、父母の同意を要しない。
第五条 夫婦は、その協議で定める場所に同居するものとする。
2 夫婦の財産関係に関する規定で両性の本質的平等に反するものは、これを適用しない。
3 配偶者の一方に著しい不貞の行為があつたときは、他の一方は、これを原因として離婚の訴を提起することができる。
第六条 親権は、父母が共同してこれを行う。
2 父母が離婚するとき、又は父が子を認知するときは、親権を行う者は、父母の協議でこれを定めなければならない。 協議が調わないとき、又は協議することができないときは、裁判所が、これを定める。
3 裁判所は、子の利益のために、親権者を変更することができる。
第七条 家督相続に関する規定は、これを適用しない。
2 相続については、第八条及び第九条の規定によるの外、遺産相続に関する規定に従う。
第八条 直系卑属、直系尊属及び兄弟姉妹は、その順序により相続人となる。
2 配偶者は、常に相続人となるものとし、その相続分は、左の規定に従う。
 一 直系卑属とともに相続人であるときは、三分の一とする。
 二 直系尊属とともに相続人であるときは、二分の一とする。
 三 兄弟姉妹とともに相続人であるときは、三分の二とする。
第九条 兄弟姉妹以外の相続人の遺留分の額は、左の規定に従う。
 一 直系卑属のみが相続人であるとき、又は直系卑属及び配偶者が相続人であるときは、被相続人の財産の二分の一とする。
 二 その他の場合は、被相続人の財産の三分の一とする。
第十条 この法律の規定に反する他の法律の規定は、これを適用しない。
  附 則 1 この法律は、日本国憲法施行の日から、これを施行する。
2 この法律は、昭和二十三年一月一日から、その効力を失う。
▼明治民法の当該条項を知っておく必要がある。幾つか見てみました。
明治民法
14条
妻カ左ニ掲ケタル行為ヲ為スニハ夫ノ許可ヲ受クルコトヲ要ス
 一 第十二条第一項第一号乃至第六号ニ掲ケタル行為ヲ為スコト
 二 贈与若クハ遺贈ヲ受諾シ又ハ之ヲ拒絶スルコト
 三 身体ニ覊絆ヲ受クヘキ契約ヲ為スコト
前項ノ規定ニ反スル行為ハ之ヲ取消スコトヲ得
▼十二条第一項第一号乃至第六号とは
準禁治産者カ左ニ掲ケタル行為ヲ為スニハ其保佐人ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス
 一 元本ヲ領収シ又ハ之ヲ利用スルコト
 二 借財又ハ保証ヲ為スコト
 三 不動産又ハ重要ナル動産ニ関スル権利ノ得喪ヲ目的トスル行為ヲ為スコト
 四 訴訟行為ヲ為スコト
 五 贈与、和解又ハ仲裁契約ヲ為スコト
 六 相続ヲ承認シ又ハ之ヲ抛棄スルコト
▼つまり明治民法では妻は準禁治産者並みと見られていた。
749条
家族ハ戸主ノ意ニ反シテ其居所ヲ定ムルコトヲ得ス
772条
子カ婚姻ヲ為スニハ其家ニ在ル父母ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス但男カ満三十年女カ満二十五年ニ達シタル後ハ此限ニ在ラス
▼婚姻には戸主(750条)と両親(772条)の同意が必要ということ。いやはや厄介なこと。

 その意味では、「家」という法律用語は抹消したものの、家制度にかかわる明治民法の規定は現行民法においても随所に残され、 差別・排除の論理を内在させたといえる。
 明治民法をそのまま踏襲して婚外子差別を温存してきた民法規定が、2013年の段階で最高裁によって「違憲」とされ、 当該条項が改正されたのは記憶に新しい。ただし、留意しておかなければならないことは、 少なくとも1995年段階まで最高裁はこの民法規定を合憲と判断してきたのであり、この違憲判断も、 国の伝統、社会事情、国民感情などの要件を考慮したうえで「嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的根拠は失われた」 と抽象的な判断根拠を提示しているだけで、「家の論理」がもつ差別性に対する具体的な判断を避けていることである。
 今日段階でもうひとつ留意しておく必要があるのは、憲法の「両性の合意」という規定である。 家長の意向が子どもの婚姻を決定していた戦前の家制度を否定するという積極的意義をもっていたこの憲法規定も、 「性の多様性」を否定しセクシャル・マイノリティの人たちを排除するものとなっており、早急な改正検討が急務である。

《「家」としての日本社会》(294頁)
   2019.10.12朝日夕刊
塚本協子さん。夫婦別姓を認めない民法(750条)の規定が憲法違反と訴えて2011年提訴。最高裁は2015年12月合憲判決。

2020.11.20朝日朝刊
医師泉侑希さん「法律での夫婦同姓の強制は世界で日本のみとされ、96%の女性が夫の姓に変える。……慣習から思考停止に陥り、選択肢に否定的になる、そんな国 であってほしくない。」
 このように、戸籍は、これれらの規定により戦後ふたたび「家」制度の象徴として人々を律することになった。
 日本的経営のあり方の問題点を探究し、それを「家の論理」から解き明かした経済学博士の三戸公(みとただし)さんは 「日本は形式的には立法・司法・行政の三権分立の民主主義制度をもった近代国家だが、 その実体は社会の根幹をなす経済的制度である企業が家であり共同体であり、天皇を頂点とした家社会・家国家をなしているが故に、 政・官・財(業)の癒着構造を生み、全ての人間は必ずしも法の前に平等ではない」と指摘し、「近代社会の論理と家の論理の相剋をどうとらえ、 どう解決するかが、日本の政治改革の根本に横たわる問題である」と提起している(『「家」としての日本社会』/有斐閣/1994年発行)。 今日においても傾聴に値する意見である。

「家の論理」(302頁)
   2020.7.9朝日新聞夕刊
両性は不平等 家事も政策も。「コロナ禍で社会の弱いところが見えてきた」「(憲法)24条を実践しない政治家が再生産される限り、 24条が実質化される日は来ない」

 「家の論理」とは、元来、封建体制を維持・存続させるための主柱としての意識と社会的仕組みのことであり、それは、 家父長的な権威と恭順の秩序をもち、専制・服従・庇護の関係に貫かれた親子関係を基軸として、家の維持・存続・繁栄を目的としたものである。
 家の論理は、本来的に個人の確立とか男女同権などの基本的人権を否定し、「ウチとソト」の意識を生みだし、「差別と排除」を内包している。  問題は、封建的主柱であった「家の論理」が、明治維新、戦後民主改革を経た今日においてもなお、日本社会を特徴づける法・制度・慣行として存在し、 日本人の日常生活における組織・行動の原理として機能していることである。 三戸公さんは、『「家」としての日本社会』(有斐閣/1994年)において、その事情を次のように指摘している。 「近代社会を秩序づける基本は法である。近代国家の道を歩み始めた日本は、徳川260年の間に固定化されてきていた 伝統的秩序である家的秩序をもってこれをそのまま法制化し、法を支える道徳・倫理の体系を家道徳・家倫理に求めたのである。」
 「その事情」は、今日においても具体的な社会システムとして、戸籍制度、学歴制度、雇用・賃金制度、天皇制などに存在する問題点として具現し、存在しつづけているのである。まさに、日本の近代の骨格である日本的国民国家の枠組みを支える支柱として戸籍制度はつくりだされたといえる。  この戸籍制度が部落差別を存続させる一つの大きな要因である。その抜本的な改廃は、部落問題解決への喫緊の課題である。


狭山事件














集会アピール

56年前のきょう、警察は当時24歳だった石川一雄さんを別件で逮捕し、女子高校生殺害の取調べを連日おこなった。 警察、検察は別件逮捕、再逮捕というやりかたで1ヶ月以上におよぶ厳しい取調べを続けた。無実を叫ぶ石川さんに、弁護士や家族との 接見を禁止し、石川さん一人だけを閉じ込めた川越警察署分室の取調室で、手錠・腰縄をつけたまま、警察官たちは、兄を逮捕すると脅してウソの 自白に追い込んだ。(中略)
被差別部落にたいする見込み捜査で石川さんはねらい打ちされたのだ。(中略)
当時の石川さんが部落差別によって教育を受けられなかった非識字者であり、脅迫状をかけたはずはないことは明らかだ。インクの鑑定は、石川さんの家から自白通り発見されたとして有罪の証拠となった 万年筆が被害者のものではなかったことを科学的に明かにしている。有罪判決は完全に崩れている。東京高裁は、 鑑定人尋問をおこない再審を開始すべきである。(中略)
一日も早く石川さんの「みえない手錠」をはずすために狭山事件の再審を実現しよう!

 2019年5月23日 狭山事件の再審を求める市民集会 参加者一同。

▼私も参加者の一人です。
当日、特に印象に残った言葉。
2020.7.12朝日新聞朝刊 袴田事件を支援する日本プロボクシング協会事務局長新田渉世(しょうせい)さん。「世界ボクシング評議会は袴田さんに名誉チャピオン ベルトを贈呈した」▼あたたかい応援だ!

足利事件の菅家利和(すがやとしかず)さんの「警察・検察を絶対許すことはない。」
布川事件の桜井昌司(さくらいしょうじ) さんの「えん罪を生んで反省しない警察、検察、無責任な裁判所を許せない。」
刑事訴訟法第435条は再審の規定です。次のようになっています。

「再審の請求は、左(条文は縦書きなので次のが左となっている)の場合において、有罪の言渡をした確定判決に対し、その言渡を受けた者のために、これをすることができる。
 六 有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、 又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき。」
▼石川さんの場合は 「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したとき」に該当すると思います。 私も後藤眞理子裁判長に再審開始決定を求めるハガキを出します。 (2019.6.21)


(上が現物です)
▼東京高等裁判所 後藤眞理子裁判長様
1964年3月11日の死刑判決から55年経っています。改めて一審の判決文を読んでみました。万年筆、時計の発見の経緯がやはり不自然だと思います。そして何よりも小学校にすらろくに行っていない石川さんが、証拠とされている、流れるような速さで書かれた「脅迫状」を書けるはずがないことは一目瞭然です。 先日映画『獄友』を見ました。奥様の早智子さんが勧められるご両親のお墓参りに「再審決定まで行かない」と堅い決意の程を語っておられます。 どうぞ裁判長の知性と良心でもって刑事訴訟法435条第6号の再審決定のご決断をこころよりお願いいたします。     2019年6月23日

事件の経緯(http://blltokyo.net/sayama/jiken/jiken501.html)
 1963年5月1日、この日埼玉県狭山市内の女子高1年生Yさんは16回目の誕生日を迎えました。 午後3時20分ごろ、一人で学校を出て、自転車で帰宅の途につきました。
 この日の狭山は、午後2時ごろから小雨が降ったりやんだりしていましたが、 午後4時ごろからは本降りとなりました。激しい雨の中、午後6時を過ぎてもYさんが帰宅しないのを心配したYさんの兄Kさんは、 自動車で妹を迎えに出ます。
 Kさんは、雨具を持っていない妹がまだ学校にいるのかもしれないと考えましたが、 既に学校にはYさんはいませんでした。つづいて「電車に乗って帰ったのかもしれない」と考え、 自宅の最寄り駅まで出向きましたが、ここにもYさんの姿はありませんでした。結局YさんをみつけることができなかったKさんは、 午後7時30分頃むなしく帰宅します。

 兄Kさんが帰宅して10分ほどたった午後7時40分ごろ、ついさっきKさんが入ってきたばかりの玄関の引き戸の部分に 「白い封筒」が発見されます。それは10分前にはそこになかったものでした。玄関の中は土間になっており、そのすぐ隣の上がり座敷でYさんをのぞく家族全員が夕食を取り始めていました。 しかし家族の誰も、人の気配を感じませんでした。
▼2019.6.19映画「獄友」を見ました。ご両親のお墓参りは再審決定までは行かない、との自身の堅い決意に感じるものがありました。 下記の詩の中の一節「真実に至る道は信じて夢見ることから始めるしかない」は石川さんを思い、特にこころに残りました。
 封筒の中には「脅迫状」が入っていました。「脅迫状」には、子どもを誘拐したこと、身代金20万円を女性が5月2日の深夜・「佐野屋」という酒屋のところに持ってくること、 また、もし警察に話したら子どもを殺すという意味のことが書かれていました。「脅迫状」の文字はきわめて特徴的な筆跡で、 大学ノートを破いた用紙に、横書きで書かれていました。
 脅迫状を読んだ家族は、ただちに警察に通報することにします。  警察に向かうために、兄Kさんが納屋の自動車のところまでくると、そこについさっきまではなかった妹Yさんの自転車がおいてあるのを発見しました。 それは、Yさんがいつも自転車をおいている場所でした。自転車の様子を見てみると、サドルの部分が雨に濡れていませんでした。

 家族の通報を受けた狭山署では、県警本部とも連絡を取ってただちに大規模な捜査態勢を組みます。 つい数ヶ月前に東京都台東区で吉展ちゃんという幼児が誘拐され、警視庁は身代金を取りに来た犯人を取り逃がしていました(「吉展ちゃん事件」)。 マスコミは連日のように捜査状況を大きく取り上げていましたが、未だに事件は解決せず、警察に対する批判は日増しに強まっていました。 もしも今また誘拐事件の捜査で警察が失敗するなどということになったら、日本の警察の威信は地に落ちてしまう。 埼玉県警も狭山署も、異様な緊張感をもって捜査を開始します。

 5月2日深夜、真犯人は大胆にも脅迫状の指定通りに身代金受け渡し場所である「佐野屋」にあらわれました。 そして被害者の姉Tさんと二言三言言葉を交わしましたが、警察の存在に感づいて身代金(実は身代金に見せかけた新聞紙の束だった) を取らずに逃走しました。  このとき、周到な準備をおこない、40人もの警官で周囲を完全に包囲しておきながら、 なんと埼玉県警は真犯人を取り逃がしてしまうのです。そして、5月4日市内の畑の中にある農道から、被害者Yさんは死体となって発見されます。
 狭山事件で間違いなくは真犯人が残したと言える物証は、事件発生当日被害者宅にとどけられた脅迫状だけです。
「真実・事実・現実 あることないこと」

ほんとをうそにするのはコトバ
うそをほんとにするのもコトバ

ただ一つの真実に至る道は
信じて夢見ることから始めるしかない

うそがほんとのかめんをかぶり
うそのすがおはやみのなか

作詞:谷川俊太郎

事件の取り調べでも裁判でも、 脅迫状を石川さんが書いたかどうかが最大の争点になりました。
脅迫状について(月刊「狭山差別裁判」488号)http://www.bll.gr.jp/sayama/syutyo-488.html
東海大学福江潔也教授の鑑定意見書は、コンピュータによる筆跡の相違度の客観的な計測の結果、 99.9%の識別精度で脅迫状を書いた犯人と石川さんは別人であると考えるのが合理的だと結論づけている。

また元栃木県警鑑識課員の齋藤保鑑定士の指紋鑑定は、指紋検出実験にもとづいて、脅迫状から石川さんの指紋が検出されていないことは 石川さんが脅迫状に触れていないことを示しているということを指摘したものである。
具体的には、石川さんと20代、30代の被験者2人が、自白内容と有罪判決の認定にもとづいて、 脅迫状や封筒を作成し、日付や宛名の訂正、あるいは折るといった行為をおこない、 当時と同じ方法で指紋検出をおこなったところ、石川さんを含む3人のいずれも手指が触れた多数の 痕跡と本人のものと合致が確認できる複数の指紋が検出されている。
この鑑定結果は、脅迫状・封筒から石川さんの指紋が検出されていないことは、 石川さんが脅迫状・封筒に触れていないことを実証的に示しており、 有罪判決のように「指紋は常に検出が可能であるとはいえない」といった一般論ではごまかせない。

私の尊敬する国語学者、学習院大学の大野晋教授の筆跡鑑定 (http://sayama-case.org/5-photo-figure/menacer-lettre.html)は石川一夫さんの小学校6年間の登校日数と成績表を参考資料として 「脅迫状を作成する学力はなかった」と結論づけておられます。
▼石川さんに悪いですが大野先生が使われた参考資料を引用させていただきます。
出/欠日数:1年196/66 2年131/116 3年213/29 4年225/20 5年139/113 6年78/187
すでに1年で66日欠席。5年は113日欠席。6年になると187日も欠席です。5年生、6年生はまともに学校に行かれていないですね。
一方成績は4年、5年、6年の算数(技能、態度、理解)、社会(技能、態度、理解)、国語(作る、書く、読む、話す、聞く) の5段階評価全48項目のうち45項目が最低の1です。石川さんが「脅迫状を作成する学力はなかった」と結論づけられるのも頷けます。

▼狭山事件の争点はたくさんあります。恥ずかしいことですが今回はじめて自分で確かめてみました。 一番大事な「脅迫状」に焦点を絞りました。 上記の鑑定の石川さんの学力、筆跡、指紋実験から考えて「脅迫状」は石川さんの物でないことを確信しました。 私が魔訶不思議なのは、論理的な法律の条文を読み、解釈する訓練を受けてきた裁判官が、どうして検察から出されている「脅迫状」を 石川さんのものだと考え続けるのか、ということです。
ごく初歩的な物の道理をわきまえ、ほんの少しの 理性を働かせれば「脅迫状」は石川さんの物でないことは明白でしょう。裁判官殿、ご自分の良心に恥じないご判断をお願いします。(2019.6.10)



第三期の部落解放運動
大賀さんの論文「第三期の部落解放運動」から。
藤村(1872〜1943)の『破戒』(1906年)から16年後の1922年に水平社宣言。(25頁)
第一期1922年(大正11)全国水平社創設
第二期1955年(昭和30)部落解放同盟成立
第三期1988年(昭和63)反差別国際運動の結成(以上2頁)

「歴史的に大きくふりかえってみれば、いままでは、ある意味では、部落の完全解放にとっての大きな準備段階であったかも知れません。
第一期の糾弾闘争主導の水平社運動は外堀を埋め、
第二期行政闘争主導の部落解放同盟時代は内堀を埋めたとするならば、
第三期においていよいよ 完全解放を射程にいれた運動をする時代なのです。」(56頁)
「部落解放運動も、自分のことと結びつけて全体のことを考えていく必要があると思います。周辺地域の人々の課題と連帯して闘うということを、 我々は「部落の中から部落の外へ」とわかりやすいスローガンで説明しました。その延長線上に、松本治一郎の「世界の水平運動」が 反差別国際運動として展開されているのです。第三期の運動は国際的な情勢と結びつけて展開されなければなりません。」(79〜80頁)
「人権の歴史はまず、
第一段階はフランス革命に始まる自由権の歴史、
第二段階がロシア革命からワイマール憲法にかけての社会権の歴史、
第三段階が今日主張されている「共生の権利」つまり「共に生きる権利」なのです。

男と女、障害者と健常者、自然と人間、そして世界のあらゆる民族が対等平等で あって、お互いに違いを認め合いながら共に切磋琢磨していく。違いによって喧嘩が始まるのではなく、違いを認め合って平和に暮らしていく。 違いがあるから豊かなのだという考えです。

「共生」の思想と「平和」の思想は同じです。それが人権思想の本質なのです。これまでは人権は差別される側の思想であると 認識されやすかったのですが、(中略)ところが現在の時代は、お互いに人間が生きていくために身につけていかなければならない、ひとつの教養 のようなものになってきたのです。もっと突き詰めて言うならば、これは国際的、人類的ルールであると言えます。」(85〜86頁)
(第三期の運動とは)「世界の水平運動の展開と人権黒字日本の実現」(ということです)。(54頁)

▼大賀さんのからだの中では部落の完全解放と共生の思想と国際的・人類的ルールと世界の水平運動と平和とが混然一体となっています。 このような思想、こころのあり様がこれからを生きる人間の普通の教養となってきた、そういうことのようです。わたしの取り組んでいる 「マイノリティー声」もこのような教養のひとつで、この声が日本人の普通の教養になって欲しいという思いです。根本は人権です。(2019.6.16)
▼ずーっと考えてきたのですが「部落解放同盟」の名称を、もっと普遍的な、部落だけの解放でなく、すべての被差別者を包み込むような名称 に例えば「人権の家」のような名称に変更する時期にきているのではないか、と感じています。第三期の運動とはそういうものではないでしょうか。(2020.10.31)
▼昨日(20日)大阪で大賀さんに会いました。4時間喫茶店でお話を伺いました。これからの部落解放運動の進め方についてでした。懐かしい「共産党宣言」から、 社会主義、民主主義、ゴルバチョフさんのペレストロイカ、新思考と多岐にわたりました。
50年まえから存じ上げていましたがゆっくりお話を伺うのははじめてでした。
   2019.12.17朝日新聞朝刊 「人類の歴史から得た教訓は、今の国際社会で現実として残っています。モラルなしに、モラルある世界は打ち立てられないのです。 平和そのものが最上のモラルです。だからこそ平和を維持していかなければなりません。」
   すばらしい!オーチン ハラショ!
     (2020.5.27)
朝日新聞朝刊2020.8.6
信頼できる国際安全保障づくりのために国際協力を新たなレベルに高める必要がある。核兵器の問題は、その中心でなければならない。
砂地に水がしみ込んで行くように何の抵抗もなく私の体に入ってきました。 大賀さんによると「思想の力」だそうです。私も学生時代から唯物論研究会で勉強してきました。 お蔭さまで東京での活動に確信が得られました。(2019.11.21)
▼私なりに昨日のことを整理すると「民主主義は搾取と両立しない」ということです。(2019.11.22)
▼「第2次冷戦の危機」(2019.12.3大賀さんからのメール)
冷戦終結宣言30年です。核軍縮崩壊の危機がせまっています。 「平和なくして人権なし、人権なくして平和なし」の立場から部落解放運動も何らかの行動を起こす べきでないかと思います。
▼私の返信 
私はこれまでの勉強の結果、第3期の部落解放運動 として人類的立場、全国民的立場からの普遍的課題の運動の先頭に立つことによってしか部落差別解消の道はない、 との考えを持つに至っています。 そのような考えから大賀さんの呼びかけは本当に私のこころに響いてきました。 運動のイニシアチブを採ってくださることをお願いいたします。(2019.12.5)


ゴルバチョフさん「21世紀の新思考 」
朝日新聞朝刊2020.9.25
「世界政治」1991.9(844号)

「ペレストロイカ時に確立された新思考の理念は、全人類的価値に従って世界を再編成する構想を提示した」 「21世紀の新思考は、外交に関していえば、それは非軍事化であり、戦争の拒否であり、 グローバルな問題を解決する上での対話である。」 「世界は、グテーレス国連事務総長によるすべての紛争停止の呼びかけと、各国は軍事予算を10〜15%カットすべきだという今年4月の ゴルバチョフ提案に特別な注意を払うべきだろう。」「軍拡と、政策や思考の軍事化こそ現代人にとって最も深刻な脅威である」 「新型兵器の生産に投じられる資金は、何よりも医療や教育、自然保護分野の発展に向けられるべきだろう。」 「新思考の理念は、世界政治の舞台へ復帰しなければならない。」

▼新思考の復活、いいですね。やっと30年前に勉強したことが出番が回ってきました。(2020.9.27)
▼ペレストロイカの一つの画期がソ連共産党新綱領草案でした。1991年7月25日のゴルバチョフ書記長の報告です。ゴルバチョフ書記長は この報告でレーニンの新経済政策(ネップ)時の党の雰囲気を想起しています。「新しい路線の実行を始めるためには、レーニンの絶大な権威 が、彼のエネルギー全体が必要だった」と。まさしくゴルバチョフさんのペレストロイカは第2のネップだったのです。党内での説得 もネップのレーニンそっくりです。レーニン全集の32巻、33巻はネップについてです。(2020.11.17)
▼2020.9.29大賀さんからメールをいただきました。30年前の1991.2.3「新しい思考について」のご自身のレジメの加筆です。 「部落解放運動の刷新と第3期の創造」→「西光万吉の不戦和栄運動を引き継ぎ部落解放運動の刷新と第3期の創造」。大賀さんは1991年から30年経って第3期の運動と新思考に西光万吉さんが結びつけられました。
▼私はゴルバチョフ書記長が1987年7月にフランスのストラスブール(フランスとドイツの国境のまち)で開催された 欧州会議議会で提唱した「欧州共通の家」構想(Common European Home)に当時強く惹かれました。 21世紀の新思考では国連を中心とした「世界共通の家」構想だと思っています。(2020.10.2)
▼昨日「西光万吉と不戦和栄」「漫画で読む西光万吉」を読みました。ゴルバチョフさんの「21世紀の新思考」と同じです。 大賀さんにきっかけを与えていただいて自分で確認できました。後ほど紹介させていただきます。(2020.10.20)
▼左記『ミハイル・ゴルバチョフ』は2020.7.30朝日新聞出版から出版されました。10.29購入してまだ読んでいません。いずれ感想を書きます。(2020.10.31)
▼少し読みはじめました。第1章を読みました。素晴らしいです。
「新思考の理念は、……東側でも西側でも成熟し、 人々の心をつかんでいた。」(23p)
私はもっぱらペレストロイカのソビエトから出てきた思想だと思っていたのですがそうでない、とゴルバチョフさんから言われ新鮮に受け止めました。であるからこそ 西側でもゴルバチョフさんが受け入れられたのだな、と納得しました。(2020.11.6)
ゴルバチョフさんがケネディの1963年6月10日アメリカン大学での演説に大きな感銘を受けた、と引用されています。平和についてです。
「真の平和は、多くの国と人々の努力の結果であり、多くの行動の総決算でなくてはなりません。 それは静的でなく、ダイナミックでなければならないし、それぞれの新しい世代が 直面している問題に応えられるように変化しなければなりません。なぜなら、 平和とはプロセスであり、問題解決の手段だからなのです。……私たちが 相違を乗り越えられなくても、私たちは少なくとも、その多様性を保てるように世界を安全にすることはできます。 突き詰めれば、私たちの最も基本的なつながりは、私たち すべてがこの小さな惑星に住んでいることなのです。」(21〜22p)
朝日夕刊2020.10.30
ケネディのすばらしさをはじめて具体的に知りました。感謝。(2020.11.6)
▼副島英樹さんの訳もいいですね。ゴルバチョフさんの明快な文章がそのまま伝えられている訳だと感じました。 ロシア語のオリジナルが欲しくなりました。(2020.11.7)
▼右の「独ソ戦を考える」は副島さんの記事です。ソ連2700万人、ドイツ800万人の犠牲者の独ソ戦。下斗米さんが読み解くプーチンの歴史観「米英は独ソを激突させ 、全体主義の右と左の共倒れを狙っていたんだと」
朝日朝刊2020.11.16


▼たまたま副島さんの記事が出ました。私も核禁条約で少し行動していますのでこの記事に注目しました。 『ミハイル・ゴルバチョフ』から引用されてる部分もありました。(2020.11.17)

西光万吉さんに飛んでいただいても結構です。(2020.10.24)
大賀さんの「人権黒字日本の実現」の出発点としての「人権赤字日本の実態」を認識しておく必要があります。(2020.6.21)
以下は国連・「人権理事会」UPR(普遍的定期的レビュー)の審査結果文書。
その前にUPRについてOHCHR(Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights国連人権高等弁務官事務所) の解説を掲載しておきます。


What is the Universal Periodic Review?
The Universal Periodic Review (UPR) is a unique process which involves a periodic review of the human rights records of all 193 UN Member States.

How was the UPR established?
The UPR was established when the Human Rights Council was created on 15 March 2006 by the UN General Assembly in resolution 60/251.
On 18 June 2007, one year after its first meeting, members of the new Council agreed to its institution-building package (A/HRC/RES/5/1)

UPR作業部会の日本に関する報告書
1.2007年6月18日の人権理事会決議5/1に基づいて設立された普遍的定期的レビュー(UPR)作業部会は、 2008年5月5日から19日の間に第2回会期を開催した。
日本の審査は2008年5月9日の第10回会合において行われた。
日本代表団の団長は秋元義孝外務省国連担当大使であった。
2008年5月14日に開催された第14回会合において、 作業部会は日本に関する本報告書を採択した。
▼諸外国から見た日本の人権状況を私たち日本人が認識できるように勧告の全文を掲載します。 日本の人権赤字の実態が実感できます。(2020.6.21)
U.結論及び/又は勧告
60.議論において日本に対して以下の勧告が行われた。
(1)
・以下の条約の批准又は批准の検討
 @自由権規約第一選択議定書及び第二選択議定書(アルバニア)
 A拷問等禁止条約選択議定書(イギリス、アルバニア、メキシコ、ブラジル)
 B女子差別撤廃条約選択議定書(ポルトガル、アルバニア、メキシコ、ブラジ ル)
 C移住労働者権利条約(ペルー)
 D障害者権利条約(メキシコ)
 E強制失踪条約(アルバニア)
 F国際的な子の奪取の民事面に関する1980年ハーグ条約(カナダ、オラン ダ)
・個人通報を受領し、検討する人種差別撤廃委員会の権限の認識(メキシコ、 ブラジル)
・自由権規約第二選択議定書への署名(ポルトガル)
(2)
・可及的速やかにパリ原則に沿った人権機構を設立するべきとの要請(特に自 由権規約委員会及び児童の権利条約委員会からの要請)の実施。(アルジェリア)。
・パリ原則に沿った国内人権機構を設立するために必要な法律をまとめること。 (カナダ)
・国内人権機構の設立。(メキシコ)
・パリ原則に沿った国内機構を設立するための努力の継続。(カタール)
(3)
・人権侵害の申立てを調査するための独立した機構の設立。(イラン)
(4)
・人権理事会の特別手続に対する恒常的な招待の表明。(カナダ、ブラジル)
(5)
・第二次世界大戦中の慰安婦問題に関する国連メカニズム(女性に対する暴力 特別報告者、人種差別撤廃委員会及び女子差別撤廃委員会)からの勧告に対す る誠実な対応。(韓国)
(6)
・平等と非差別の原則に適応するべく国内法の改正。(スロベニア)
・あらゆる形態の差別を定義し、禁止する法律の制定の検討。(ブラジル)
・刑法に差別の定義を導入することの検討。(グアテマラ)
・人種差別、差別及び外国人嫌悪に対する国内法の早急な導入。(イラン)
(7)
・女性を差別する全ての法律上の規定の廃止。(ポルトガル)
・女性の差別に対する施策の継続、特に女性の婚姻最低年齢を男性と同じ18 歳への引き上げ。(フランス)
(8)
・マイノリティに属する女性が直面している問題への取り組み。(ドイツ)
(9)
・在日韓国・朝鮮人に対するあらゆる形態の差別を撤廃するための措置。(北朝 鮮)
(10)
・日本における歴史の歪曲が継続していることは、過去の侵害行為に取り組む ことへの拒否と再発の危険性を示すものであると懸念を表明し、現代的形態の 人種差別に関する特別報告者も要求しているように、このような状況に取り組 むための措置を直ちに講じること。(北朝鮮)
(11)
・性的指向及び性同一性に基づく差別を撤廃するための措置。(カナダ)
(12)
・死刑執行停止と死刑廃止を目的とした死刑執行の早急な見直し。(イギリス)
・国連総会で採択された決議に従って、死刑廃止を目的として死刑を執行せず、 死刑の執行停止を再度適用すること。(ルクセンブルグ)
・死刑廃止を目的とした死刑執行停止の導入。(ポルトガル)
・死刑執行停止の正式な導入を優先事項として検討。(アルバニア)
・死刑執行停止の導入の再検討。(メキシコ)
・死刑執行停止あるいは死刑を廃止している多くの国々に加わること。(スイス)
・死刑に直面する者の権利の保障に関する国際基準の尊重、死刑執行の漸進的 制限、死刑が課される犯罪数の減少、死刑廃止を目的とした死刑執行停止の導 入。(イタリア)
・凶悪犯罪の刑罰に仮釈放のない終身刑を追加する可能性及び死刑の廃止の検 討。(オランダ)
・日本における死刑廃止に関する他国のこれまでの発言の支持。(トルコ)
(13)
・警察の留置施設にいる被留置者の取調べの組織的な監視・記録、及び刑事訴 訟法の、拷問等禁止条約第15条及び自由権規約第14条3項との適合性の確 保、全ての関連する資料にアクセスできる被告人の権利の保障。(アルジェリア)
・警察と司法機関が被疑者に自白させるために過度の圧力を加えることを避け るために、
 @強制された自白の危険性に対する警察の関心をひくように、一層 組織的かつ集中的な取り組み、
 A取調べを監視する手続の見直し、
 B長期にわたる「代用監獄」の使用についての再検証、
 C拷問等禁止条約第15条に適合 することを確保すべく刑事法の見直し。(ベルギー)
・被拘禁者の拘禁に際して手続保障を強化するメカニズムの構築。(カナダ)
・留置手続が人権法の義務に調和することを確保するため、いわゆる「代用監 獄」制度の再検討、及び留置施設の外部による監視に関する拷問禁止委員会の 勧告の実施。(イギリス)
(14)
・女性及び児童に対する暴力の影響を減らすための施策の継続。特に法執行機 関職員が人権研修を受けることの確保及び暴力被害者が回復・相談するための 施設への資金の供給をすること。(カナダ)
(15)
・特に女性と児童に対する人身取引に対処するための努力の継続。(カナダ)
2020.6.27朝日新聞朝刊
▼恥ずかしい内容。技能実習制度・児童買春に対し日本政府の取り組みが不十分、との米国務省の報告書。

(16)
・常居所から不正に連れさられたり、又は戻ることを妨げられている子供の早 期帰還を確保するためのメカニズムの構築。(カナダ)
(17)
・あらゆる形態の児童への体罰の明示的な禁止、積極的かつ非暴力な形態のし つけの促進。(イタリア)
(18)
・北朝鮮を含む他国・地域で犯した慰安婦及び過去の暴力にきっぱりと取り組 むための具体的な措置。(北朝鮮)
(19)
・特にアイヌの人々の土地及びその他の権利の再検討と、それらの権利と「先 住民族の権利に関する国際連合宣言」との調和。(アルジェリア)
・「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を履行するために、先住民族と対話 を開始する方法の模索。(グアテマラ)
(20)
・庇護決定を再検討するための手続を拷問等禁止条約及びその他の関連する人 権条約と調和させること、及び必要とする移住者への国による法的援助の提供。 (アルジェリア)
(21)
・入国者収容所を調査する国際的な監視員の受け入れ。(アメリカ)
(22)
・庇護申請を再検討するための独立機関の設立。(スロバキア)
(23)
・不法な状況にあると疑われる移住者を省庁のウェブサイトに匿名で通報する ことを一般市民に求めるために設立された制度の廃止。(グアテマラ)
(24)
・社会的、経済的な発展が必要な国々に対する財政的援助の提供の継続、及び ミレニアム開発目標8に規定されている発展の権利の実現に向けた国際努力に 対する支援の拡大。(バングラデシュ)
(25)
・インターネット上の人権侵害における人権の保護に関する日本の経験の他の 国との共有。(ポーランド)
(26)
・UPRプロセスのフォローアップにおいて、国レベルでの市民社会の十分な 関与。(イギリス)
・審査をフォローアップする過程における、ジェンダーの視点の組織的かつ継 続的な組み入れ。(スロベニア)
61.これらの勧告に対する日本の回答は、第8回人権理事会で採択される結 果文書に含まれる予定である。
62.本報告書に含まれる全ての結論及び/又は勧告は、勧告を行った国及び 被審査国の立場を反映したものである。作業部会全体によって承認されたもの であると解釈されてはならない。

▼上記勧告の理解を深めるために勉強しながら必要な情報を集めます。(2020.6.21)

Wikipedia: 議定書(英: protocol)は、国家間で結ばれる国際法上の成文法(広義の条約)に対して付けられる名称のひとつで 既存の条約と密接な関係を有し、その条約を補完する性格の条約に用いられることが多い。

自由権規約第一選択議定書(ミネソタ大学人権図書館)
市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書 (自由権規約第一選択議定書)(抄),
この議定書の締約国は、 市民的的及び政治的権利に関する規約(以下「規約」という。)の目的を達成し及び規約の規定を実施するためには、 規約第四部の規定に基づいて設置される人権委員会(以下「委員会」という。)が、 規約に規定するいずれかの権利の侵害の犠牲者であると主張する個人からの通報 をこの議定書に定めるところによつて受理しかつ検討し得るようにすることが適当であると考えて、次のとおり協定した
第1条
この議定書の締約国となる規約の締約国は、規約に規定するいずれかの権利の 当該締約国による侵害の犠牲者であると主張する当該締約国の管轄の下にある個人からの通報を委員会が 受理しかつ検討する権限を有することを認める。

▼個人からの通報を認める議定書です。(2020.6.22)

自由権規約第二選択議定書(ミネソタ大学人権図書館)
死刑の廃止をめざす、市民的及び政治的権 利に関する国際規約の第二選択議定書  (自由権規約第二選択議定書)(抄),G.A. res. 44/128, annex, 44 U.N. GAOR Supp. (No. 49) at 207, U.N. Doc. A/44/49 (1989), 効力発生 一九九一年七月一一日
この議定書の締約国は、
死刑の廃止が人間の尊厳の向上 (enhancement of human dignity) と 人権の漸進 的発展 (progressive development; [仏] developpement progressif) に寄与す ることを信じ、
一九四八年一二月一〇日に採択された世界人権宣言の第三条及び一九六六年一二月一六日に採択された 「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第六条を想 起し、
「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第六条が、死刑の廃止が望ましい ことを強く示唆 する文言をもって死刑の廃止に言及していることに留意し、 死刑の廃止のあ らゆる措置が生命に対する権利 (right to life; [仏] droit a la vie) の享受における前進 (progress; [仏] progres) と考えられるべきであることを確信し、
このようにして死刑を廃止するという国際的な公約(commitment; [仏] engage- ment)を企図することを願って、次のとおり協定した。
第一条
1 何人も、この選択議定書の締約国の管轄内にある者は、死刑を執行されない
2 各締約国は、その管内において死刑を廃止するためのあらゆる必要な措置を とらなければならない。
▼死刑廃止の議定書です。

拷問等禁止条約選択議定書(ミネソタ大学人権図書館)
http://hrlibrary.umn.edu/japanese/Joptprotort.html
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い 又は刑罰に関する条約の選択議定書(拷問等禁止条約選択議定書)
採択 二〇〇二年一二月一八日 国際連合総会五七回会期決議五七/一九九附属書
この議定書の締約国は、
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰が、禁止され、及び、人権の重大な侵害を構成することを再確認し、
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「条約」という。)の目的を達成し、 並びに、自由を奪われている者の拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰からの保護を強化するためには、 一層の措置が必要であると確信し、
条約の第二条及び第一六条が、各国にその管轄の下のあるいかなる領域においても拷問及び他の残虐な、 非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰にあたる行為を防止するための効果的な措置をとるように義務づけていることを想起し、
国はそれらの条文を実施する主要な責任を負っていること、自由を奪われている人々の保護と彼らの人権の完全な尊重を強化することは すべてのものが分担する共通の責任であること、並びに、国際実施機関は国内措置を補充し及び強化することを認め、
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰の効果的な防止のためには教育並びに立法的、行政的、 司法的その他の措置の結合が必要であることを想起し、
また、世界人権会議が、拷問を除去する努力はまず何よりも防止に努力を集中すべきであると宣言し、 並びに、拘禁場所への定期的訪問という防止制度の設立を目的とする条約の選択議定書の採択を要請したことを想起し、
自由を奪われている者の拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰からの保護は、 拘禁場所に対する定期的訪問に基づいた予防的性格の非司法的によって強化できることを確信して、
次のとおり、協定した。
第一部 一般原則
第一条 議定書の目的
この議定書の目的は、拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰を防止するために、 人々が自由を奪われている場所への独立の国際的及び国内的団体による定期的な訪問の制度を設立することである。
▼「国際的及び国内的団体による定期的な訪問の制度」が実現されれば人権がかなり守られることになるとおもう。 (2020.6.22)

女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約選択議定書 https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/1269/
この議定書の締約国は、 国連憲章が基本的人権、人間の尊厳と価値及び男女の同権に対する信念を再確認していることに留意し、
また、世界人権宣言が、すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、 尊厳及び権利について平等であること、並びに、何人も、性別に基づく差別を含むいかなる差別をも受けることなく、 その中に掲げられたあらゆる権利と自由を享有することができることを宣明していることにも留意し、
国際人権規約及びその他の国際人権基本文書が、性別による差別を禁止していることを想起し、
また、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(「条約」とする)において、その締約国が、 女性に対するあらゆる形態の差別を非難するとともに、すべての適切な手段により、 女性に対する差別を撤廃する政策を遅滞なく追及する旨合意していることも想起し、
女性によるあらゆる人権と基本的自由の完全かつ平等な享受を確保し、 これらの権利と自由の侵害を防止するために効果的な行動をとる決意を再確認し、
以下のとおり合意した。
第1条
この議定書の締約国(「締約国」)は、第2条に基づき提出された通報を、 女子差別撤廃委員会(「委員会」)が受理し及び審議する権限を有することを認める。
第2条
通報は、締約国の管轄下にある個人又は集団であって、条約に定めるいずれかの権利が侵害されたと主張するものにより、 又はそれに代って提出することができる。個人又は集団に代わって通報を提出する場合は、 当該個人又は集団の同意を得て行うものとする。ただし、 かかる同意がなくとも申立人が当該個人又は集団に代わって行動することを正当化できる場合は、この限りでない。
▼この議定書も通報制度。日本政府が通報制度を嫌がる理由は何か。(2020.6.22)

「移住労働者」:国連広報センター https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/discrimination/migrants/
移住労働者、難民、亡命希望者、永住移民、その他など、およそ2億4400万人以上の人々が、 出生国もしくは市民権を有する国とは異なる国で生活し、働いている。その多くは移住労働者である。
「移住労働者」とは、「すべての移住労働者とその家族の権利の保護に関する国際条約 (International Convention on the Protection of the Rights of All Migrant Workers and Members of Their Families)」 の第2条で「国籍を有しない国で、有給の活動に従事する予定であるか、またはこれに従事している者」として定義づけられている。 条約は、越境労働者、季節労働者、海員、海上施設労働者、巡回労働者、特定事業労働者、自営就業者など、 特別の形態の移住労働者とその家族に適用される権利を定義づけている。
すべての移住労働者とその家族の権利保護に関する条約
http://hrlibrary.umn.edu/japanese/Jintl-convention.htmlミネソタ大学人権図書館

第45条 
1 移住労働者の家族は、以下のものの利用、参加について、就業国の国民と平等に処遇されるものとする。
(a)教育施設及び教育事業。これは当該施設及び事業の入学要件及びその他の規則に従うことを条件とする
(b)職業指導並びに職業訓練施設及び制度。これは参加資格に適合することを条件とする
(c)社会、保健事業。これは当該事業の参加資格に適合することを条件とする
(d)文化活動事業
2 就業国は適切な場合は出身国と協力して、移住労働者の子どもが地域の学校に入学し、とくに地域の言語を学ぶことを容易にする政策を遂行することとする。
3 就業国は、移住労働者の子どもに対する母語及び出身国の文化の教育を促進するよう努力し、出身国は適切な場合いつでもこれに協力するものとする。
4 就業国は、必要なときは出身国の協力を得て、移住労働者の子ども向けに、母語による特別教育過程を設けることができる。
第54条 
1 在留と就業許可の規定するところ及びこの条約の25条、27条で定める権利を損なうことなく、移住労働者は、以下の点で就業国の国民と平等に処遇されるものとする。
(a)解雇からの保護
(b)雇用保険
(c)失業対策事業への参加
(d)この条約の52条の範囲内で、失業ないし就業終了の際の転職 2 労働契約の条項が雇用者によって侵害されていると移住労働者が苦情をいだく場合には、 この条約の18条1項の規定するところにより、就業国の権限ある当局に申し立てることができる。

▼日本国内の外国人労働者と家族に45条、54条の内容がどこまで行政、 企業に浸透しているか?(2020.6.22)

国内機構の地位に関する原則(パリ原則)
http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi_010525_refer05.html
           権 限 及 び 責 務
1  国内機構には,人権を促進し,擁護する権限が付与されるものとする。
2  国内機構には,できるだけ広範な任務が与えられるものとし,その任務は,機構の構成及び権限の範囲を定める憲法又は法律に明確に規定されるものとする。
3  国内機構は,特に,次の責務を有するものとする。
(a)  政府,議会及び権限を有する他のすべての機関に対し,人権の促進及び擁護に関するすべての事項について,関係当局の要請に応じ,又は,上位機関に照会せずに問題を審理する権限の行使を通じて,助言を与えるという立場から,意見,勧告,提案及び報告を提出すること。国内機構は,これらの公表を決定することができる。これらの意見,勧告,提案及び報告は,国内機構のあらゆる特権と同様に,以下の分野に関連するものとする。
(i)  人権擁護の維持及び拡張を目的とするすべての法規定又は行政規定並びに司法機関に関する規定。この関係で,国内機構は,法案や提案と同様に,現行の法律や行政規定を審査し,これらの規定を人権の基本原則に確実に適合させるために適当と考える勧告を行うものとする。必要な場合には,国内機構は,新しい法律の採択,現行の法律の改正及び行政施策の採用又は修正を勧告するものとする。
(ii)  自ら取り上げることを決めたあらゆる人権侵害の情況。
(iii)  人権一般に係る国内の情況及びより具体的な問題に関する報告書の作成。
(iv)  国内で人権が侵害されている地域の情況について政府の注意を促し, そのような情況を終結させるためにイニシアティヴをとるよう要請し,必要な場合には政府の立場や対応について意見を表明すること。
(b)  当該国家が締約国となっている国際人権条約と国内の法律,規則及び実務との調和並びに条約の効果的な実施を促進し確保すること。
(c)  上述の条約の批准又は承認を促し,その実施を確保すること。
(d)  国が条約上の義務に従って,国連の機関や委員会,又は地域機構に提出を求められている報告書に貢献すること。必要な場合には,機構の独立性にしかるべき注意を払いながらもその問題について意見を表明すること。
(e)  国連及び他の国連機構の組織並びに人権の促進及び擁護の分野において権限を有する地域機構及び他国の国内機構と協力すること。
(f)  人権の教育や研究のためのプログラムの策定を援助し,学校,大学及び職業集団におけるそれらの実施に参加すること。
(g)  特に情報提供と教育を通じ,そしてすべての報道機関を活用することによって,国民の認識を高め,人権とあらゆる形態の差別,特に人種差別と闘う努力とを宣伝すること。
(注)国連人権委員会決議1992年3月3日1992/54附属文書(経済社会理事会公式記録1992年補足No.2(E/1992/22)第U部第A節),総会決議1993年12月20日48/134附属文書

▼パリ原則の国内機構の権限は凄いです。どれだけの国がこの原則を受け入れた国内機構を設置しているか知りたい。(2020.6.22)

パリ原則に準じた国内人権機関設置に関する勧告・要請等 http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken03_00153.html

法務省人権擁護局 が下記のような内容のHPを作っています。国内人権機構の設立をかなり意識していることは事実だとおもいます。政治決断の一歩 手前まで行っているとの印象を持ちました。(2020.6.23)
法務省人権擁護局
我が国は,国際社会の場において,政府から独立した国内人権機構の設立について指摘を受けています。 これまでに,我が国が受けた勧告・要請等は以下のとおりです。

国連人権理事会 ○ 普遍的定期的審査(UPR)結果文書(2008(H20))(仮訳)
  「議論において日本に対して以下の勧告が行われた。」
 「・可及的速やかにパリ原則に沿った人権機構を設立するべきとの要請(特に自由権規約委員会及び児童の権利条約委員会からの要請)の実施。 (アルジェリア)。   ・パリ原則に沿った国内人権機構を設立するために必要な法律をまとめること。(カナダ)   ・国内人権機構の設立。(メキシコ)   ・パリ原則に沿った国内機構を設立するための努力の継続。(カタール)」
 「・人権侵害の申立てを調査するための独立した機構の設立。(イラン)」
※ 結果文書全文[PDF](外務省ホームページ)

社会権規約 (A規約) ○ 「経済的,社会的及び文化的権利に関する委員会の最終見解」(2001(H13))(仮訳)
  「締約国が国内人権機構を設立する意図を示していることを歓迎すると同時に, 1991年のパリ原則と委員会の一般的な性格を有する意見10に従ってできる限り早く設立することを要求する。」
▼「締約国が国内人権機構を設立する意図を示している」とこの時点では人権機構を設立の方向だったようです。(2020.6.23)
※ 最終見解全文(外務省ホームページ)

自由権規約 (B規約) ○ 「B規約人権委員会の最終見解」(1998(H10))(仮訳)
  「締約国に対し,人権侵害の申立てに対する調査のための独立した仕組みを設立することを強く勧告する。」
  「さらにとりわけ,委員会は,調査及び救済のため警察及び出入国管理当局による不適正な処遇に対する申立てを行うことができる独立した当局が存在しないことに懸念を有する。委員会はそのような独立した機関又は当局が締約国により遅滞なく設置されることを勧告する。」
※ 最終見解全文(第4回審査)(外務省ホームページ)

○ 「自由権規約委員会の最終見解」(2008(H20))(仮訳)
  「締約国が未だ独立した国内人権機構を設立していないことに懸念をもって留意する。」   「締約国は,パリ原則(国連総会決議48/134,付属書)に適合し,締約国が受諾した全ての国際人権基準をカバーする幅広い権限を有し,かつ,公的機関による人権侵害の申立を検討し対処する能力を有する独立した国内人権機構を政府の外に設立すべきであり,機構に対して適切な財政的及び人的資源を割り当てるべきである。」
※ 最終見解全文(第5回審査)[PDF](外務省ホームページ)

人種差別撤廃条約 ○ 「人種差別の撤廃に関する委員会の最終見解」(2001(H13))(仮訳)
 「締約国に対し,人種差別の処罰化と,権限のある国の裁判所及び他の国家機関による,人種差別的行為からの効果的な保護と救済へのアクセスを確保すべく,本条約の規定を国内法秩序において完全に実施することを考慮するよう勧告する。」
※ 最終見解全文(第1・2回)(外務省ホームページ)

○ 「人種差別撤廃委員会の最終見解」(2010(H22))(仮訳)
 「締約国に対し人権救済法案を起草及び採択し,法的申立てメカニズムを早急に設立することを慫慂する。また,パリ原則に沿った,十分な資金及び適切な人員を有する独立した人権機構を設置し,その機関が幅広い人権に関する権限と現代的形式の差別に取り組むための特別な権限を有するよう要請する。」
※ 最終見解全文(第3・4・5・6回)[PDF](外務省ホームページ)

拷問等禁止条約 ○ 「拷問禁止委員会の結論及び勧告」(2007(H19))(仮訳)
  「締約国は,留置施設又は刑事施設において公判前勾留にある者及び刑事施設内の被収容者から報告された拷問及び不当な取扱いに当たる行為に関するすべての申立て及び不服申立てを,迅速,中立的,かつ効果的に調査する権限を有する独立機関を設置することを検討すべきである。」 
※ 最終見解全文[PDF](外務省ホームページ)

女子差別撤廃条約 ○ 「女子差別撤廃委員会第29回会期報告」(2003(H15))(仮訳)
  「人権擁護法案で提案されている人権委員会が,独立機関として,女性の人権に適切に対処することが確保されるよう,国内人権機構の地位に関する原則(国連総会決議1993年12月20日48/134附属文書,いわゆる「パリ原則」)に基づいて設置されることを勧告する。」
※ 最終見解全文(第5回審査)[PDF](外務省ホームページ)

○ 「女子差別撤廃委員会の最終見解」(2009(H21))(仮訳)
  「前回の最終見解における勧告にもかかわらず,また他の条約体からも強調されているとおり,「国内人権機構の地位に関する原則」(国連総会決議48/134附属文書を参照のこと)に従った,女性の人権の保護及び促進を含む幅広い権限を有する独立した国内人権機構がいまだに設立されていないことは遺憾である。」
※ 最終見解全文(第6回審査)[PDF](外務省ホームページ)

児童の権利条約 ○ 「児童の権利に関する委員会の最終見解」(1998(H10))(仮訳)
  「委員会は,締約国が,現在の「子どもの人権専門委員」制度を改良し拡大することにより,あるいは,オンブズパーソン又は児童の権利委員を創設することにより,独立の監視メカニズムを確立するため,必要な措置をとることを勧告する。」
※ 最終見解全文(第1回)(外務省ホームページ)

○ 「児童の権利委員会の最終見解」(2004(H16))(仮訳)
  「締約国が,(a)人権の保護及び促進のための国内機構の地位に関する原則(パリ原則,総会決議48/134,別添)に従い,予定されている人権委員会が独立かつ効果的な機関を確保するよう,人権擁護法案を再検証すること,(b)人権委員会が,条約の実施を監視し,児童からの申し立てに対して,児童の立場にたって,迅速な手法で対応し,また,条約に基づく児童の権利の侵害に対する救済方法を提供するための明確な権限を付与されるよう,確保すること,(c)都道府県における地方オンブズマンの設立を促進し,それらオンブズマンと人権委員会と調整するための制度を設立すること,(d)人権委員会と地方レベルのオンブズマンに適切な人材と財源を供給し,児童が利用しやすいものとするよう確保すること,を勧告する。」
※ 最終見解全文(第2回)[PDF](外務省ホームページ)

○ 「児童の権利委員会の最終見解」(2010(H22))(仮訳)
  「委員会は,締約国に以下を勧告する:  (a)人権擁護法案の可決及び国内機構の地位に関する原則(パリ原則)に従った国内人権委員会の創設を促進し,また,国内人権委員会に対し, 条約の実施を監視し,申立てを受理・フォローアップし,かつ,児童の権利の組織的な侵害を調査する権限を与えること,  (b)次回の報告において,国内人権委員会及びオンブズパーソンに割り当てられた権限,機能,及び資源についての情報を提供すること,  (c)独立した人権機関の役割についての委員会の一般的意見No.2(2002年)を考慮すること。」
※ 最終見解全文(第3回)[PDF](外務省ホームページ)

▼勧告をまとめます。
「B(自由権)規約人権委員会の最終見解」1998(H10)
「児童の権利委員会の最終見解」1998(H10)
「人種差別撤廃委員会の最終見解」2001(H13)
「A(社会権)規約人権委員会の最終見解」2001(H13)
「女子差別撤廃委員会第29回会期報告」2003(H15)
「児童の権利委員会の最終見解」2004(H16)
「拷問禁止委員会の結論及び勧告」2007(H19)
「B(自由権)規約人権委員会の最終見解」2008(H20)
普遍的定期的審査(UPR)結果文書 2008(H20)
「女子差別撤廃委員会の最終見解」2009(H21)
「児童の権利委員会の最終見解」2010(H22)
「人種差別撤廃委員会の最終見解」2010(H22)
▼2001年の「経済的,社会的及び文化的権利に関する委員会の最終見解」は印象的です。 「締約国が国内人権機構を設立する意図を示していることを歓迎する」とまで勧告は言っています。(2020.6.23)

パリ原則に則った国内人権機関の設置を求める要請書
2011年7月29日   江田 五月 法務大臣あてに

次の団体:
国内人権機関と選択議定書の実現を求める共同行動
反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)
「婚外子」差別に謝罪と賠償を求める裁判を支援する会
在日韓国人問題研究所
外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会
外国人人権法連絡会
特定非営利活動法人 コミュニティサポート研究所
全国「精神病」者集団

並びに賛同団体:
1. NPO法人監獄人権センター
2. コリアNGOセンター
3. 「キリスト者・九条の会」北九州
4. 曽根九条の会
5. イラク判決を活かす会
6. 福岡スピーチ・クリニック
7. 市民外交センター
8. 仏教徒非戦の会・福岡
9. 樹花舎
10. (財)神戸学生青年センター 11. NPO法人在日外国人教育生活相談センター・信愛塾
12. 日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センター
13. 市民活動グループ ええじゃん(Asian)
14. すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク(RINK)
15. 石原都知事の女性差別発言を許さず、公人の性差別をなくす会
16. 日本基督教団西中国教区社会部
17. カラバオの会
18. 国賠ネットワーク
19. NGOすぺーすアライズ
20. 日本基督教団 宇部緑橋教会
21. 社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
22. 東京精神医療人権センター
23. 在日朝鮮人・人権セミナー
24. 全国聴覚障害者連絡会議
25. アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
26. フィリピン人元「従軍慰安婦」を支援する会
27. 障害年金の国籍条項を撤廃させる会(兵庫)
28. 特定非営利活動法人 ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY(A.P.F.S.)
29. 難民・移住労働者問題キリスト教連絡会(難キ連)
30. 日本キリスト教婦人矯風会平和部門
31. アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会
32. 東南アジアの子供達を支援する会
33. 外国人登録法問題と取り組む広島キリスト者連絡協議会
34. 在日大韓基督教会社会委員会
35. かながわみんとうれん
36. 千葉県高等学校教職員組合 男女平等教育推進委員会
37. 全国キリスト教学校人権教育研究協議会
38. アジア女性資料センター
39. 外登法の抜本的改正を求める神奈川キリスト者連絡会(神奈川外キ連)
40. カトリック難民移住移動者委員会
41. 人身売買禁止ネットワーク(JNATIP)
42. 性と人権ネットワークESTO
43. 特別配偶者(パートナシップ)法全国ネットワーク
44. NGO神戸外国人救援ネット
45. 特定非営利活動法人動くゲイとレズビアンの会(NPO法人アカー)
46. 障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)
47. ゲイジャパンニュース(東京)
48. 岩手レインボー・ネットワーク(岩手)
49. DPI女性障害者ネットワーク
50. 男女平等をすすめる教育全国ネットワーク
51. 差別・排外主義に反対する連絡会
52. 共生社会を作るセクシュアル マイノリティ支援全国ネットワーク(共生ネット)
53. APFS労働組合
54. AIPR(琉球弧の先住民族会)
55. 移住労働者と連帯する全国ネットワーク
が国内人権機関の設置の要望書を提出しています。
▼この機関の設置の必要性が実感できます。これだけ多方面の市民が苦しんでいるということだとおもいます。 (2020.6.24)

「外国人の長期収容に終止符を!」要請書(アムネスティ・インターナショナル日本)


▼以下の資料は大賀さんから直接メールでいただきました。 西光さんを知るのに大事ですから大賀さんの了解を得て掲載させていただきました。(2020.3.12)

西光万吉先生の想い出・西光万吉邸一周年を記念して」      17.03.19.大賀正行

西光万吉 画学生の頃
水平社博物館図録69頁

1895(明治28)年4/17奈良県南葛城掖上村柏原北方・西光寺で生れる。
1970(昭和45)年3/20和歌山市日赤病院にて死亡(胃がん 享年満74歳11か月)
   3/22自宅にて葬儀。 3/29郷里西光寺にて告別式。 4/16県奈良文化会館
   にて同盟葬。

A.西光万吉先生と日之出部落との密接なつながり
@日出部落の菩提寺「正徳寺」の住職奥田成範は西光万吉と従兄弟
A奥田成範は奈良県のお寺から「正徳寺」へ婿養子で日之出部落に来る
B奥田成範の妻は「正徳寺」の娘千恵子。子どもがなかったので養女―恵(1908生まれ)を迎える。 一恵は義父成範と西光さんのことを身近に見ていた。
C一恵の証言
「西光さんは、よく正徳寺に出入りをし、必ず尾行の巡査がつていました。。 成範師は西光さんを訪ねて、刑務所に本の差し入れをしていました。仮釈放で出てからも 本を書くと言ってよくスケッチに行っていました。絵がとっても上手だったことと子どもが好きで、 私の子ども奥田成美(1927年生まれ)を可愛いがってくれました。」
D奥田成美は学生の頃住職となり、私らは小学生のころ日曜学校でお経など習いました。
E裏話〜岸キヌエ(故日之出支部女性部長)等日之出住民の西光万吉評。

B.西光万吉先生との出会い
1956年は私が大阪市立大学入学の年であり、参議院選挙(7/8)の年でした。また同和事業で小さな公民館(集会所)ができた年でした。 ここへ松本治一郎候補(部落解放同盟中央執行委員長)の選挙応援演説会に西光万吉が来られました。水平社創立者との紹介でしたが、 水平社宣言のことも部落解放運動の話もせず、もっぱら「ある日の国連総会」でといった話で、不戦日本の「国際和栄策」、 「自衛隊を和栄隊に改めよう」といった持論を展開されました。併せて宇宙論や科学・技術の進歩などのスケ−ルの大きな話でした。 前年の1955年は米ソ冷戦が深刻化し、保守合同による自由民主党と、左右社会党が統一して保守・革新のいわゆる55年体制がはじまり、 憲法改正論議と原水爆禁止の反戦運動が高揚していく年でした。また部落解放全国委員会が部落解放同盟となった年でもありました。

西光さんの「国際和栄策」は時代を反映したものでしたが、当時の私らはなにを夢みたいなことを言ってるのか、 「宇宙人」か仙人のように見えた。しかし不戦平和の憲法を裏切る「自衛隊」に代わる新興諸国の開発に寄与し、 国際親和、世界平和の実現への「和栄政策」の提唱はー民族やー階級の狭い立場からのものではなく 人類の永遠の平和と幸福を希求する先進的な思想でした。

阪本清一郎氏は語る。「西光君が病床にあっても、この和栄政策は水平運動の発展であるから、 これが実現のために協力してもらいたいと語りつづけて、この世を去った。」と。

C.西光万吉先生の略暦から〜いかなる思想の持主であり人物かを考える
僧侶になることを嫌い、画工を志し東京太平洋画会研究所にて洋画を、日本美術院で日本画を習う。 やがて絵画はおろそかになり読書が主となり、「歎異鈔」から共産党宣言にいたる種々なる書物を濫読。

賀川豊彦の影響を受け消費組合活動するなかで
1920(大正9)年10月、堺利彦、山川均らの社会主義同盟に阪本清一郎等と加盟する。
1921(大正10)年7月、早大教授佐野学「特殊部落解放論」発表。面会し意見を聞く。
   10月、水平社創立趣意書「よき日の為に」作成。全国の同志に送付。その後京都のガス会社の職工
   をしながら水平社宣言の原文を執筆。
1922(大正11)年3月3日、京都市岡崎公会堂にて全国水平社創立大会開催。
1923(大正12)年春頃、日本農民組合運動に参加。また瓦工、桐工などの労働組合活動
1926(大正15)年、無産政党「農民労働党」の創立委員、後の「労働農民党」中央委員に。
1927年秋、共産党員となる。但し純粋なマルクス主義としてではなく反権力と幹部不満で。
1928(昭和3)年2月、普選第1回選挙に同党公認候補で出馬。次点で惜敗
   3月15日治安維持法違反で全国の共産党員弾圧(3・15事件)で懲役5年の刑罰獄中にて妄想と思
   索→いわゆる転向。「村落共産体社会としての高次的高天原論」の提唱。
1933(昭和8)年2月11日、共産党を離れることを言明して仮出獄。阪本清一郎のすすめで小林美登利
   と結婚(5年間後34歳で死亡)。2年後美登利の妹、美寿子と再婚。出獄後2度奈良県から立候
   補して落選。右からは赤であり、左からはフアッショ、部落民であることの3点で支持をえられな
   かった。→やがて水平運動から遠ざかり。「日本国家社会党」に入りつづいて「皇国農民同盟」に
   入る。「当時の英国は、私にとっては世界最大の搾圧者であり、アジア侵略者であった。アジア諸
   民族の解放と祖国日本の維新浄化のために戦争に協力した。」(追悼集113ペ-ジ)その反省から
   1945年9月自殺未遂し病臥
1951(昭和26)年、「国際和栄策」を提唱し、自費で資料を多数配布と講演。

西光さんの後輩である楠本正三氏は追悼文で
西光さんは詩人であり、絵を画き、童謡、劇作、童話を書く、情熱的理想家である。 人よんで「日本のガンジ−」というが私にとっては良寛さんの生まれかわりのような人であったと書いている。 清貧な生活、高潔な人格

遺稿集「水平社が生まれるまで」より
水平運動を起こす前から、私たちはのんきな「社会主義者」であった。 そして今もそうであるが、当時の私たちは、のんきなもので、アナでもボルでも、その他でも、さほど気にしていなかった。 水平社という名は、阪本さんが発案したもので、中世英国の有名な農民一揆の名を連想するので。 私たちも異議なしであった。荊冠旗は私の発案で黒地に赤い荊の冠…旗竿は かならず生々しい青竹の竹槍〜この当時の私たちの陰惨な受難殉教の気持ちをそのまま表現している。 水平社宣言は京都島原の「すみや」の屋上の物干し台で書いた(大賀も直に聞く)。

▼左 和歌山の西光万吉顕彰会から頂きました。2020.10.19読みました。感動! 勉強になりました。西光さんはまさしく今日的です。 大賀さんが熱を込められるのも当然です。 私の感想を記しておきます。まず「不戦和栄」とは。 「不戦日本の自衛について」という歴史的文書があります。7頁足らずの簡潔な素描です。しかし日本の 進路を構想するのに十分です。1951年10月15日発表されています。70年前です。私のこころをとらえた文章をひろいます。
並行して1948年に出版された文部省著作教科書『民主主義』を読んでいます。西光さんの「不戦和栄」と重なります。(2020.10.22)
 米国も日本に軍備を許すといふ ソ連も日本に軍備を許すといふ 不戦日本と不戦条約を結ばうとは云わぬ
  講和会議は不戦日本に剣を授け 世界の良心は、その日本に面を反向ける 
 今の世界の権力者たちは平和の代償を何時まで「戦争」で支払うつもりであらう 平和の代償は平和的に支払
 うがよい
 不戦国家は法治世界を求め、世界連邦を望む   不戦日本に再軍備をさせるより憲法の理想を貫かすべきで
 はないか
 労資協調的な産業形態を超えてより高い、労資一如的な産業形態へなるべく早く移らねばならぬ
 和栄職場の全産業的組織こそ不戦日本の国内平和の基礎である
 不戦国家の私たちは自衛軍に代わる祖国と世界の平和の為の奉仕隊をつくりたい
 全産業の和栄化も奉仕隊の活動も「平和省」の仕事である
 不戦日本の行動が不戦世界の実現につながれば光栄である
▼次に「漫画で読む西光万吉」からです。
最初の絵は「どこに行っても絡みつくような闇がどこまでも追いかけてくる」

▼まったく藤村の「丑松」そのものの苦しみ。
次の絵は 「暗闇に射し込まれた一筋の光明のようだった」という雑誌『解放』に掲載された佐野学(1892〜1953)の 「特殊部落解放論」、1921(大正10)年7月号でした。
右上は西光さんが手にしておられるその雑誌です。
▼そして翌1922年3月に水平社創立。半年後です。この行動力は驚異です。余談ですが、西光さんは「ひかり」に特別な感覚、感情をお持ちのようです。 水平社宣言にしても、不戦和栄策にしても生きる「ひかり」を求めておられるように感じました。(2020.10.24)
▼昨日、京王井の頭線 駒場東大前にある日本近代文学館を訪ねました。西光さんの感激を自分も実感してみたかったのです。 雑誌『解放』の佐野学さんの論文を手にしたときは高揚しました。夜は残念ながら会議があったので今朝、読みました。 西光さんが感動されたのは第4章「解放の原則」だと思います。
「原則の第一は特殊部落民自身が先づ不当なる社会的地位の廃止を要求することより 始まらねばならぬ。」
「第二には現代に於いて苦しむものが、資本主義の鞭に悩む労働者階級ばかりでないと共に、特殊部落の人々ばかりでもない。両者は 親密なる結合と、連体的運動を為す必要があらう。(中略)私は特殊部落の人々の自立的運動と、他の苦しめる人々との結合と、その上に築かるゝ社会改造 の大理想の上に、始めて此の薄倖なる社会群の徹底的に解放せらるゝ「善き日」を想像し得るのである。」

▼この箇所だとおもいます。さらに私のこころに響いたのが次の付言です。 「付言、私は穢多若くは特殊部落といふが如き 字が嫌ひであるが已むを得ず使用した。」このような佐野学さんのこころ遣いにほっとします。 なお現物の佐野論文は「特殊部落民解放論」、雑誌名は「LA EMANCIPO」となっていました。漫画の方は「特殊部落解放論」 「LA EMANOIPO」となっています。 (2020.10.30)
Wikipedia 雑誌『解放』
1919年6月1日に吉野作造・福田徳三・大山郁夫らの黎明会の機関誌的役割を持った総合雑誌として大鐙閣から創刊される。
創刊号の発行部数は3万部で定価は38銭。創刊号巻頭に無署名の「解放宣言」を掲げて、軍国主義や専制主義など 各種の圧迫から全人類の諸階層を解放することを創刊目的とした。
実際の編集には黎明会と近い新人会の赤松克麿・佐野学・宮崎龍介らが参加し、 1920年6月号以後は麻生久・山名義鶴らが結成した解放社が編集業務を行った。 大正デモクラシー擁護の立場から労働問題・普通選挙・婦人参政権・被差別部落などの問題を積極的に取り上げていったが、 次第に急進的自由主義の立場から社会主義へとシフトしていった。
また、文芸欄に島崎藤村を顧問に迎え、永井荷風・谷崎潤一郎・佐藤春夫・芥川龍之介・菊池寛・田山花袋・徳田秋声・正宗白鳥 といった既成の人気作家をはじめ、小川未明・宮地嘉六・金子洋文らを発掘していった。
主な執筆者に前述の人々をはじめ、荒畑寒村・堺利彦・山川均・山川菊栄 ・新居格・石川三四郎などがいる。
一時は『中央公論』・『改造』と総合雑誌のシェアを競ったが、 関東大震災で大鐙閣が全焼して事実上倒産したために、直前に出された1922年9月号(9月1日発売分)をもって実質上の廃刊となった。

▼1920年5月15日燕会結成。差別のないセレベス島(インドネシア)への移住を計画。渡航許可が下りず断念。つまりこのころでも西光さんたちですら差別から逃れるために海外移住計画。 藤村の『破戒』は1906年。アメリカ移住、やむを得ない。藤村は雑誌『解放』の顧問であった。藤村の認識は進歩的知識人で共有されていたと思われる。しかし 1922年には「水平社宣言」この前進、驚異。(2020.10.24)

▼昨日、藤村の『破戒』読み終えました。2020.8/4〜10/26 約3カ月。たぶん以前読んだのは高校生だったと思います。それ以来封印していた小説でした。 あまりにも印象が強烈で再度読み返すのが恐ろしかったです。大賀さんも大学1年生のころでも丑松だった、と頂いた資料で知っていました。
左の2019.11.2朝日新聞朝刊平田オリザさんの「古典百名山」で藤村の『破戒』が、「もう一度読み返されるべき作品だと私は思う」 と紹介され、気にかかっていました。

葛藤し、苦悩し、考えながら読み終えました。新潮社の文庫本、令和2年6月5日146刷です。解説はまだ読んでいません。 それを読む前にまず自分の率直な感想を書き留めておきたいと思います。

読みはじめ、すぐに藤村の文体に惹かれました。高校生のときはそこまで余裕がありませんでした。文庫本で414頁ですが、どの頁も飽きたことはありませんでした。 これは凄いことだと思います。クラシックを聴いていても江藤俊哉先生のバイオリンは飽きませんでした。 すべての音に工夫がこらされていて面白かったという経験があります。それと似たような感覚でした。
具体的にメモを拾っていきます。
「哀隣、恐怖、千々の思いは烈しく丑松の胸中を往来した。病院から追われ、下宿から追われ、その残酷な待遇と恥辱とをうけて、黙って舁がれて 行く彼の大尽の運命を考えると、さぞ籠の中の人は悲慨の血涙に噎にだであろう。大日向の運命はやがてすべての穢多の運命である。」(13〜14p)
▼この箇所は記憶にありました。
「隠せ」――戒はこの一語で尽きた。(15p)
「新しい思想家でもあり戦士でもある猪子蓮太郎という人物が穢多の中から産れたという事実は、丑松の心に深い感動を与えた」 「今度の新著述は、「我は穢多なり」という文句で始めてあった。」(17p)

▼ずっと藤村の立ち位置が気になっていました。読んでいるあいだじゅう探っていました。ほぼ読み終える10.24Wikipediaで雑誌「解放」 を調べたとき、藤村とその周辺を知りました。いまではある安心感があります。(2020.10.27)
社会主義者の部落認識と初期水平運動(桐村彰郎)
https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DB00000483.pdf
この論文を熟読して的確な判断をすること。当時の人も手探り。われわれも今、手探り。それでいい。信じる道を手探りで進む。(2020.10.25)

▼原題は『特殊部落一千年史』高橋貞樹著。校注の沖浦和光さんが差別用語を排して 『被差別部落一千年史』と改題して1992年に岩波文庫から出版されています。 大賀さんのお薦めで2018年12月27日購入しました。2020.2.7から読み始め2.28に読み終えました。 私のこころに留まった箇所をご紹介いたします。(2020.3.12)

▼高橋貞樹さんが『部落一千年史』を書かれたのは19歳でした。驚きです。私はやっと大学に入って自分なりの勉強をはじめた頃でした。当時唯物史観も勉強しました。 だけど高橋貞樹さんはそれをすでに習得して『一千年史』を書き上げられています。天才ですね。『一千年史』はまるで『共産党宣言』の部落版のような 印象をもちました。

昨年5月29日水平社博物館を訪ねたとき「プラウダ」に水平社の記事が出たことを知り驚きました。だれがこのような記事を投稿したのか知りたかったのです。 記事の内容、言い回し、深さから考えて、投稿者は『一千年史』の高橋貞樹さんに違いないと思っています。 高橋貞樹さん以外にあり得ないと確信しています。

沖浦和光さんの『一千年史』の解説に「彼は21歳(1926)で日本の運動を代表してモスクワに行って活躍する」とあります。 「プラウダ」の記事は1923年(18歳)7月19日です。『一千年史』の初版は1924年(19歳)5月に発行されています。「昨年(1923)3月の奈良県下における水平社対国粋会の事件は、かような社会的 状勢を背景に見るならば、二潮流(ファシズムと無産階級運動)の表面的衝突に過ぎぬのである。」(281頁)「ベルサイユに世界の ブルジョアジーの代表が集まって民族自決を議決した時、インドでは…、アイルランドでは…、アメリカ、エジプト、フィリピン…」(287頁) の文章が出て来ます。 18歳の時の「プラウダ」の記事が19歳の『一千年史』ではより分かり易く展開されています。

▼長年、水平社宣言の「吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。」の箇所がぴたっと 来ませんでした。「エタである事を誇り得る」、 そのような部落出身者が本当に当時居たのだろうかと。しかし『一千年史』でその心情、背景が少し分かりました。次の箇所です。
@「エタであることの誇りが、いかに六千部落三百万の兄弟にとって、力強い男々しいものであるか、 いかに正しき光ある誇りであるか。この宣言(水平社宣言) の読まれたとき、会衆は声を呑み歔欷(きょき)の声四方に起こり、悲痛なる涙と歓喜との間に創立大会は終わった。各地方代表の演説は火を吐くごとく、 少年も婦人も起って、散会した会衆は、高くエタ万歳、水平社万歳を叫んだ。」(239頁)
▼これは1922年(大正11)の水平社創立の日の様子です。

A「第二回全国水平社大会召集の檄文にわれらは言う。
「六千部落三百万の兄弟よ、荊冠旗の下に団結せよ。われらのそれは単なる愛と同情でない。それは、より深い、 より広い、より強い人間の社会における進化の過程に醸成されて来た力と光そのものであるのだ。真黒の中に血の色に染め出された荊冠の旗幟こそ、 実にわれらの受難と殉教の表徴でなければならぬ。地下に呻く幾千万の祖霊を弔う祭壇の前に参加せよ。かつてわれらは賤民であった。今やわれらは選民 である。「よき日」のために懐かしい三百万の兄弟よ団結せよ。」
この荊冠旗下におけるわれらの闘争こそ、われらの鉄鎖を打ち砕くものである。(大正)12年3月3日、第二回全国水平社大会が行われた。」(243〜244頁)

▼かつて賤民、今や選民。どういう選民。(2020.3.15)

B「水平運動は、部落民の雪辱の闘いである。われらは深刻なる苦悩を担うて、勇敢に自力をもって鉄鎖を断ち切ろうとする。しかも単純なる 復讐の域を遥かに超えて、「われらは人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向かって突進す」という綱領によって終始行動している。…部落の 徹底解放は、新しき生活への闘いによって、新しき正義の上に立つ社会的の大変革によって、すなわち「水平社会」の実現を見て初めて 期し得られる。水平運動の歴史的使命は、新しき黎明の社会ー水平社会を生み出すことに存する。」(268〜269頁)
▼つまり「水平社会」の実現の歴史的使命を担った人々、という意味での選民ということだと思います。誇りが持てる使命です。
水平社会についての沖浦和光先生の解説。「水平社会ーすべての人間が平等の人権を認められ、それぞれが自分の資質と個性を自由にのばして、 平和に助け合って生きていける社会。綱領の〈人類最高の完成〉とはすべての人間の自由と平等が実現され、 大自然と調和して生きていく社会をさしている。」(329頁)

▼部落の解放とは人類の解放。その誇りある人類的使命を部落民が担っている。だから「エタである事を誇り得る」。 さらに言えば水平社の綱領から100年を経た今日、ペレストロイカの人類的価値に通ずる思想であるとおもいます。やっと腑に落ちました。

▼これまで水平社の「宣言」が大きく取り上げられてきましたが、わたしは『一千年史』を勉強して「綱領」が核だと感じています。とりわけ「我々は 人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進す」が今日的、将来的意義を持っています。これこそ 第三期の解放運動の中核に据えられるにふさわしい思想だとおもいます。(2020.3.16)
▼さらに今日これに「国連憲章」の崇高な理想の実現、を付け加えたいとおもいます。(2020.5.15)


▼記憶遺産登録活動は2014.3月に活動が開始されました。
2015.4.30「記憶遺産登録をめざして」の冊子が発行されました。
冊子には貴重なメッセージが掲載されています。以下に紹介いたします。(2020.1.26)
▼武者小路公秀先生の「発刊にあたって」は水平社宣言の意義のすばらしい解説となっています。 要約しますと
「宣言」は
@自然との共生における差別問題を力強く指摘。
A西欧の啓蒙思想と浄土真宗の発想を見事に融合。
Bフランス人権宣言の個人の権利を補完する共同体の幸福追求。

C更に荊冠旗のデザインはアナキズム(平等互恵の思想)の黒地に、1920年代、西欧の「世直し」藝術でメキシコ革命を支えたタマーヨたちの「表現主義」がある。

▼当時の最先端の知性の結晶だと思います。
▼『水平社博物館展示総合図録』p50に荊冠旗に関して 「1935年頃 差別社会を表す黒地と解放への情熱を表す赤が使われたデザインは、西光万吉によって考案された。」 とあります。(2020.2.1)

●在日三世の辛淑玉(シン スゴ)さんが、私も推薦しますの欄で次のメッセージを寄せられています。
部落差別への闘いがなければ、おそらく、 私はここに生きていないでしょう。差別は大衆のご楽であり、為政者にとって、もっともローコストな支配の道具です。反差別の声は 命の代償としてあげられるものです。水平社宣言は、奪われた命と、人生と血と涙と慟哭の上に叫ばれた宣言です。被差別者の声が、殺される側の 生きる力を生み出したのです。

●韓国慶尚大学キンジョンソブ教授
「宣言の翌年、韓国で部落民と同じ境遇にある被差別民 白丁(ペクチョン)たちの身分解放の団体である衡平社が結成された。」

●長島愛生園歴史館田村朋久学芸員
「深海に生きる漁族のやうに、自らが燃えなければ何処にも光はない、これはハンセン病の歌人、明石海人(1901〜1939) が記した歌集「白猫」の一節です。これは被差別者自らが解放の主体となり、力強く生きていくことを示した水平社宣言と、 思想を同じくするものです。」

●北海道アイヌ協会加藤忠理事長
「全国水平社の刺激を受けて、その名を模したアイヌ解放組織「解平社」が1926年旭川市に生まれました。」


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民主主義
▼左の「民主主義の限界と可能性」は2018.6.29の朝日新聞朝刊です。部落の問題を考えるのに貴重な発言が多くあります。ご紹介します。(2019.11.28)
民主主義の限界と可能性http://t.asahi.com/py3d2018年6月20日 8時33分より ガブリエルさん:
●民主主義の本質。「人間が人間として存在するために譲れない諸権利(=人権)に対応し、 その権利の実現を目指す政治システム」だとして、民主主義に内在する価値として「平等」を重視している。
●「だれかを拷問するかどうかを民主的な投票で決めてはいけない」民主主義の価値の重要性を民主主義によって否定することはできない。
●「国家は単なる形式的なシステムでなく、倫理的な基礎が必要」
●古代ギリシャの民主主義がなぜ失敗したのかについて話しましょう。 簡単に言えば、その民主主義が「みんなのための」民主主義ではなかったからです。 当時は奴隷がいました。奴隷は、民主主義の基本的な理念と矛盾しています。 奴隷は奴隷所有者のために働くことを義務付けられており、自分のしたいことを行うことができません。 こうしたエリート主義的なシステムでは民主主義は実現しませんでした。
また、フランス革命の後の民主主義の試みも失敗しています。このときは、ナポレオンが目指した民主主義の拡大という試みが 帝国主義的な性格を内包していたからです。 帝国主義な性格による失敗については、まさに今日の米国の民主主義が失敗していることにも同じようにあてはまるように思います。
▼「帝国主義的な性格を内包している米国の民主主義の失敗」。的中。(2020.4.1)

▼下の記事。アメリカは自分の国内で黒人、ヒスパニックへの差別をおこないながら中国へ人権で干渉する。 ガブリエルさん指摘の実例。(2019.11.30)
  2019.11.29朝日新聞朝刊
  2019.11.29朝日新聞朝刊論説。
日本に住む30代の女性が集会で「新疆と親族との電話が繋がらなくなった」と語っている、 との記事。
▼中国でウイグル問題が起きていることは確か。慎重に見極めたい。(2020.7.22)
       2020.2.5朝日新聞朝刊

▼多事奏論。的確な指摘です。編集委員の国分高史さん。見出しは「公文書と説明責任」として小谷允志(まさし) 元記録管理学会会長の見解のご紹介。 「集団的自衛権を認めるならば憲法そのものを改正しなければならないし、桜を見る会に地元の支援者を呼びたいならば、 そのようにルールを変えなければならない。これらは文書管理以前の問題であり、この政権ではコンプライアンス (組織が法令や社会規範などを守ること)違反が横行している。」
▼コンプライアンス抜きで民主主義は成り立たない。安倍政権は民主主義を云々するに値しない政権。引き下がってもらうしかない。(2020.1.12)
朝日朝刊2020.10.18

編集委員福島申二さん。「日曜に想う」。ドイツ人 マルティン・ニーメラー牧師の詩の紹介。
<ナチスが共産主義者を攻撃しはじめたとき、私は声をあげなかった。 私は共産主義者ではなかったから。
次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。社会民主主義者ではなかったから。
労働組合員が攻撃されたときも私は沈黙していた。
そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる人は一人もいなかった>
▼ドイツ語の原文は下記です。
Als die Nazis die Kommunisten holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Kommunist.
Als sie die Sozialdemokraten einsperrten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Sozialdemokrat.
Als sie die Gewerkschafter holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Gewerkschafter.
Als sie mich holten, gab es keinen mehr, der protestieren konnte.
今回の日本学術会議の任命除外での警告。(2020.10.21)

元気象庁気象研究所職員増田善信さん(97)
朝日朝刊2020.10.19
元文部科学事務次官前川喜平さん


民主主義
2020.5.16朝日新聞朝刊
▼松尾邦弘・元検事総長(77)ら検察OBが15日、法務省に提出した意見書(抜粋)。
今年2月、安倍首相は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更する」と述べた。これは、内閣による 解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕は国家である」 という中世亡霊を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない。

検察が委縮して人事権まで政権側に握られ、起訴不起訴の決定などにまで掣肘を受けるようになったら、検察は国民の信託に応えられない。
黒川氏の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変 させようとする動きであり、ロキード世代として看過し得ない。

内閣が潔く改正法案のうち検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを 期待する。あくまで維持するのであれば、与野党を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民のすべてが、この検察庁法改正案に 断固反対の声を上げて阻止する行動に出ることを期待してやまない。


▼検察OBのこの行動、民主主義の最後の一線を守っていただいた、という気持でそれは可としますが、安保法制のときはどうでしたか、冤罪事件の際の検察の 対応はいかがですか、「検察は強い権力を持つ組織として、あくまで謙虚でなくてはならない」と、意見書のなかでも述べられているように これを契機にこれまでの検察の仕事ぶりを「謙虚」に振り返ってもらいたい、という気持も強いです。(2020.5.21)

朝日朝刊2020.6.24
「真実を書かず権力の暴走を許し、国民を苦しめた過去が日本の新聞にある。 その反省の上に今があると忘れてはならない。権力者に取り入っても、権力者に都合のいい情報しか得られまい。」
▼駒野剛編集委員、立派です。(2020.7.11)
「1945年7.28朝日新聞朝刊は、連合国の呼びかけを「三國共同の謀略放送」と決めつけた。軍部の意向に屈服して 事実をねじ曲げた。
8.10日本は宣言を受諾する用意があると連合国に返答、同時に天皇の統治権には変更がないか照会するが、不都合な実相は公表せず、 米側解答も国民に隠した。暴いたのは米国の伝単(ビラ)だった。」


朝日朝刊2020.9.16

▼論説主幹 根本清樹さんの論説。すばらしい。安倍政権を「民主主義の土台が腐食した7年8カ月だった。」と総括。まったく同感。根本主幹の「座標軸」 で朝日新聞の記事が展開されていると信じています。(2020.1014)
朝日朝刊2020.10.15
京都大学人社未来形発信ユニット長 出口康夫さん

「人類は言葉を発明し、すべき事柄をその工程表とともに言語化し、集団で共有してきました。哲学の根はそこにあります。今、我々 の社会は巨大になり、共有される概念もどんどん増え、抽象的になってきました。『人権』のような新しい概念や価値を生み出し、それを人々の間 で定着させることで社会を変えていく。これこそが知的な公共事業としての哲学の営みです。人文学は、よりよき未来、あるべき社会に向けて、 効率化の一元支配に反撃する最後のとりでです。今こそ価値の学問である人文学が、価値の座標軸を考える手立てを社会に提示しなければなりません。」▼とうとう出口さんのような人が出てきました。(2020.10.15)

20202.12朝日新聞朝刊

「若者の保守化。政治とはその程度の事柄だという政治に対するシニシズム (冷笑主義)が非常につよい。一方『#MeToo』運動に代表されるように、 自分がおかしいと思うことに声を上げ、お互いの姿を確認してつながるという回路も出てきている。」






朝日朝刊2020.8.11
東京都世田谷の渡辺康子さん(87)「よい判断をできるような訓練を心がけています」
埼玉県東松山市の溝井喜久子さん(86)「為政者に左右される人生はもうたくさん。それを変えられるのは自分で判断する力だと、それを 養うことが民主主義なのだと、私は教わったの」
朝日朝刊2020.8.11
▼左の「民主主義」の教科書が(上)が1948年10月30日に、(下)が1949年8月26日に発行されています。(上)が232頁、(下)が233頁〜373頁となっています。 これが教科書として1948年から1953年までの5年間日本の中学、高校の教科書として使われたようです。驚きです。 (2020.8.15)
▼「民主主義 今はどうかしら」を再度読み返し87歳の渡辺さん、86歳の溝井さんの現在をよく考えました。お二人は当時14歳、15歳の中高生だったとおもいます。 民主主義の教育がしっかり血となり肉となってその後の人生を送ってこられたことがわかります。 いかに教育、とくに幼少年期の教育が大事かを知らされました。(2020.10.13)
▼「民主主義」の教科書が角川ソフィア文庫から出版されています。2018年10月25日初版。 元朝日新聞社長の中江利忠さんに2020.9.22、丁寧なお手紙とともに頂戴しました。 巻末の内田樹さんの解説はすぐに読んでいましたが、本文は10.20〜10.25に読みました。直後の感想は「拍手!」でした。 私の学んだことをメモしておきます。
▼「はしがき」で「民主主義の根本は、すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、 それが民主主義の根本精神である」とこの教科書の基本を簡潔に表現している。第1章から第17章まであり、443頁の最後は「民主主義の約束する国民みんなの安全と幸福と繁栄とを 築き上げていこうではないか。」と結ばれています。少し内容に入っていきます。

「民主主義の根本精神がしみわたってゆけば、対立と搾取と闘争のない、一つの平和な世界が築きあげられてゆく。」(20p)
「イギリスの民主政治は900年(1215マグナカルタ〜1911国会法)の長きにわたる国民の努力によって成った。」(47p)
「国会議員の選挙権は、民主国家の国民の有する尊厳な権利であり、これを良心的に行使することは、またその神聖な責務である。」(95p)
「何事も多数決によるのが民主主義ではあるが、どんな多数といえども、民主主義そのものを否定するような決定をする資格はない。」(117p)
「真の民主主義とは、われわれが日常生活をおくるその方法なのである。」(125p)
「自由な言論のもとで真実を発見する道は、国民が「目ざめた有権者」になる以外にはない。」(142p)
朝日夕刊2020.10.12
10.11シンポで学術会議山際前会長は「国の最高権力者が意に沿わない者を理由なく切る、さらに問答無用であるという風に明言すると、 その風潮が日本各地に広がることが懸念される。これは 民主主義の大きな危機」と訴えた。
▼山際前会長のことばは人種主義を横行させたトランプの言動を想起させます。 菅義偉も危険な為政者ですね。(2020.10.13)
朝日グローブ2020.11.1

▼右の記事。民主主義評価プロジェクト「Varieties of Democracy」は アメリカが独裁国家に変貌を遂げつつあるという。もしトランプが11月の選挙 に勝つようなことがあれば、アメリカの民主主義は約2年で破綻する、と予想している政治学者もいる。 (ロシェル・カップさんの紹介)辛うじて免れてほっとしています。7400万票対7100票、2%の差。 あのトランプが7100票も集める。溝の深さを改めて感じました。(2020.11.10)
朝日朝刊2020.11.11

▼左の記事を読んで私の台湾像が一変しました。(2020.11.13)
小佐野 弾「台湾は既に多くの分野で日本を凌駕している。工業化と近代化では台湾に先んじた日本だが、民主主義のあり方やダイバシティー社会の実現においては、 今や台湾のはるか後塵を拝している。」

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ハンセン病
▼反差別の立場からハンセン病に対する差別の実態と今後の政府の対応を追っておく必要があるとおもいます。
2019.11.16朝日新聞朝刊
●左の記事は2019.11.16朝日新聞朝刊。
1907年 法律「らい予防ニ関スル件」制定
1931年「らい予防法」(旧法)(昭和6年満州事変はじまる時代)
1948年「優生保護法」施行。患者や配偶者の断種、堕胎を明記
1953年「らい予防法」(新法)
1960年 WHO隔離を否定。ハンセン病を他の伝染病と同じ分類に置くべきで、これらの原則に合わない法律は廃止すべきだとする報告書 を公表
1970年 黒髪校事件を題材にした映画「あつい壁」(中山節夫監督)上映 
1994年 ハンセン病療養所所長連盟、予防法廃止を求める見解
1996年 らい予防法廃止
1998年 元患者国に損害賠償を求め熊本地裁に提訴。
2001年 熊本地裁 国の隔離政策違憲、賠償を命じる判決。 ハンセン病補償法が成立
2016年 元患者の家族が熊本地裁に提訴。
2019年 6月熊本地裁 国に賠償命令。7月国、控訴断念。 11月ハンセン病家族補償法が成立
▼1996年の「らい予防法廃止」から2019年の裁判で決着をつけるだけで25年。やはり戦わないと前進しない。(年表まとめ2020.5.26)
▼少し追加。元患者に対する補償法、元患者の家族に対する補償法、いずれも裁判に勝たないと政府、議会は動かない。 アイヌ民族の先住権裁判を準備している私にとっても教訓的。(2020.10.9)

「報道も法曹界も無関心だった」と全国ハンセン病療養所入所者協議会事務総長の藤崎陸安 (みちやす)さん(76)は手厳しい。 私は74歳。同世代。右下の記事から抜粋します。
2019.11.16朝日新聞朝刊
「毎朝、多磨全生園(東京都東村山市)の納骨堂にお参りしている。家族から引き離されて療養所に収容され、隔離政策の犠牲となって無念の 思いで亡くなられた人たちが眠っている。」
2020.6.28朝日新聞朝刊
かなしみの病床でも よろこびの花畑でもこぼれ落ちたところがふるさと
志樹逸馬
「らい予防法が制定されたのは、私が松岡保養園(青森)に入った翌年(1953年) (藤崎さんは9歳で入所ということ)。 法案に反対する入所者らがハンガーストライキを繰り広げていたのを覚えている。 予防法の廃止が遅れた一因は、マスコミがハンセン病問題を報道せず、一般の人が問題を知らなかったことにもある。
法曹界も長年関心を持たなかった。
廃止されても、国は政策が間違っていたとは認めなかった。 2001年の判決は、私たちが人間として持つ権利を取り戻すもので、非常に大きかった。 しかし、偏見や差別は簡単にはなくならない。長年、国から「恐ろしい病気」と言われ続けたため、それを 信じている人がいる。
「差別はいけない」と建前として理解したとしても、自分の子どもの結婚になれば反対する人がいる。家族訴訟での原告の訴えも、 元患者が家族にいただけで縁談が破談になるなど、とても深刻だった。元患者だと隠さずに済む社会になることが望ましい。」

▼元患者のこの気持、差別の原因、国の対応、すべて部落が辿ってきた「エタ」に対する江戸時代の差別制度、明治の「解放令」、 しかしなお残る部落差別、部落だと隠さずに済む社会になることが望ましい、部落差別と全く同じ。 第9講:今日の部落差別をどう捉えるか?の友永さんをもう一度読んでみてください。 (2019.12.5)

2019.11.16朝日新聞朝刊
●家族訴訟弁護団共同代表の徳田靖之さん
「市民が加害者に」
「国は恐ろしい伝染病と言って、恐怖感を国民に植え付けることを徹底的にやってきたゆえに差別意識が深く 浸透してしまった。その張本人である国は「私たちは過ちを犯してしまった」と繰り返し言っていくことが大事だ。
関東大震災の朝鮮人虐殺や黒髪校事件など、 社会のごく平均的な人たちが集団で加害者になることが、日本社会で起こってきた。なぜこういう構造ができていくのか、社会が 総力をあげて解明すべきだ。
啓発のカギは教育だ。あらゆる教育の場で差別について考えられる状況をつくっていく必要がある。 ハンセン病問題をきっかけに、日本社会のいろんな差別の構造を明らかにしていって、少しでも解決の方策が見えるようにしていきたい。」
▼私のこのHP「マイノリティーの声」はすべて差別の問題です。大分県で立派な活動をなさっておられる 同世代の徳田弁護士さん(75)のご活躍に期待いたします。(2019.12.6)
▼たまたま先日教育テレビ「こころの時代」で徳田弁護士さんを拝見しました。やっぱり立派な方でした。(2020.11.4)

      2019.12.1朝日新聞朝刊
▼群馬県草津町の国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」の実態を報じたもの。
「重監房は反抗的とか問題があるとみなされた患者が入れられた懲罰用の建物。 1938年に設置され47年に廃止されるまでの9年間で93人が収容され23人が亡くなった。」
▼何と酷い事。(2019.12.2)
2020.2.5朝日新聞朝刊
国立ハンセン病資料館長成田稔さん(92)
 ハンセン病 医師の悔恨は癒されます。
 ▼成田館長は阿部彰芳記者のインタビユーに次のように答えられます。
「私はハンセン病患者です、と隠すことなく言える社会になることが、本当の名誉回復。」「(医師の時代)私も彼らも同じ人間 なのにもし私が同じ病気になったら、と考える力がなかった。気づいたのは年をとって何もできなくなったから。」 「社会的な存在価値を完全に奪われ、将来の希望も持てない、そんな想像をするだけで息が詰まりそうになる。そう思ってもらえたらいい。それが 思いやりになるから。」
▼やはり90歳を過ぎた人のことばは重みがあります。真実があります。 「私はハンセン病患者です、と隠すことなく言える社会」。これと似たことばは部落差別について友永さんが語っておられたのを思い出します。 「社会的な存在価値を完全に奪われ、将来の希望も持てない」。 そんな中、希望を見つけられた舩後康彦さんに感動しました。(2020.10.6)
2020.2.5朝日新聞朝刊

神戸学院大学内田博文教授「ハンセン病への差別は1996年まで「らい予防法」が残り、隔離政策が90年近く続いた影響が大きくあります。差別はひとごとではなく、自分ごとだと理解 することが重要です。日本では患者の権利が十分定着していません。」 ▼障害者権利条約をひろめることが大事。(2020.10.6)

ハンセン病補償法前文
 ハンセン病の患者は、これまで、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきた。
我が国においては、 昭和二十八(1953)年制定の「らい予防法」においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ、 加えて、昭和三十(1955)年代に至ってハンセン病に対するそれまでの認識の誤りが明白となったにもかかわらず、 なお、依然としてハンセン病に対する誤った認識が改められることなく、隔離政策の変更も行われることなく、
2020.2.27朝日新聞朝刊
ハンセン病の患者であった者等にいたずらに耐え難い苦痛と苦難を継続せしめるままに経過し、 ようやく「らい予防法の廃止に関する法律」が施行されたのは平成八(1996)年であった。
2020.6.30朝日新聞朝刊
金沢大の山崎友也教授(憲法学)によると、ドイツでは人権侵害などをあらかじめ防止する 「基本権保護義務」を政府が負うとの考えがある。「人権は、公権力からの侵害に対する防御の面ばかりが議論されてきた。しかし私人の間で 見過ごすことのできない人権侵害が起こったとき何もしないのでは、国家は何のためにあるのか。できることは無数にある」と指摘する。
▼「基本権保護義務」この考え方は良い。一条優太さんの取材後記、心を打たれました。(2020.10.14)

 我らは、これらの悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くおわびするとともに、 ハンセン病の患者であった者等に対するいわれのない偏見を根絶する決意を新たにするものである。
 ここに、ハンセン病の患者であった者等のいやし難い心身の傷跡の回復と今後の生活の平穏に資することを希求して、 ハンセン病療養所入所者等がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝するとともに、 ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死没者に対する追悼の意を表するため、この法律を制定する。
(2020.10.9掲載)
ハンセン病家族補償法前文
「らい予防法」を中心とする国の隔離政策により、ハンセン病元患者は、これまで、 偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきた。その精神的苦痛に対する慰謝と補償の問題の解決等を図るため、 平成十三年に「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が制定され、
2020.3.1朝日新聞朝刊社説
▼菊池事件の再審。「検察は公益の代表として再審請求を拒んできた姿勢を改めるべきではないか」 との社説を受け入れるべきではないか。(2020.10.14)

さらに、 残された問題に対応し、その療養等の保障、福祉の増進及び名誉の回復等を図るため、 平成二十年に「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が制定された。 しかるに、ハンセン病元患者家族等も、偏見と差別の中で、ハンセン病元患者との間で望んでいた家族関係を形成することが困難になる等長年にわたり多大の苦痛と苦難を強いられてきたにもかかわらず、その問題の重大性が認識されず、国会及び政府においてこれに対する取組がなされてこなかった。 国会及び政府は、その悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くおわびするとともに、ハンセン病元患者家族等に対するいわれのない偏見と差別を国民と共に根絶する決意を新たにするものである。 ここに、国会及び政府が責任を持ってこの問題に誠実に対応していく立場にあることを深く自覚し、ハンセン病元患者家族等の癒し難い心の傷痕の回復と今後の生活の平穏に資することを希求して、ハンセン病元患者家族がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病元患者家族等の名誉の回復及び福祉の増進を図るため、この法律を制定する。
2020.4.10朝日新聞朝刊

▼左の記事の紹介。
沖縄愛楽園1930年代に施設ができると、元々住んでいた住民に恐怖が広がり、 差別や迫害の対象になった。元々の住民もまた苦しんで いた。サトウキビや漁業で生計を立てていたが、施設ができ買い手が付かなくなった。近年両者の対話がはじまった。
▼犠牲になるのはいつも民衆。(2020.6.29)

2020.5.2朝日新聞朝刊
▼右の記事。
1931(昭和6)3月25日未明。東村山の全生病院から81人のハンセン病患者が瀬戸内の岡山県長島愛生園に移された。患者たちは一般の列車にすら 乗れず、貨物と同じ扱いで運ばれた。第2次大戦中に貨物列車でアウシュヴィッツに運ばれたユダヤ人たちを思い起こさせる。 (政治学者・原武史)
▼酷いことをやってきました。(2020.10.7)
解放新聞2018.11.26

▼石山春平さん、希望です。
「冷たい視線よりも、もっとたくさんの優しさに救われてきた人生ですから」。
よくここまで言えますね。 この本は2018年にすでに社会評論社から出版されている。驚き。

本の紹介者野島美香さん。
「石山さんの明るさは、困難な人生を切りひらいてきて、 いまをともに生きる私たちにとって、希望をもたらしてくれる。」
全く同感。(2020.11.4)
朝日朝刊2020.11.11
▼右の記事。ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止された1996年から、ハンセン病家族訴訟で原告が勝訴した昨年まで、 元患者らを撮りつづけた八重樫さん23年間の集大成の写真展。見ておきたい。(2020.11.13)
▼今日、見ました。点字を舌で読んでおられる写真にはショックでした。生きる執念とでも言うのでしょうか。もし自分がこの方のような体になったら ここまでできるだろうか、とおもいました。頭がさがります。(2020.11.16)


旧優生保護法 https://www.nippon.com/ja/currents/d00421/?pnum=2
解放新聞2019.6.24
▼記事の前書き。差別思想にもとづく「優生保護法」は1996年まで維持され、被害者の裁判では今年(2019)5月、 不当判決が出された。以下解説は敬和 学園大学教員の藤野豊さん。
5月28日仙台地裁は、「優生保護法」は幸福追求権を保障した憲法13条に違反していたと認めつつも、国会の立法不作為の責任を認めず、 原告への賠償も否定する判決をくだした。この法律の前身は日中戦争渦中の1940年、 1933年にヒットラー政権で施行された「断種法」に影響を受けて米内光正内閣で成立した「国民優生法」。戦後1948年第2回国会 で議員立法で「優生保護法」に。「優生保護法」のもとで不妊手術を受けた人は2万5000人、そのうち約1万5000人は強制と考えられる。 ハンセン病患者になされた不妊手術は、事実上強制であった。
▼日本社会は差別に満ち溢れている。(2020.10.15)

▼約40年精神科病院に入院した総合失調症の男性が、国の精神医療政策のために長期入院を余儀なくされたとして 、国に賠償を求めて9/30東京地裁に提訴した。
wikipedia 国連人権理事会活動内容より:
2013年3月31日、日本の精神保健は精神障害者の非常に大勢が、自らの意思に反して長期間に渡って社会的入
2020.10.1朝日新聞朝刊

院、身体拘束と隔離が過剰に用いられているとして、 全ての精神科病院を訪問監査する独立組織を立ち上げること、外来ケアとコミュニティケアを充実させ、 入院患者数を削減する(脱施設化)よう、日本国政府に勧告している[5]。同様に経済協力開発機構も、 日本は他国に比べると「脱施設化が遅れている」と、日本国政府に勧告している[6]。
▼障害者権利条約 
第十九条 自立した生活及び地域社会への包容
 この条約の締約国は、全ての障害者が他の者と平等の選択の機会をもって 地域社会で生活する平等の権利を有することを認めるものとし、 障害者が、この権利を完全に享受し、並びに地域社会に完全に包容され、 及び参加することを容易にするための効果的かつ適当な措置をとる。 この措置には、次のことを確保することによるものを含む。
(a) 障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、 及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること 並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと。
▼条約のこの条項にも完全に違反している。(2020.10.6)


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2019.11.17朝日新聞朝刊
ローマ法王来日
▼右のローマ法王来日の記事
「38年前 被爆地動かした法王」の見出し。
1981年、法王のヨハネ・パウロ2世が養護施設「恵の丘長崎原爆ホーム」 を訪れ、入所者たちに「皆さんは絶えまなく語りかける生きた平和アピールです」と呼びかけた。職員だった被爆2世の山川強さんは、この言葉 に「引き金をひかれた」。2カ月後体験の聞き取りを始めた。48歳で被爆し、夫と一人息子を奪われた女性は体を震わせた「原爆は 鬼のごたる(ようだ)」。

広島のカトリック教会の神父深堀升治さん。「自身の被爆体験を話すことは神の計らいに愚痴ることになる」と考え、 あの日の思いはずっと封印してきた。その考えを変えたのは、ヨハネ・パウロ2世の広島訪問。
「戦争は人間の仕業です」。以後被爆体験を積極的に語るようになった。被爆者の訴えは国際社会 を動かし、2017年には核兵器禁止条約が国連で採択された。

2020.7.8朝日新聞朝刊
2020.7.9朝日新聞朝刊


▼このような流れの中に核兵器禁止条約があったとは知りませんでした。 今日この記事をHPに掲載していますが、2018.2.20調布市議会に核兵器禁止条約に賛成する決議を求める 陳情を出したことを思い出しました。(2020.5.28)

▼陳情の文書を掲載いたします。(2020.8.7)
           核兵器禁止条約に議会の賛同を求める陳情
                   趣旨
昨年7月7日、国連総会で核兵器禁止条約が採択されました。人道主義と人権、人間の尊厳が基本になっています。
12月、この動きを推進してきたICANがノーベル平和賞を受賞しました。
一市民として自分に何ができるかを考えました。まず条約を日本語と英語で読んでみました。 日本語では読み過ごしてしまうことばが英語では明確にイメージできることに気づきました。例えば次のようです。
前文の11パラグラフ「核兵器のいかなる使用も人道主義の諸原則及び公共の良心に反するであろう」の反するは英語ではbe abhorrentで 意味はホラーを呼び起こすであろう、と非常に強い、感情的にも許しがたいとの意味が含まれます。
また条文第1条「核兵器その他の核爆発装置を開発し、実験し、生産し、製造し、その他の方法によって取得し、 保有し、又は貯蔵すること」の生産し、製造しは日本語では生産と製造の違いが不明確で、どちらも作る、の意味。 英語では生産はproduceで新しく作り出す意味が明確。製造はmanufactureとなっていてただ作る意味。 また取得し、の acquireは、自分が望んで、努力して手に入れる意味がはっきり出てきます。 このようなニュアンスが日本語訳では伝わりにくくなっています。
2月10日、30年ぶりに広島平和記念資料館を訪れました。
まず2階に行くように案内され、そこでは原爆投下前と投下後の爆心地の全容がパノラマで見えるように工夫されていました。 さらに戦後の核軍拡と核軍縮の歩みが電子データで見ることができました。知識が増え理性で理解できる展示です。
そのあと1階へ降りていきました。被爆者の遺品が展示されていました。30年前とは感じるものが違いました。
被爆した三輪車とその子供の話がメモされていました。こどもは自宅の庭に40年、三輪車と一緒に埋葬されていたようです。 墓に移される際に三輪車は資料館に寄贈されたと。
さらに一枚の写真に目が吸い付けられました。女学生です。顔と上半身が黒く焼け焦げた写真です。 仮に命が助かっても生きていくことができないような火傷で、こころが重くなりました。
地下1階に下りました。オバマ大統領の折ヅルもありましたが、わたしのこころを強く打ったのは、 亡くなった子供を菰で巻いて背負ったお父さんが「熱かったね、苦しかったね、辛かったね、一緒にお父さんと家に帰ろうね」と、 背中のこどもに語り掛けながら焼野原を家路に向かおうとする絵でした。 この絵はご自身も被爆された方が実際に見てこられた光景を絵にされたもののようです。
1階の遺品と地下の絵はこころを揺さぶります。
わたしは、市民はこのこころの次元で核兵器の問題を考えなければいけないとおもっています。 単に知識と理性だけでは甲論乙駁で論争はできても行動の本当の力にはなり得ないからです。
日本人の被爆のこのような体験、さらには核実験による南太平洋諸島、アメリカ、旧ソビエトの実験場の被爆者たちの体験に基づいた、 国際人道法と世界人権法、人間の尊厳の見地から、24パラグラフの前文と20条の条文から国連の核兵器禁止条約は出来ています。
調布市議会の議員各位が、この条文をお読みになり自分はこの条約に賛成か反対かを、反対ならなぜ反対かの理由を明示してこの条約に対する意思を明確に示していただきたく陳情いたします。
平成30年2月20日
調布市議会議長 田中久和様
                          陳情者
                          調布市国領町4−35−2−711
                                  大西 信也
▼因みにこの陳情は調布市議会で採択されました。
▼核兵器禁止条約発効まで11カ国になりました。サーロー節子さん「努力、結果につながる」この人だからの言葉の重み。(2020.7.10)
2019.12.8朝日新聞朝刊
ローマ教皇

▼フランシスコ・ローマ教皇の長崎、広島でのスピーチ。
「今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、 維持、商いに財が費やされ、(財が)築かれ、日ごとに武器はいっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です」(長崎にて)
「戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。……武器を手にしたまま愛する ことはできません」(広島にて)
教皇のことばを冷ややかに評する声に対して「日曜に想う」の担当者の福島申二さんは 「安全保障上の現実の僕になってはいけない」と静かに諭される。私も教皇のような高い理想からしか現実を変える力は湧いてこないと思う。(2020.5.28)
2020.2.7朝日新聞夕刊朝刊

▼左の記事。
広島、長崎両市は「立場の違いを超え、平和の大切さを訴えたい」としている。 これまでにも両市は、原爆の非人道性を海外に伝えるため、1995年から「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開いてきた。 ワシントンを皮切りに、ロシアや、フランス、インドなどの核保有国を含む19カ国51都市で59回に及ぶ。
長崎に原爆を投下した爆撃機「ボックス・カー」は、「第2次世界大戦を終わらせた航空機」と、 米国立空軍博物館でそう展示されている。一方、広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」はスミソニアン航空宇宙博物館に 展示されている。
日本被団協の田中熙巳(てるみ)さんは「米国で、原爆は真珠湾攻撃の報いと言われたことがあるが、その違いを説明したら 理解してもらえた」と期待を寄せた。松井一実広島市長は7日の記者会見で「誰が悪いのか」といったことを超えて、無辜の民まで殺す兵器 があってはならない。しっかり理解していただける機会にしたい」と語った。

▼すごい活動だ。これらが世界の反核世論をつくりだしていることを感じる。(2020.5.29)
2020.11.5朝日夕刊

▼右の記事。米国などが1946年かた62年に太平洋のマグロ漁場で繰り返した核実験。
「核保有国でこの事実を伝えなければ問題は解決 しないのでは。米国の人たちに放射性物質が降り注いでいたことを伝えてムーブメントを起こしたい」
南海放送ディレクター伊東英朗さん。立派。(2020.11.10)
▼長崎平和祈念式典で田上富久市長が読み上げた今年の平和宣言から。
毎日新聞2020年8月9日 11時16分(最終更新 8月9日 17時16分)
75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、 その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこうつづっています。
「私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、 ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、 丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、 髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女(ひと)、そうした様々な幻影は、 毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。」

▼私の行動。
  日本国憲法に基づき核兵器禁止条約の署名・批准を 政府に求める意見書の提出を求める陳情
                      趣旨
核兵器禁止条約は50カ国の批准があれば発効します。あと6ケ国です。
日本政府はアメリカの「核の傘」で日本の安全保障を考えていますが、それは日本国憲法、国連憲章の制定経緯からみて正しくありません。
戦後の新憲法(1946年11月3日)で「日本国民は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」 と前文で謳っています。その前年に発足した国連は憲章第2条4項で「すべての加盟国は、 その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、慎まなければならない」(1945年6月26日)と規定しています。 こういう理念で戦後世界は出発しています。
厳しい冷戦を経て国連創設から70年後にやっとたどり着いたのが2017年の核兵器禁止条約です。「本条約の締約国は、国連憲章の目的と原則の実現に貢献することを決意する。核兵器廃絶こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法である。」と前文で謳いました。 ことし8月9日の田上富久長崎市長の「平和宣言」に次のくだりがあります。

「75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、 手記にこう綴っています。
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女(ひと)、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。 被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。」

私はこころを動かされました。2018年につづいて再度この条約の批准のために行動しなければ、とおもいました。 本来ならば日本政府こそ唯一の被爆国として核兵器禁止条約の先頭に立つべきだと考えます。
政治に関わっておられる議員の皆さん、皆さんにとって最も大事なのは当事者の声の筈です。 田上市長が当事者を代表して核兵器禁止条約の署名・批准を訴えておられます。調布市議会の 議員のお一人お一人もこの声を誠実に受け止められ調布市議会として内閣総理大臣、外務大臣、 衆議院議長、参議院議長に日本国憲法に基づき核兵器禁止条約の署名・批准を促す下記の意見書を提出してくださいますよう陳情いたします。
                      記
      日本国憲法に基づき核兵器禁止条約の署名・批准を政府に求める意見書
核兵器禁止条約は50カ国の批准があれば発効します。あと6ケ国です。日本政府はアメリカの「核の傘」で日本の安全保障を考えていますが、それは日本国憲法、国連憲章からみて正しくありません。 戦後の新憲法(1946年11月3日)で「日本国民は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と前文で謳いました。その前年に発足した国連は憲章第2条4項で「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、慎まなければならない」(1945年6月26日)と規定しました。こういう理念で戦後世界は出発しています。厳しい冷戦を経て国連創設から70年後にやっとたどり着いたのが2017年の核兵器禁止条約です。「本条約の締約国は、国連憲章の目的と原則の実現に貢献することを決意する。核兵器廃絶こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法である。」と前文で謳いました。 ことし8月9日の田上富久長崎市長の「平和宣言」に次のくだりがあります。
「75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。 私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女(ひと)、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。 被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならない と、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。」
一発でこの惨状です。いま地球上には約1万3千発の核兵器があります。すべて廃棄しないとヒロシマ・ナガサキが繰り返されます。それどころか人類そのものが、草木を含むすべての命そのものが地球から消え去ることにもなりかねません。思考の次元を切り替えてください。 政治を預かる人たちは被爆者の声を肌で感じていただきたい。被爆国日本こそ核兵器禁止条約の先頭に立つべきです。 今一度、日本国憲法前文の決意並びに国連憲章に立ち返り、日本政府は核兵器禁止条約の署名・批准の為の行動を起こされるよう要請いたします。
令和2年8月25日
調布市議会議長 渡辺進二郎様
                            陳情者
                            調布市国領町4−35−2−711
                            大西 信也
▼因みにこの陳情は委員会で審議すらされませんでした。すでにこの趣旨の陳情は採択されている、との理由です。
2020.10.23朝日朝刊
2020.10.24朝日夕刊
2020.10.25朝日朝刊

▼米国は平然と反核禁条約の圧力をかける。大したもんだ。落ちぶれたな。
▼サーロー節子さん。「世界中の数万人が一緒になってここまできた。強い連帯感を覚えている」。よかったですね。
▼ホンジュラス「最終段階」。いよいよ。(2020.11.3)
2020.10.26朝日朝刊
2020.10.26朝日朝刊
2020.10.26朝日夕刊

▼2020.10.26の新聞です。サーロー節子さんは200近い国のリーダーたちに、批准を求める手紙を書いてきた、と語った。 ICAN事務局長のベアトリス・フィンさんは、 「条約に参加しないならば選挙で選ばない」と声を上げるなど、政府に要求する必要があると思う、と語った。(2020.11.3)
国連軍縮部核兵器禁止条約 http://disarmament.un.org/treaties/t/tpnw(2020.11.3)
Opened for signature in New York: 20 September 2017
Entry into force: 22 January 2021
Depositary: Secretary-General of the United Nations
Number of Signatory States: 84  Number of States Parties: 50
State Signature Deposit Deposit Type
(●が批准国・地域 日月年のはじめが署名日、つぎが批准日 )
Algeria 20 9月 2017
Angola 27 9月 2018
●Antigua and Barbuda 26 9月 2018   25 11月 2019 Ratification
●Austria 20 9月 2017   8 5月 2018 Ratification
●Bangladesh 20 9月 2017   26 9月 2019 Ratification
●Belize 6 2月 2020   19 5月 2020 Ratification
Benin 26 9月 2018
●Bolivia (Plurinational State of) 16 4月 2018   6 8月 2019 Ratification
●Botswana 26 9月 2019   15 7月 2020 Ratification
Brazil 20 9月 2017
Brunei Darussalam 26 9月 2018
Cabo Verde 20 9月 2017
Cambodia 9 1月 2019
Central African Republic 20 9月 2017
Chile 20 9月 2017
Colombia 3 8月 2018
Comoros 20 9月 2017
Congo 20 9月 2017
●Cook Islands 4 9月 2018 *Accession
●Costa Rica 20 9月 2017    5 7月 2018 Ratification
Cote d'Ivoire 20 9月 2017
●Cuba 20 9月 2017   30 1月 2018 *Ratification
Democratic Republic of the Congo 20 9月 2017
●Dominica 26 9月 2019   18 10月 2019 Ratification
Dominican Republic 7 6月 2018
●Ecuador 20 9月 2017    25 9月 2019 Ratification
●El Salvador 20 9月 2017    30 1月 2019 Ratification
●Fiji 20 9月 2017   7 7月 2020 Ratification
●Gambia 20 9月 2017    26 9月 2018  Ratification
Ghana 20 9月 2017
Grenada 26 9月 2019
Guatemala 20 9月 2017
Guinea-Bissau 26 9月 2018
●Guyana 20 9月 2017   20 9月 2017 Ratification
●Holy See 20 9月 2017   20 9月 2017 Ratification
●Honduras 20 9月 2017   24 10月 2020 Ratification
Indonesia 20 9月 2017
●Ireland 20 9月 2017    6 8月 2020 Ratification
●Jamaica 8 12月 2017   23 10月 2020 Ratification
●Kazakhstan 2 3月 2018   29 8月 2019 Ratification
●Kiribati 20 9月 2017   26 9月 2019 Ratification
●Lao People's Democratic Republic 21 9月 2017   26 9月 2019 Ratification
●Lesotho 26 9月 2019   6 6月 2020 Ratification
Libya 20 9月 2017
Liechtenstein 20 9月 2017
Madagascar 20 9月 2017
Malawi 20 9月 2017
●Malaysia 20 9月 2017   30 9月 2020 Ratification
●Maldives 26 9月 2019   26 9月 2019 Ratification
●Malta 25 8月 2020   21 9月 2020 Ratification
●Mexico 20 9月 2017   16 1月 2018 Ratification
Mozambique 18 8月 2020
Myanmar 26 9月 2018
●Namibia 8 12月 2017   20 3月 2020 Ratification
●Nauru 22 11月 2019   23 10月 2020 Ratification
Nepal 20 9月 2017
●New Zealand 20 9月 2017 31 7月 2018 *Ratification
●Nicaragua 22 9月 2017   19 7月 2018 Ratification
●Nigeria 20 9月 2017   6 8月 2020 Ratification
●Niue 6 8月 2020 Accession
●Palau 20 9月 2017   3 5月 2018 Ratification
●Panama 20 9月 2017   11 4月 2019 Ratification
●Paraguay 20 9月 2017   23 1月 2020 Ratification
Peru 20 9月 2017
Philippines 20 9月 2017
●Saint Kitts and Nevis 26 9月 2019   9 8月 2020 Ratification
●Saint Lucia 27 9月 2018   23 1月 2019 Ratification
●Saint Vincent and the Grenadines 8 12月 2017   31 7月 2019 Ratification
●Samoa 20 9月 2017   26 9月 2018 Ratification
●San Marino 20 9月 2017   26 9月 2018 Ratification
Sao Tome and Principe 20 9月 2017
Seychelles 26 9月 2018
●South Africa 20 9月 2017   25 2月 2019 Ratification
●State of Palestine 20 9月 2017   22 3月 2018 Ratification
Sudan 22 7月 2020
●Thailand 20 9月 2017   20 9月 2017 Ratification
Timor-Leste 26 9月 2018
Togo 20 9月 2017
●Trinidad and Tobago 26 9月 2019   26 9月 2019 Ratification
●Tuvalu 20 9月 2017   12 10月 2020 Ratification
United Republic of Tanzania 26 9月 2019
●Uruguay 20 9月 2017   25 7月 2018 Ratification
●Vanuatu 20 9月 2017   26 9月 2018 Ratification
●Venezuela (Bolivarian Republic of) 20 9月 2017  27 3月 2018 Ratification
●Viet Nam 22 9月 2017   17 5月 2018 Ratification
Zambia 26 9月 2019


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資本制システム
2019.12.6朝日新聞夕刊
▼右は英国のケン・ローチ監督の「家族を想うとき」
一度は引退を表明したが、母国の経済格差の広がりが加速する状況を憂え、再びメガホンを取った。 「資本主義は迅速に富を集めることで、テクノロジーの発展に貢献してきた。しかし今、進化しすぎたようです。あまりに効率を求め、人類にとって 足かせになってしまっています」
▼ケン・ローチ監督はこのように語っておられます。21世紀のいま、 多くの識者が資本主義(「資本家(資本制)システム」英語: capitalistic system) の限界、民主主義の限界を感じています。
2019.12.10朝日新聞朝刊
こころある世界の識者はこの問題に取り組み始めています。私たちも差別、貧困、格差の問題が資本家(資本制)システム の問題であることに気づいています。日本人は資本主義ということばで表現していますが、 むしろ「資本制システム」と表現したほうが問題の本質を明確に捉えられると思います。(2020.1.21)
上はノーベル平和賞ムハマド・ユヌスさんと高校生の対話の記事。
「まず伝えたいのは、貧困は貧しい人たちの怠慢 が原因ではなく、私たちのシステムが生み出したものだということです。でもシステムに何かが足りないのではなく、私たちに足りないのです。 私は、このシステム自体を変えるべきだとおもう。現状に問題があるのは、我々のゲームが間違っていたからです。だったら、それを変えなければ。 あなたたちが、再びゲームをデザインしなければなりません。」

▼貧困の問題を解決するのにシステムを変える。つまりユヌスさんは現在の「資本家(資本制)システム」を変えることを呼び掛けている、と私は読み取りました。 勇気ある発言です。同感です。(2020.2.12)
   2020.6.5朝日新聞朝刊

▼起業家・ベンチャーキャピタリスト ニック・ハノーアーさん。
「持病のある人ほど重症化しやすいのと同様、 元から病巣を抱えた社会ほど打撃が大きいのです。
アメリカにはコロナとは別のウイルスがはびこっていました。約40年かけて深まった新自由主義です。 1970年代後半から独占を防ぐ規制や規範が骨抜きにされました。私のいう中道は共和党寄りの民主党員のことではありません。経済を支える99%の人々の 利益を代弁する立場です。サンダース上院議員は極左扱いでしたが、中道といえます。高い最低賃金も、国民皆保険も、富裕税も、資本主義の枠内で当たり前 の賢明な政策であり、大多数の有権者が望んでいるのです」
▼日本の起業家・孫正義さん、このような発言ができますか。(2020.7.25)
   2020.6.11朝日新聞朝刊

▼米軍将校から歴史家に転じたアンドリュー・ベースビッチ
「資本主義は富を生み出すことでは優れていますが、 富の分配という面では必ずしもいい制度ではありません。米国の指導者が信じ込むようになった4つのこと。
@貿易と投資の壁を取り払い、人とアイデアを自由に動かすことで想像を超える富を生み出せるというグローバル化
A米軍の覇権
B責任・義務の伴わない自由至上主義 
C突出した大統領の機能強化、いずれも深刻な欠陥を含んでいました」

▼納得です。上記2つの記事を読んでアメリカ人の見識・良識に期待が膨らみました。(2020.7.10)
2020.10.10朝日新聞朝刊
「ダボス会議」会議生みの親、世界経済フォーラム(WEF)のクラウス・シュワブ会長は、株主だけでなく、従業員や顧客 、地域などの利害関係者(ステークホルダー)に配慮した新たな経済を提唱する。「日本はとても良い例です」50年前、ミルトン・フリードマン の新自由主義が興り株主資本主義を正当化しました。半世紀前40憶人だった人口が80憶人に迫ります。持続可能で強靭、包摂的経済にグレート・リセット が必要です。
ステークホルダー資本主義:2019年米大企業の経営者でつくる「ビジネス・ラウンドテーブル」が株主資本主義からの転換を宣言。20年1月のダボス会議の テーマにもなった。

▼株主資本主義→ステークホルダー資本主義は資本主義の社会化と考えられる。ところでクラウス・シュワブ会長は 1938年ドイツ生まれ。ナチスを逃れ米国だろう。米国にはこういう経営者も存在する。米国という国は複眼的に見ること。(2020.11.4)

国内避難民の人権
2019.12.12朝日新聞 国内避難に関する指導原則
▼上のような国連の国内避難に関する指導原則があることすら知らなかった。(2020.1.23)
2020.1.25朝日新聞 入管収容者の人権擁護に奔走する
エリザベス・アルオリオ・オブエザさん
「ハロー。また来たよ。」
茨城県牛久市の東日本入国管理センターを望む高台からメガホンで呼びかける。 自身も3年前までその中にいた。
劣悪な環境に閉じ込められ、適切な医療は受けられず、職員による暴力的な制圧も目撃したと訴え、仲間の 先頭に立って抗議してきた。今は一時的な「仮放免」の身。「この国には、私が助けなければならない人がたくさんいる。」

                        ▼なんという恥ずかしい有様だ。(2020.2.3)
2020.10.18朝日朝刊
再入国の壁

▼「国連の国内避難に関する指導原則」を見ました。下記の序言がありました。関係者の方々に感謝申し上げます。(2020.6.26)
ヴァルター・ケーリン
2020.7.11朝日新聞朝刊
「技能実習生として来日した勤勉な外国人が安価な労働力になり、劣悪な環境に耐えきれず逃げ出し、 不法滞在となった例を多く見てきました。」そういう「不法滞在者」に罰則を科すという。
▼「不法滞在者」実態をまず調べたうえで、最適の方策を考えるべきでしょう。(2020.7.13)

国内避難民の人権に関する国連事務総長代表による序言(日本語訳)
 指導原則が日本語でも利用可能となるようにという、GPID日本語版作成 委員会(代表:墓田桂(成蹊大学))の取り組みが結実したことを歓迎しま す。委員会の専門家たちによるこの業績は、国内避難民の権利保障の枠組み である指導原則を強化するとともに、日本の政府関係者、市民社会および学 術関係者にとって、世界中の国内強制移動の状況に対処しようとする継続的 な取り組みにおける助力となるでしょう。特に、日本との関連では、災害管 理における同国の知見が、他の国々が指導原則を国内の法令や政策に取り入 れる際に、これらの国々にとっては有益な示唆になると期待されます。  さまざまな関係者による指導原則の周知と適用が、国内避難民、さらには 移動を強制されつつある人々を苦境から救うことになると確信しつつ、日本 語版の読者の皆様には、我々の共通の取り組みに力を貸して下さることを期 待しています。
2020.10.6朝日朝刊
2020.11.7朝日朝刊
▼とうとう日本の入管管理収容制度が「国連人権法」に違反していると、国連人権理事会恣意的拘束作業部会が日本政府に 9月23日付で意見書を送っていたことが報じられた。「ハロー。また来たよ。」の記事以来、気になっていた日本の入管制度に国連が動いてくれてよかった。 政府を動かす大きな力が国連の意見書、勧告だとおもう。アイヌ先住権裁判もこのような国際世論を背景に日本政府のこれまでの政策を正そうと考えていたので 運動にとって朗報。(2020.10.7)
日本商工会議所2020年2月 4日 11:48

 厚生労働省はこのほど、2019年10月末現在の外国人雇用についての届け出状況を取りまとめた。 外国人労働者数は165万8804人で、前年同期比19万8341人(13.6%)の増加となり、2007年に届け出が義務化されて以降、 過去最高を更新した。
 国籍別では、中国が最も多く41万8327人(外国人労働者数全体の25.2%)。 次いでベトナム40万1326人(同24.2%)、フィリピン17万9685人(同10.8%)の順となった。
対前年伸び率は、ベトナム(26.7%)、インドネシア(23.4%)、ネパール(12.5%)が高かった。
▼右の記事。外国人の困りごと、約4割が住宅確保の困難さ。 かながわ外国人すまいサポートセンター理事長は在日コリアン・ペイアンさん。2001年4月設立。「労働力としてでなく、外国人を住民として 受け入れる共生社会をつくれるか、日本が今、問われている。」
▼差別されている在日コリアンが差別されている外国人労働者を援助する。そういうことか。残念ながら。 (2020.11.20)
難民支援協会
https://www.refugee.or.jp/jar/report/2020/10/06-0000.shtml
国連の恣意的拘禁作業部会(WGAD)は、日本の入管収容は恣意的収容にあたり、 国際法違反であることを意見書にまとめ、日本政府に対し、必要な措置をとるよう求めました。 現在の入管の収容は、必要性についての司法審査がなく、期限がないことなどの問題があります。 難民支援協会(JAR)は、現在進められている入管法の改正において、WGADの指摘を反映することを強く求めます。
作業部会日本訪問実現委員会
https://wgadcometojapan.jimdofree.com/
恣意的拘禁に関する作業部会(United Nations Working Group on Arbitrary Detention)とは :
国連人権理事会決議に基づき設置された特別手続である恣意的拘禁に関する作業部会(以下「WG」といいます。)は、 恣意的拘禁の被害を受けている個人の通報を受けて政府に対して調査や改善などを要請するほか、個別に国を訪問し、 人権状況に関して現地調査を行い、その結果を報告または公表することができます。
「恣意的拘禁」という言葉は、刑事手続や入管手続の問題を連想させますが、WGの取り扱う分野は、それだけに限られず、 精神障害者の入院や施設入所の問題を含んでいます。強制的な入院、退院支援のないまま続けられた長期入院、自由の制限、または身体的拘束などは、 いずれも「恣意的拘禁」に当たり得るものです。このような日本の精神科医療をめぐる人権状況が、 いかに国際的水準を充たしていないものなのか、WGによる現地調査によって、国際社会に対して明らかにされるべきです。
▼このような活動があって今回の国連作業部会の意見書につながったことを知りました。ご苦労さま。 敬意を表します。(2020.10.7)

中村哲
2020.1.25朝日新聞朝刊
▼「見捨てない」覚悟の非武装。左の記事から私のこころに止まった部分。
 「アフガンに接するパキスタンのペシャワルの病院に ハンセン病対策支援で着任。絶望的な状況におかれた患者たちの無残な姿に接して苦悩し、人々により深く寄り添っていく。

 2000年からのアフガンの大干ばつ。100万人が飢えようとしている危機にもかかわらず、タリバーン政権を 認めない国際社会は制裁を決議。

 怒るタリバーンはバーミヤンの石仏を破壊し、ますます孤立して外国人が次々去る。砂漠化した大地に用水路を 通し、1万6千haの農地を潤して60万人の命を救う。」


▼中村哲さん73歳で逝かれる。私は今74歳、学生時代はベトナム反戦。この世代が仕事をしなければ、と強く思っています。中村さん、同世代の誇りです。 (2020.2.12)

コロナ
2020.2.13朝日新聞朝刊 ▼この記事はこころが温まります。(2020.2.14)
2020.2.13朝日新聞朝刊 ▼この記事はいやですね。やはり欧米人のアジア人への差別はこういう時に表面化するのですね。(2020.2.14)
2020.3.29朝日新聞朝刊 ▼大野博人さんは今月末で退社だそうです。最後の記事です。 「グローバル世界がこのまま進んでいいのか、方向を変えるべきか、 あるいは止めるべきか。」と問いかけられている。
私もコロナウィルスで明らかになったのは文明のあり方だとおもっています。


▼上の大野さんと同じ問題意識です。私の答えはミレニアムが騒がれた20年前に出してありました。中世的 都市国家の規模で世界とつながる。今風に言えば地産地消型のコミュニティーが世界とつながる、 このようなグローバル化のイメージを持っています。(2020.4.1)

コロナ
2020.3.29朝日新聞朝刊
▼左は坂本龍一さん。「経済支援せず自粛要請「ひきょう」緊急事態宣言は危険」 庶民的感覚をもちつづけていらっしゃる。立派です。
2020.3.3.29朝日新聞朝刊
▼左は内田麻理香さんが紹介される巣内尚子さんの取り組み。若い女性の研究者の発信はすばらしいです。 「差別せぬ理性 感染抑止に必要」。 部落も、コリアンも、アイヌもすべての差別は理性によってしか克服できないですね。 (2020.5.19)
巣内尚子「新型コロナ排除ではなく連帯を」  移住者の支援を行う「移住者と連帯する全国ネットワーク」(東京都、以下は移住連) は3月18日、声明「新型コロナウイルス流行にともなう緊急アピール」を出し、 「差別・排外主義に懸念を表明し、移民、民族的マイノリティ、社会的に脆弱な立場の人びとにたいする 人権保障と医療・経済的保護」を求めるとの考えを表明した。

コロナ
2020.4.3朝日新聞朝刊
▼大変興味深い投稿です。「ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質とはもともと友だち関係にあったとも解釈できる。宿主側が極めて積極的に、 ウイルスを招きいれているとさえいえる。ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。」 (2020.5.22)
2020.4.25朝日新聞朝刊 ▼済州ヌードルバーを営むダグラス・キムさんの店へ「stop eat dogs」の落書き。 「差別はこれまでもあったが、これほどむき出しのものは初めて」と残念がる。(2020.5.25)

コロナ
2020.4.5朝日新聞朝刊 ▼曽我さんがこの欄で取り上げられたG・チブラ『世界経済と世界政治1922−1931』の 「すぐれた洞察と断固たる行為との間には非常な乖離がある」とのことばにこころが動きました。
2020.5.10朝日新聞朝刊
▼「細菌ウイルスを含む生態系と文明系の共存・共生」すばらしい発想。(2020.5.24)
2020.5.10朝日新聞朝刊 ▼風俗業は対象外。ひどい話。(2020.5.24)

コロナ
2020.5.10朝日新聞朝刊 ▼「政府でなく市民が信頼を築く」私も成熟した市民社会こそ大事だと思って30年、市民活動をやってきた。(2020.5.24)
2020.5.21朝日新聞朝刊 ▼さすがイタリア人。あの陽気さは本物だったんだと改めて感心しました。(2020.5.24)
2020.5.30朝日新聞朝刊 「夏の手前で」保坂和志

▼右の一文。「日本人は勝手にやってきた」この文章のまとめにはならないが、作家の締めくくりのことば「これこそ、コロナ 以後の大転換。コロナが人類に与えた、試練と恩恵」が気に入りました。 またいつかこの作家(保坂和志さん)と出会うことがあるような気がしています。(2020.5.31)

コロナ
▼下の「食の自給へ転換する時だ」秋田県立大学教授日本有機農業学会会長谷口吉光さんの投稿。
2020.5.26朝日新聞朝刊
「みんながこのウィルスを目の敵にするが、この小さな生きものが悪いわけではないだろう。中国の一地方からわずか3カ月 で世界中に広まったのは、経済のグローバル化で人と物があまりにも自由かつ 高速に動くようになったせいだ。人に寄生したウィルスも人と一緒に飛行機に乗って 効率的かつ高速に世界の隅々まで拡散した、というのが真実 だろう。
コロナ禍のもうひとつの原因は、行き過ぎた大都市への人口集中だ。 首都圏と関西圏で感染拡大の懸念が最も高いのは、数百万 人の人間を高密度に居住させる大都市という構造が、ウィルスの増殖に極めて都合がいい環境だからである。 これを機に食の自給へ転換する時である。消費者が国産の野菜や穀物、肉を手に取りやすくなれば、 安心で健康な食生活につながるだろう。産地と 都会がもっとつながれば、地方移住者も増えるに違いない。コロナ禍で明らかになった グローバル経済と大都市への人口集中の弊害を大きく 変えていく糸口になると私は考えている。」
▼全く同感です。ひとこと付け加えれば食の自給だけでなく、わたしは農林漁業の一次産業をベースとした 国造りに大転換すべきだと思っています。(2020.5.27)

2020.5.14朝日新聞朝刊
▼左の記事。山際寿一京都大学総長。
「ウイルスが蔓延する時代にどんな社会が強靭な抵抗力を持つのか。まずは自然破壊の手を緩めることだ。地球は私たちの目には見えない 無数の細菌やウイルスがバランスを保っている。それを壊すことが未知のウイルスを呼び出し、家畜や人間の密集に乗じて感染を拡大させる。 まず必要なのは、衣食住のライフラインを失わない仕組み。封鎖が長引けば食料自給率が4割を切る日本は持ちこたえられない。3密を避けるために距離 を置いて暮らせる居住空間が不可欠。」

2020.7.11朝日新聞夕刊
▼左の記事。五箇公一さん 生態学者。
「人間の自然破壊などによって、本来の生息地から移動させられたのが外来生物で、目に見えない外来種が病原菌 やウィルスなど。彼らにもすみかがあり、本来の生態系の中ではおとなしいが、違うところでは天敵や免疫がないので、どかんと増える。」 「開発や破壊をベースとする経済の構造を変えないと、もっとすごい病原菌やウィルスが出てくる恐れがある。いまある資源をいかに循環させ 共有していくか、人間社会の変容やパラダイム転換こそが本当の課題です。」「100万種の動植物が絶滅危機にある現在は史上最悪の絶滅の時代 といわれる。その原因は人間活動だ。」「希少種が絶滅するほど環境が劣化すると普通の生物も数を減らし、生態系機能がまひする。人間が つくった劣悪な環境に適応できるネズミや害虫など、人間に都合の悪い生物がどんどん増えてしまう。」「地産地消。地域ごとに自立した地方 分散型社会をつくり、緩やかにつながる。生物学的には「メタ個体群構造」というが、たまに交流して遺伝子をやり取りすることで、全体として 安定した進化を繰り返す。人間社会も一緒ですよ」
▼私もミレニアムが騒がれた2000年ころから中世形都市国家で世界がつながるイメージを持っていましたが 「ナチュラルステップ」そして今回の「コロナ」で一層その思いが強まりました。生物学的には「メタ個体群構造」というのだそうですけど、まさにそれです。(2020.7.16)

2020.5.29朝日新聞朝刊
▼左の記事。非常にユニークです。東大先端科学技術研究センター教授・数理物理学者 西成活裕さん。
「感染者への差別やバッシングは「無駄」という視点からもやめた方がいい。 短期的には「発散」や「攻撃」という目的を達しているかもしれませんが、 長期的には、自分がかかった時に首をしめるだけの無駄な行為です。」
▼目から鱗どころか、この発想はあらゆる差別に応用できそうです。さすが数理物理学者の発想です。部落に対して、在日に対して、 もっと広く黒人に対して、また障がい者に対して、あらゆるマイノリティーへの差別に対して、たまたま今の自分が一時的に、 被差別者の立場にいないだけのことで、我々は次に生を受ける時、どこで、どのような境遇、環境で生まれるかわかりません。そのように 考えると今、差別できる境遇の人も次は差別される境遇にまわる可能性があります。 「あすは吾が身」との諺もあります。こころしましょう。 こんなことを考えさせていただきました。感謝。(2020.5.30)


コロナ
2020.5.31朝日新聞朝刊
マスク埼玉朝鮮幼稚部を対象外。休業補償性風俗店の従業員対象外。 パチンコ店へのバッシング。感染者を差別すれば隠す人が増え、感染が拡大する。
▼右が答え。(2020.7.10)
2020.6.4朝日新聞朝刊
社会学者福岡安則さん
「政府はハンセン病問題の教訓から学んでいない。感染者を責める声が広がらないよう政府は配慮すべきでした。患者が社会から罰せられる ような風潮ができると防止拡大にマイナスとなります。差別をSNSであおるような行為を抑止する差別禁止法こそ必要だと思います。」

▼すばらしいです。 (2020.7.10)
2020.6.10朝日新聞朝刊
日系人俳優ジョージ・タケイさん
「トランプ氏が 「中国ウイルス」と連呼して何が起きたか。アジア系市民が襲われたり、つばを吐きかけられたり。米国には日系人強制収容の前から アジア系排斥の暗い歴史があります。政治リーダーがそうした過去に無知を決め込むことで事態をより過酷にしています」

▼日本の政治もこれ。だから私のHPでマイノリティーの歴史を取り上げている。
「トランプ政権の対応を見て、1942年にこの国で起きたことを改めて世に知らしめねばと思い至りました。 あの教訓を米国史の一部にする必要があるのです」
▼全く私も同じ考えです。

ジョージ・タケイさんのつづき
「父は収容所で自治会のリーダーを務めました。コミュニティーとしての連帯感が必要と考えて。」 「ルーズベルトのような偉大な大統領が 日系人強制収容というおぞましい過ちを犯す。民主主義は人びとがつくりあげるもの。だからこそそのプロセスに参加する必要がある。 出自、信念、信仰、多様性を守りつつそれらを結集して、一つのチームとして共通の理想を成し遂げる役割が、民主主義にはあると思うのですが。」
いや、すばらしい!民主主義の真髄が語られています。感謝、感謝。それにしてもジョージ・タケイさんは俳優ですね。 これだけの見識、良識が俳優に求められるのですね、米国では。(2020.7.11)

2020.7.11朝日新聞朝刊
国立病院機構仙台医療センターウィルスセンター長西村秀一さん。「感染する確率は?」「息をしないご遺体からウイルスは排出されません。」 「ウイルスは呼吸で体内に達する方が、物を介するより、はるかに少ない数で感染する特性を持ちます。」「病院と一般社会は分けて考えるべき。」 「ウイルスが街に蔓延しているわけじゃない」
▼これまでのわれわれの「常識」を根底からくつがえす見識におどろいています。(2020.7.16)

コロナ
2020.7.19朝日新聞朝刊
2020.7.19朝日新聞朝刊
「コロナ禍は米国の構造的な差別を浮き彫りにした」
「最前線の労働者が命をかけている一方、ビリオネア(億万長者) のCEOは安全な場所で金もうけしている」
「大卒以上の人は約52%が在宅勤務が可能だったが、高卒では約13%。収入が高いほど在宅勤務できる 割合も高かった。」
▼このような報告は米国社会ではすかさず公表されるが事情は日本社会も同様だと思う。(2020.7.24)

コロナ
2020.9.6朝日新聞GLOBE
2020.9.6朝日新聞GLOBE
▼2020.9.6朝日新聞GLOBEはウイルスのすごい特集です。遅まきながら今日読みました。新しい知識をメモしておきます。
「ウイルスは地球上で、数や多様性が最も大きな生命体」「海には全宇宙の星の数より多いウイルスがいる」
「1898年オランダのマルティヌス・ベイクリンが発見、毒を意味するラテン語での「ウイルス」と名付けた。」
「胎盤はウイルスなどが外から運び入れた遺伝子によってつくられた」 「遺伝子PEG10、1億6000万年程前にウイルスなどによって外から取り入れられた可能性を示している。 哺乳類の祖先がまだネズミのような姿をしていたころ」
▼仰天の新知識です。(2020.11.2)
2020.9.30朝日新聞夕刊
▼見出し「口閉ざす体験者たち まるで「都市伝説」
「学童保育施設で働く女性は、感染の事実を隠すよう上司にいわれ、今も同僚に伝えていない。 ウソをつき続けるのがつらい、と打ち明ける」
「周りに感染者がいないのではない。実際は 「言いづらいから言えない」という人が多いのではないだろうか」。私も感染した一人だ。
▼私には『破戒』の丑松的に感じられる。日本社会の病巣?それとも人間社会に普遍的なもの?(2020.10.1)

差 別
差別克服の第一歩 ―― 「知ること」
2020.3.10朝日新聞朝刊
▼左のインタビュー記事にはこころを打たれました。これだけのことを 木村さんから聞き出してくださっているインタビュアの森本美紀さんにも感謝です。
木村英子さんは18歳まで施設で暮らされたようです。
「私にとっては牢獄のような場所でした。」
「私が望むのは、障害のある子どもが生まれたとき、おめでとう、と言える社会。」
「私は親から捨てられた、歓迎されない命だという思いを抱いて生きてきました。歓迎されない命などない、 と気づいたのは19歳で地域に出てからです。」
「23歳で結婚し、息子を出産しました。不安だったのは、 子どもをかわいいと思えるかでした。でも出産した時は、子どもへのいとおしさがこみあげました。」
朝日朝刊2020.10.14
「世の中にこんな不当な扱いを受けている人がいるのかと社会が気がつくことで、変えたい、何かしたい、という共感が生まれます。」「ジャーナリストの仕事は 問題を可視化すること。ソシアルメディアは力を持ちましたが真実の検証には向きません。『ファクト』や『真実』が危険にさらされているこの時代こそ、 証拠を積み重ねる報道にはまだ役割があることを示せたことは大きいです。」(聞き手・板垣麻衣子) ▼差別の克服の道。まず知ること。次に共感を呼ぶ伝え方。大きなことを学びました。(2020.10.16)
「公園デビューしたときのこと。息子と子どもたちが砂場で遊んでいるのを、車いすに乗った私が近くで見ていました。私が母親だとわかった瞬間 、周りのお母さん方が自分の子どもを抱き上げて帰ってしまった。」
「私と関わると厄介なことになるといった意識が働くのでしょう。本人たちは差別とは思っていませんが、あからさまな差別です。障害のある人 とそうでない人を分けることによってお互いが知り合う機会を奪われることから差別は生まれます。 社会から排除することそのものが差別なのです。」
▼木村英子さんから凄いことを学びました。差別の依って来る原因、どのようにすれば差別をなくせるか、メダルの裏と表ですが 明快に教えられました。「お互いが知り合う機会を奪われることから差別は生まれます。」解放同盟奈良県連書記長伊藤満さんの「接触理論」につうずる とおもいます。「知ること」これに尽きます。私の「マイノリティーの声」も当事者のなまの声を知って欲しいとの願望から生まれました。 (2020.5.20)
2019.12.11朝日新聞夕刊

1964年の安倍公房『他人の顔』(講談社)から35年後の 1999年、石井正之さんの『顔面漂流記』が出版された。すると、著者の石井さんに段ボール2箱分の手紙が寄せられた。 そのほとんどは当事者たちの悲痛な声だった。石井さんは「障害者や部落差別などの運動経験や成果が蓄積されて人権意識が高まり、マイナーな差別問題に目が向く土壌が社会に 育っていた」と振り返る。その告発から20年。当事者の苦しみが、社会に知られるようにはなった。だが差別をなくす道のりは途上。
▼障害者が困難に遭うのは「その人に障害があるから」ではなく 「社会に障壁があるから」というのが欧米で発展した「障害学」の考えだそうです。すべての差別は根は一つ。つながっている。 「マイノリティーの声」から浮かび上がってきている私の実感です。(2020.6.3)
2020.7.26朝日新聞朝刊


朝日新聞の取材に母親が応じた。やまゆり園に移ったのは事件の約4カ月前。「法廷で「甲Aさん」と記号で呼ばれることに納得がいかなかった。 植松死刑囚がなぜ障害者への差別意識を深めたのか、掘り下げてほしいと願った。」「他人が勝手に奪ってよい命なんてひとつもない」と訴えた。
▼「法廷で「甲Aさん」と記号で呼ばれることに納得がいかなかった。」ここの所に共感しました。(2020.9.27)


ALS
2020.9.8朝日新聞朝刊

参議院議員舩後(ふなご)靖彦さん(ピアサポートをした場面の出来事)「稼げなくても、どんな姿になろうとも、 生きているだけで価値があるーー。それまで味わったことのない喜びでした。 僕にもやれることがある。 まだ死ねない。という気持ちが噴水のようにわき上がってきた。人工呼吸器をつけて生きようと決めた瞬間でした」。
▼舩後さんの思いに感動しました。自分もいつ舩後さんのような運命に遭遇するかもわかりません。 しかし心構えができました。(2020.9.27)
2020.10.15朝日新聞朝刊
「人生を諦めなくてもすむ社会にすることが願い」
▼差別より厳しい。(2020.10.16)
2020.10.19朝日夕刊


朝日夕刊2020.9.23
ミスターバリバラの玉木幸則さん(52)
「障害って暮らしづらさや生きづらさのこと」
朝日夕刊2020.9.24
上右 電動車いすを使う小児科医で東大先端科学技術研究センター准教授熊谷(くまがや)晋一郎(43)さん。
「1980年代から障害は、本人と社会の間に生ずるものと概念が大きく変わった。変わるべきは社会だと障害のある本人が声をあげる世界的な当事者運動 が起きた。」「隠し事は人の力を奪う。隠しておきたい部分こそ、整理できれば、毅然と生きていける」
▼この記事から2つのことを学びました。
@当事者運動は1980年代から。変わるべきは本人でなく社会。
A「隠しておきたい部分こそ、整理する」、すると「毅然と生きていける」。
島崎藤村の『破戒』の主人公・丑松はその作業ができていない、 もがいている過程を小説にしている。被差別者が、隠しておきたい部分を自分なりに整理する、すると毅然と生きていける精神の落ち着きがからだに そなわってくる。これは被差別者にとって辛いが普遍的な精神作業。毅然と生きる信念の拠って来る土台となる。 つまり被差別者が毅然と生きる秘訣である。こんなことを学び、考えました。(2020.9.28)

朝日夕刊2020.9.25
目が見えず、耳が聞こえない研究者。福島智(さとし)東大先端科学技術研究センター教授(57)。「能力主義から解放されなくては、人は幸せ になれない。」2006年21世紀最初の人権条約、障害者権利条約が国連で採択。この条約が画期的なのは「差別とは『理にかなった対応をしないこと』 と明記した点」だと福島はいう。
▼「理にかなった対応をしないことが差別」の意味を考えるために障害者権利条約の当該条項を調べました。
第2条 定義。
「障害に基づく差別」とは、障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、 文化的、市民的そのたのあらゆる分野において、他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、 享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には、 あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。
「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保 するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、 均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。
▼このようになっていました。つまり「障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限」が差別ということ。
「全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するもの」が差別ということ。
さらに障害者が人権と自由を享受・行使するために「必要かつ適当な変更及び調整」をなされなければならない、ということ。
これは国、自治体の責務なのか、企業、市民の責務でもあるのか?(2020.9.30)
障害者権利条約を本HPの1ページに掲載しました。全文を読んで視野が新しくひろがりました。(2020.10.6)

気になるもろもろ
  2020.7.21朝日新聞夕刊
  2020.7.25朝日新聞朝刊
厳しい反日感情の中で(やっぱり!)出自を隠し、教育も受けられず、ジャングルの中で息を潜めて生きてきた残留日本人2世を尋ね歩くこと15年。 2世が国籍を回復できれば、子や孫が日系人として日本で働ける。無国籍状態の2世は約900人いる。 2世らを描いた映画「日本人の忘れもの」の上映が始まる。
▼猪俣典弘さん立派。本物。(2020.7.31)

人を縛る。自由を奪う。認知症のお年寄りに対しては 「安全のため」などの理由で、医療や介護の現場では、あたりまえのように続けられてきた。 日本でいち早く1986年から「縛らない看護」の旗を掲げた人看護師田中とも江さん(71)。 84年八王子老人専門の上川病院に、86年総婦長に。「縛ったら病院は牢獄になる」 「責任は私が取る」と明言、お年寄りを縛っていたひもをすべて捨て、捨て身で泊まり込み。田中さんの行動と言葉は現場を突き動かし、 国は99年介護施設で「抑制原則禁止」とした。
▼立派な先駆者。(2020.7.31)

2020.9.19朝日新聞朝刊
▼大変興味深い古典。
「歴史というものは一般に、現在を終点とする終末論の構成になっている。今を「終末」とする この歴史に記録されているのは、現在にその功績をとどめる広義の勝者たちである。
しかし、今この瞬間、歴史の連続性を壊す根本的に新しいことが 起きた、あるいは起こされたとしたらどうか。「終末」が置き換わったことを意味する。
勝者になれなかった敗者ーー連続的な歴史の中で無視されていた 失敗や願望ーーこそ継承していることに気づく。この過去の敗者が、今の時を孕む過去である。 ゆえに、革命は同時に過去の救済でもある。」

▼著者ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』。紹介者社会学者大澤定幸。
そもそも日本最初の歴史書である『日本書紀』が藤原不比等という奈良時代の歴史の勝者が編纂を命じた 勝者の歴史書である。敗者が抹消されている。
「マイノリティーの声」を勉強してわかったが、日本の歴史からアイヌ民族は抹消されている。 無念の敗者に満ちている。現在その敗者を蘇らせようと 裁判の準備をしている。そんな私にこの書はピッタリ。
ベンヤミンはナチスに追われピレネー山中で自殺したらしい。 マルクス主義の思想家ということ。(2020.10.5)

IMADRの活動
IMADRのことについて紹介しておきます。(IMADR HPより)

反差別国際運動(IMADR)とは
The International Movement Against All Forms of Discrimination and Racism
世界からあらゆる差別と人種主義の撤廃をめざしている国際人権NGOです。
日本の部落解放同盟の呼びかけにより、国内外の被差別団体や個人によって、1988年に設立され、1993年には、 日本に基盤を持つ人権NGOとしては初めて国連との協議資格を取得しました。ジュネーブにも事務所を設置し、 国連機関などへのはたらきかけにも力を入れています。日本では、特に被差別部落の人びとや、アイヌ民族、 琉球・沖縄の人びと、在日コリアンなど日本の旧植民地出身者およびその子孫、移住労働者・外国人などに対する差別、 また、それらの集団に属する女性に対する複合差別の問題に取り組んでいます。 それらの声をつなげ、政府や国連に働きかけていくと共に、それが社会全体の課題として世の中に認識されるよう、 積極的な発信を行なっています。

▼このHPでIMADRの活動を今後もっと取り上げていくつもりです。(2020.4.27)
▼金子マーチンさんはIMADRの役員の事務局次長です。(2020.6.21)
2018.5.11朝日新聞朝刊
反差別国際運動(imadr)主催 国際協議会
▼東京の集会は2018.4.12衆議院第一議員会館で開かれ私も出席しました。 解放同盟が世界のマイノリティーの人たちから尊崇の眼差しで見られていることを体験しました。 部落をBURAKUと表記すると国際的な意味合いを持ち尊崇される解放同盟のイメージ浮かび上がてくると考え HPの部落の頁はBURAKUとしています。(2020.2.15) 

2020.1.13解放新聞

▼左の記事は2020.1.13解放新聞です。2019.11.25〜12.13国連人種差別撤廃委員会の100回目の会期だったようです。 委員会と市民社会をつなぐ活動をしてきた反差別国際運動(IMADR)は特別会合に招待され、同じく招待されたマイノリティ・ライツ・グループ、 人種と平等(Race and Equality)とともに共同声明を読み上げた、とのことです。IMADRの活動、うれしくおもいます。(2020.1.15)


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